人間はどこか? | 山田小説 (オリジナル超短編小説) 公開の場

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「目次(超短編)」から全作品を読んでいただけます。
短い物語ばかりですので、よろしくお願いします。

  深い海底の学校、たくさんの生物が往来する長い廊下で、○○と××は接触した。
 二人は互いの体液を嗅ぎ分けるという行為によって個体識別し、数百本にも及ぶ触手を複雑に絡ませながら友好の意志を確認し合った。

 「よお、○○。どないしたん?なんや元気がないみたいやな」

 ○○は××の触手に普段の力強さが感じられないということに気付いたのだった。それに、彼から漂ってくる体液の成分においても疲労の影響が色濃く現れていた。それは精神面の作用による兆候だった。
 ××は○○から受ける質問の内容を事前に予想していたので自分の勘が間違っていない事を確認しながら既に回答を開始していた。

 「昨日、図書室で雑誌を読んでたんやけど、その内容がほんま面白ろうて家に持ち帰ってからもずっと読み耽っとったら朝まで一睡もできんかったんや。おかげで授業中も眠くて眠くて先生方の言葉にも集中できんし...」
 そのまま××は今日一日の苦難を自分がどのように乗り切っていったかという問題を愚痴混じりに訴え続けるつもりだったが、○○が書物の内容を教えるように催促してきたので相手の意向に沿って話題を替えることにした。
 「最新の科学を紹介する雑誌や。まあ、面白いというよりも興味深いという内容かな?この惑星の表面が海と陸によって成り立っているという事は知ってるやろう?数年前に探査用のロボットを地上に送り込んだんやけど、そこから得た情報によると陸にも酸素があって植物なんかも棲息しとるらしいねん。まあ、ほとんど俺等の口には合わへん種類の物ばっかりやけどな」

 早く帰宅して睡眠を取りたいので××はできるだけ簡潔に説明をまとめて○○との会話を手短に切り上げたいと考えていたが、意識がぼんやりとした状態にあるせいで問題の核心に入っていくまでの道程がひどく長大で煩雑なものであるように思われていた。しかも、そのような逡巡に対して焦燥感を抱くだけの気力さえ持ち合わせていないので数百本の触手を複雑に操って立体的な信号を送りながら体内に蓄積されている疲労の度合いを諦めの眼差しで確認していたのだった。
 「陸地には植物どころか動物も棲息しとるんやろ?まだ料理方法は確立してないみたいやけど、いろいろと加工を施せば俺等でも喰えるようになるらしいで。たぶんロボットが採集してきた獲物が一般家庭の食卓に上がる日もそう遠くないやろ。確かに興味深いな。でもそれって科学け?」

 ××は自分で文章を組み立てて発信する行為よりも相手側から送られてきた信号を解析して内容を把握する作業の方が億劫であるように感じていた。しかも、○○の言葉はこれから××が話そうとしている問題の核心に合致するものではなかったのだった。しかし、××は多数の情報を同時に送信できるような体調ではなかったので触手の半分以下がほとんど動作を起こさないまま○○の相槌を無抵抗に受理するアンテナのような格好になっているのだった。

 「俺等の文明は科学技術で成り立っている部分が大きいわけやから料理もその例外ではないやろ。まあ、俺が読んだ雑誌にはレシピとか載ってへんかったけどな。そんな事よりも科学者が着目しているのは陸地にも生物が棲息できる環境が存在しているという点や。つまり、俺等も将来的には低エネルギーで海の外側に進出できる可能性があるという事や。というのも、動物が棲息しとるんならバイオスーツに乗って行けるというわけやからな。もちろん、お前が指摘するように解決すべき問題はあるよ。そもそも俺等の肉体は海中の奥深い場所での生活に適応するように進化してきたわけやからな。陸上では重力に耐えられへんかもしれんし、水圧がない世界では破裂するかもな。その辺りの事情については俺もあんまり詳しくないけど、バイオスーツの内側は外部とは異なる環境を作り出せるから俺等を快適に包み込んでくれるかもしれん。実際陸上の動物も体内器官は脆いらしいで。しかも、別の利点もあるで。バイオスーツなら俺等の口に合わへん食物も消化してエネルギーを創出できるわけやから地下資源を大量に浪費する必要もないというわけや」

