電信柱恋物語 抱擁編 | 山田小説 (オリジナル超短編小説) 公開の場

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 男は電信柱に腕を回し、優しく抱擁しながら頬を押し付ける。コンクリートの無骨な感触に意識を傾倒させる。仕事で蓄積された疲労が意識外に放逐され、瞬く間に恍惚状態が訪れる。至福の一時である。男は体を沿わせたまま電信柱を見上げる。星空が視界に入る。この宇宙に自分と電信柱だけが存在していると思い込み、その夢想を弄ぶ。それから男は静寂を望みながら目を閉じる。今は誰の声も聞きたくない。瞼の裏側を煩わせる自動車のヘッドライトも無視する。
 
 しかし、いつまでも抱擁し続けるわけにもいかない。深夜とはいえ、それなりに人通りはあるし、何よりもこの場所は自宅からあまり離れていない。もちろん誰かに目撃されたとしてもこの行為の真意が簡単に見抜かれるとは思えないが、むしろ常人の理解が及ばないからこそ不審者扱いされる場合もあるだろう。それは近所だからこそ今後の生活に致命的な支障を起こす原因になり得る。しかも、男は酒で酩酊しているわけではなく、まったく普段通りの精神状態を保ったまま抱擁という行為に及んでいるのである。
 
 そして、男は通行人の気配を察知し、いつものように物足りなさを覚えつつ、体を電信柱から離す。足早にその場から立ち去りながら、明日はもっと夜遅い時間まで残業をしようか、などと考える。それに、誰かからあの行動の真意について詰問された場合の自然な弁明を今から準備しておくべきかもしれない、とも思う。或いは、街中が寝静まったような時間帯に自宅から忍び出てこの場所を訪れてみたいという願望を抱く。もし人目をまったく気に掛ける必要がない状況で電信柱と対峙すれば自分はどのような行動に出るだろうか、と考えてみる。とりあえず登ってみるだろうか?歩道にテントでも張って生活し始めるだろうか?男はそんな夢想を弄びながら自宅へと歩く。電信柱について考え始めると、いつも気持ちが普段よりも浮き立ってくるように感じられる。


電信柱恋物語シリーズ

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