ふと彼はやさしさに包み込まれたように感じ、そのぬくもりをより確かな感覚にしたいという欲求に駆られて彼女の肉体を抱擁した。記憶と同じ髪の香りが意識内を漂った。彼はその事実をじっくりと確認した。しかし、まだ充分ではなかった。掌が華奢な肋骨やしなやかな背骨の形状をゆっくりと認識した。完全にやさしさを真似る為には腕が何本も必要だった。強烈に愛したいと想い、愛されてほしいと願った。この抱擁されている生き物がどこで産まれ、どのように育ってきたのか、と考えてみた。彼は好奇心の発動を察知したが、今は黙り込んでいた。それはこれからたっぷりと時間を掛けて別の機会に知っていけるはずだった。しかも、既に断片的には聞かされていた。おそらくすべての認識を共有する事は永遠にないだろうが、そんな事は承知の上で、だからこそ興味の継続を期待できた。彼は彼女のゆったりとした呼吸を感じ取り、もはや少しも腕を動かさなかった。
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