 ○○は××の地上に進出できるという言葉には関心を引かれたが、バイオスーツについてはあまり興味を抱かなかった。なにしろ、それは目新しい道具ではなかったし、○○は毎日の登下校用として高速移動用の製品を使いこなしているのだった。そして、科学技術が発展していけば近い将来にバイオスーツが進歩して機体の内部環境が向上していくだろうという事も容易に予測できるのだった。○○は??に徹夜までさせた情熱の原因がどうしても不可解であるように思われたので少しばかり困惑気味の心地になっていたが、まだ説明が終了したわけではない様子だったので適当に相槌を繰り返しながら相手側から送られてくる信号の内容を吟味し続けた。

  「ところで、お前はバイオスーツによる新感覚の獲得という概念を知ってるけ?俺等には今も昔も三通りの感覚しかないやろ?つまり、触覚と味覚と嗅覚や。でも、この世界にはそれ以外の感覚を持った生物がたくさん存在しとる。熱を探知したり、音を感じたりできる奴らは身近にもおるやろ?下等生物やけど、俺等とは別の部分が進化しとるんやな。それで、話を戻すけど、陸地には深海とは全く異なる世界が広がっている可能性が高いわけやから俺等にはその環境に適応できる新しい感覚が必要になってくるかもしれん。例えば磁力とか光線とか電波とかが対象になってくるんかな?つまり、この世界を認知できる方法が飛躍的に増えると言う事や。そうなれば俺等もわざわざ肉体を接触させるまでもなく互いの存在を確認し合う事が可能になるかもしれん。それどころか、この廊下のずっと遠方にいる奴らとの間でも会話できるかもしれん。どうや、面白いやろう?つまり、バイオスーツの技術的な進歩が俺等の生活を一変させる可能性を秘めていると言うわけや。しかも、その研究は既に開始されてるらしいで」

 ふいに話題がバイオスーツから新感覚へと変転したので○○はそれまで以上に××から送られてくる信号の内容に注意力を傾けていたが、いくつか自分の知識にはない情報が含まれていたのでにわかに興味が湧いてくるように感じていた。特に○○や××のような偶発的に接触した相手と出なければ会話できないという寂しい運命の動物たちにとっては離れた場所からでも互いの存在を認知できるという事が非常に魅力的な夢であるように思われるのだった。しかし、○○は頭の中にいくつかの重要な疑問が浮かび上がってきたので慎重に空喜びを戒めながら問いかけた。

 「でも、新しい感覚を俺等の脳は受け入れるかな?それが可能やったとしても副作用が心配になってくるやろ?何しろ未知の体験やからな。それに、機械を利用すれば今の科学技術で陸上に進出する事は十分に可能やろ?まあ、確かにエネルギーは浪費するかもしれんけどな。ところで、その研究はどのような手法で行われてるの?」
 複数の質問が一度に飛び込んできたので××は間をおいて情報を整理し直す必要を覚えた。普段の状態よりも脳の機能が低下していると言う事を自覚していたので××は決して焦らずに雑誌の内容をじっくりと思い返しながら周囲の海水を吸い込んだ。主食ではなかったが、そこには豊富な栄養分が含まれていて脳の活性化に役立ってくれるのだった。そして、それと同時に××は海水の微妙なにおいによって廊下を往来している生徒たちの数が徐々に減少してきているという事を知った。早く帰宅して睡眠を取りたいという願望が再び心中に去来したが、いよいよ問題の核心に入ってきたという事による興奮も覚えていたので○○に対する説明を再開した。

 「その研究はかなり規模が大きいものになってるみたいで雑誌にはいろいろと詳細な情報が載せられてたけど、どうも内部でいくつかの機関に分けられてるみたいやな。まず地上の環境を正確に把握するための調査チームが必要やろ。それから新種の感覚が脳に与える影響について計測する機関とか陸上適応型のバイオスーツを開発していく機関もいるな。そやから実際の研究は複数のそれぞれ担当する領域が別れているチームが互いに連携を取り合いながら遂行してるんやろな。ただ、機械を利用して陸上に進出したとしてもエネルギーとかコストの関係で結局のところ一部の選民しか購入できんという状況になるやろうから俺としてはバイオスーツの開発を歓迎するで。それに、新しい感覚を獲得するといっても脳が受理する段階においては既に触覚とか嗅覚の信号に変換されてるはずやから俺等が動物として根本的に生まれ変わるという事ではないやろう。それでも感覚が増えれば情報もそれと比例していくわけやから多少の混乱は生じるかもな。そうした危惧については明確な情報がほとんど紹介されてへんかったわ。ああいう雑誌は読者の興味を引きたいものやから魅惑的な未来像ばかり示しおるんやな。まあ、それでも研究自体は既にかなり具体的な段階にまで進行してるみたいやで」

