「さっきまで餅を食べる夢を見ていたよ」と息子が台所に入ってくるなり言った。
ここ数年ばかり息子の口数がめっきり減っていたので私はその唐突な報告に当惑し、椅子に腰を下ろしたまま彼の顔を見上げた。妻と娘は朝早くから外出していて不在だった。息子は頭髪が乱れていて目が腫れぼったかった。彼は私の後方へと回り込み、洗面所に通じるドアを開けた。私はその方へ振り向き、彼の背中に「おはよう」と声を掛けてみたが、返事は聞こえなかった。
洗面所から出てくると息子の寝癖は直っていた。私は椅子に座って新聞を読んでいたのだが、息子は黙ったままトースターでパンを焼き始めた。夢の内容を尋ねてみるべきだろうかという考えが思い浮かんだが、正直なところ少しも興味が湧かなかったので口を開かなかった。
トーストが出来たらしく、息子はそれを食べ始めた。その様子が視界の片隅に入った途端、私は夢の中で彼に噛み付かれそうになっていたと思い出し、奇妙な偶然に驚いた。
そして、私は息子の横顔を凝視した。しかし、夢の中で食べていた餅が父親に似ていたのか、などという質問は常軌を逸しているように思えるので簡単には口に出せなかった。それで、私はその疑問を小説として書いてみよう、と思い付いた。
目次(超短編小説)