詰まるところ自然状態の人間はたった五種程度の感覚器官を働かせる事でしか現実を知覚できない。この世界だけが私と他人とを接しさせてくれる唯一の場所であるにも関わらずである。しかし、そこにある欠陥を知性や想像力によって補完すればする程、頭の中で現実は独自性を獲得していく。知性と想像力のみが私と他人との間で通じ合う様々な記号を生み出してくれるにも関わらず、それらに付随する機能によって相違点が増幅し、どれだけの対話を積み重ねたとしても完全な共通認識を獲得する事は永久にない。どうやら人間はそれぞれ別個の世界観を持ちながら生きていく事を宿命付けられているらしい。
少なくとも私は疲れた。思索は孤独を自覚させる非情な作業でしかなかった。それと気付かずに長年に渡り、あまりにも多くの物事に関して際限もなく考察を重ねてきたのだった。今となってみると純粋に五感だけを頼りにして世界を認知したいという願望を抑え切れない。子供や動物のような単純さでもって世界と接したい。ぬくもりを確認し合うだけで充足したい。互いの差異には鈍感でありたい。かつての私は他者との意思疎通に関する限界を知らなかったはずだ。
とりあえず十体程度の肉体を用意しよう。それらをそれぞれ自動的に生活させ、感覚だけを私の脳に送信されてくるように設定する。そうしておけば私の意識は常に雑多な感覚で満たされ、思考を最小限に抑えられるはずである。私はより広く、鋭敏に世界を認知するわけである。良い考えだ。早速、今日からその準備に取り掛かる事にしよう。
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