 ○○は海水に含まれている××の体液に興奮の兆候を示す成分が現れているという事に気付いた。俄に触手の動作も活発になってきた様子だった。それらの表情に影響されて○○も僅かに心中が高揚してきたが、まだ科学情報雑誌の楽観的な未来予測に対しては慎重な姿勢を崩さなかった。そもそも未知の感覚について想像力を働かせるという行為自体が容易ではないように感じられていたのだった。そして、ふと一つの閃きが脳内に生じたので??に信号を送った。
 「陸上に進出できれば金属の加工が簡単になるやろ。そうなれば安値の機械を大量に生産する事も可能になるんとちゃうか?」

 話が逸れたので××は反射的に海水を思いきり吸い込んだ。現在の体調においては頭を切り替えるという作業が重労働であるように感じられるのだった。しかし、○○の指摘は決して完璧なものではなかったので??はほとんど時間を掛けずに反論を用意できた。

 「そうやとしても機械はエネルギー効率が悪いから歓迎できひんな。地下資源が限られてるってことはお前も知ってるやろ?しかも、それを大量生産なんかしたら想像が付かんほどのエネルギーが消費されるんやからな」
 自分の意見に対して○○が応戦してくる気配を感じさせないので××はほとんど間を置かずに先程までの説明を再開させる事にした。新種の感覚に対する情熱を発露させている間にも早く自宅で安眠したいという願望は永続的に心の中で保持されていたのだった。

 「バイオスーツを開発している機関が公表した途中経過報告によると陸上の生活に置いては頑丈な甲殻か骨格が不可欠になるらしい。それに、移動用の器官として二本以上の力強い触手があった方が望ましいみたいやな。それらを交互に前進させれば体重を支えながら動き回れるらしいで。それに、地上には空中を飛行できる機能を備えた動物も存在してるみたいやから研究所はそんな調査結果も参考にしながら種々様々な形態のバイオスーツを考案してるらしいわ。雑誌にもいくつか紹介されてたけど、新しく採用される感覚を意識内でどのような優先順位で配分するかという課題が未解決やから全体的なデザインはまだ定まってないみたいやな。なにしろ、どの器官をどこに装備するかという事によっても大きく外観が変更されてくからな。まあ、それでも地上に現存している動物を観察していけば近い将来に最良の結論を導き出せるやろうけどな」

 陸上世界で次々と発見される新種の動物についてはこの数年ばかり巷の話題にあげられる機会が多いので○○は瞬時にいくつかの例を思い出した。自分達とは大きく異なっている形状や生態などが珍妙で謎めいいているように感じられるので世間の関心を引き易いのだった。そして、○○は誰もが抱いている一つの疑問を信号として送信した。
 「俺等のような知的生命体はおらんのか?」
 その疑問に対する××の回答は未然に予想できていた。陸地で知的生命体が発見されたとすれば大きなニュースになっているはずで○○の耳にも入っているはずなのだった。

 「まだ発見されてないな。俺等に合わせたバイオスーツの開発が可能なら知的生命体が存在していたとしても不思議ではないやろうけど、その痕跡すら見つかっとらんのやから俺等のような動物はおらんのとちゃうか?でも、まあ、今のところ海岸線付近の限られた場所しか調査できてないみたいやから結論は時期尚早かもしれんな。陸上適応型のバイオスーツが開発されたら俺等自身が探険できるようになるで。どっかの土地に俺の名前が付けられるかもな。そういえば、話は変わるけど、雑誌によると研究所内部には陸地での知的生命体の生活形態に付いて考案する機関も設立されてるみたいやで。例えば今のところ俺等は触手によって会話してるわけやけど、光線とか音波の周波数を変化させれば言語として利用できる可能性があるやろ?つまり、新しい感覚によって生活が一変するかもしれんねん。もちろん今までになかった芸術形態が生まれるかもしれんし、その生活にあわせた造語も必要になってくるやろ。研究所ではそういう問題に付いて考察していく機関があるみたいやけど、そこでは既に科学者たちが想像した将来像に基づく仮想現実の世界がコンピューターの内部に形成されてていろいろと実験が重ねられてるらしいわ。ただ、今のところ新種の感覚が脳にどのような影響を及ぼすかという事が未知数やし、お前が指摘したみたいに副作用が現れるかもしれんから俺等の代用として知能を引き上げるように改造した下等生物に仮想現実の世界を体験させてるみたいやで。でも、問題がなかったら俺もバイオスーツが開発される前に陸上世界とか新しい感覚とかをコンピューターの中で体感してみたいな。どんな発見があるのか興味深いやろ?」

