分身の消滅 | 山田小説 (オリジナル超短編小説) 公開の場

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 久し振りに肺の疾患から解放されたので私は夜明けを待たずに自宅を飛び出した。そして、ほとんど人影が見当たらない真夜中の街を散策した。吸い込む空気が清々しくて感動的だった。しかし、長い療養生活ですっかり足の筋肉が衰えた様子ですぐに疲労を覚えたので近所を一回りしただけで遠方までは出掛けなかった。そして、まだ夜が白ける前に自宅に戻ってきた。
 
 すると、寝室で分身が死んでいた。壁や床に大量の鮮血が飛び散り、実に凄惨な情景だった。私は驚嘆して気持ちが動転し、何も考えずに反射的に彼の方へ駆け寄った。既に意識はなかった。肉体は温かかったが、私が大声で呼び掛けても返事がなかった。顔面には死に際の表情が凝固していたが、逍遙としていて私とは似ていなかった。私は彼の頬を軽く平手打ちしてみたが、反応はなかった。傷は喉元にあるようで、首筋からまだ赤い血液が流れ出ていた。彼の手はナイフを握っていた。それが床に滑り落ちた。病状が悪化して痛みに耐え切れないと判断した時の為に枕元の棚に忍ばせていた自決用の代物だった。それを見て私は彼の心情が理解した。つまり、耐え切れなくなったのだ。
 
 私は動揺はしていたが、時間が経っても少しも悲しくならなかった。そのような感情は持ち合わせないのだった。その心の動きには自分でも違和感を覚えたが、どうしようもなかった。私はしばらく茫然としていたが、動揺が収束してくると看病の手間が掛からなくて幸運だったと考えるようになった。一人きりで朝食を取り、タオルで室内の血痕を拭き取った。彼の屍体を袋に詰め、熱いシャワーを全身に浴びた。自分の葬式を出すなどという奇天烈な状況に陥らなくて済むように彼の痕跡をすべて抹消するつもりだった。分身の存在さえなくなれば病気から全快した私だけが残るのだった。そして、私はその為の作業を粛々と続けた。見舞客があれば追い返さなければならないところだったが、幸運な事にその手間は掛からなかった。楽しい仕事ではなかったが、気持ちは晴れやかだった。これからの人生について考えると本当に胸が躍るような思いなのだった。


「分身」シリーズ

分身の胎動
分身の誕生
分身の消滅

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