 ××が語り続けている科学技術の発展が永続的な陸上生活を目指したものであるという事実にようやく気付いたので○○は信号を読み取りながら少しばかり当惑させられた。研究所が開発しようと画策しているバイオスーツは彼が常日頃から登下校などに利用して慣れ親しんでいる高速移動用の代物とはまったく性質が異なっているのだった。○○はそれが自分達の動物としての生態を根底から覆すという可能性を秘めているように思われた。そして、その直感に対して反射的に受け入れ難い違和感と恐怖を覚えたのだった。科学技術の発展や新世界への進出と行った夢については好奇心を抱いていたが、それでも懸念を払拭する事は容易ではないように思われていた。そこで、○○は××の説明が一段落するまで待ってから自分の危惧を表明した。

 「陸地に俺等と同じように強力な兵器を開発できるだけの知能を持った動物がおったら戦争になる可能性があるという心配が数年前から巷の話題になってたけど、そのバイオスーツが開発されたら悪夢が現実になるんとちゃうか?だって陸上で生活する連中には独自の文化が芽生えてくるやろうし、俺等が築き上げてきた社会体制の枠内に留まりたくないと考えるようになるかもしれんからな」
 ××は○○の体液に興奮を示す分泌物が含まれはじめたという事に気づいて満足した。一連の説明によって自分達の間に少しずつ共感が生じつつあるという事を確信したのだった。○○の見解は相変わらず懐疑的な姿勢を示すものだったが、××は気持ちを苛立たせずに悠然と情報を提供した。むしろ心中の懸念材料としては疲労と睡魔によって触手の動作が一段と鈍くなってきているという点が大半を占めていたのだった。

 「その可能性は否定できんやろな。実際コンピューターで陸上生活を体感した下等生物は泳ぎ方を忘れる場合があるらしい。つまり、そのバイオスーツが開発されて数世代が経ったら俺等の中にも深海に戻って来れへん奴らが現れるかもしれんという事やな。でも、例えば俺等は肉体の接触によって性欲を刺激されたりするわけやから奴等が陸上生物としてどれだけ独立性を保てるかという事については未知数やな。バイオスーツの中身は俺等とまったく同じ本能を共有している動物なんやから時々は深海に戻ってきたいと思うやろう。それなら俺等と戦争でも起こして故郷から完全に排斥されるなんて事態は連中にとっても望ましいものではないやろな。もし片方の勢力が圧倒的に優勢やったら短期決戦で片付くという場合も考えられるけど、研究所の科学的成果については俺等の耳にも入ってくるわけやから軍事力についても大差がつくとは思えへんな」

 ○○は研究所が世間に対する十分な説明を行わずに自分達の生活に重大な変革を与える可能性を秘めたバイオスーツの開発を始めたという事実に憤りを感じていた。××の楽観的な予想に対しても反発を覚えていたが、周囲の海水に洗浄液の匂いが漂い始めたので一刻も早く廊下から退散しなければならないと考えた。掃除の時間になったのだった。○○はその液体の特異な刺激臭を嫌悪していて既に息苦しいような感覚に襲われていたので××に対して提案した。
 「場所を替えよっか?ここで立ち話をしとったら掃除の邪魔になるやろ?」
 ××にとっても洗浄液の刺激臭は嫌悪の対象だったので基本的には○○の提案に同感だった。しかし、この機会を逃すと議論がかなり長引くかもしれないと言う懸念が心中に去来したので??は対案を示してみた。
 「悪いけど、俺はほんまに眠なってきたから話の続きは明日に持ち越してくれへんかな?たぶん教室で会えるやろ?」
 ××の睡魔については触手の動作や体液の分泌物などから推察できていたので○○はもはや彼を拘束し続ける事は道義に反すると判断した。そこで、二人は最後に別れの挨拶を交わして明日の再会を誓い合ってから互いの触手から離脱したのだった。