多次元化していく | 山田小説 (オリジナル超短編小説) 公開の場

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短い物語ばかりですので、よろしくお願いします。

 機械加工の仕事に携わっていて職場の後輩から質問を受けた事がある。
 
 「この世界は三次元なのですか?」
 
 答えはNOである。フライス加工を習得し始めた新人が陥りやすい誤った世界観である。確かにマシニングを動作させる為にはXYZの三軸で空間を把握しておく必要があり、それができなければプログラム一つ組む事さえも不可能である。しかし、実際に機械加工の経験を積んでいくと、世界がそんな単純な構造で出来上がっているわけではないという事実を否応なしに突き付けられる。例えばエンドミルで鉄を切削していく場合、その工具は材料よりも硬くなければならず、加工部に発生した摩擦熱は鋼材を変形させる可能性がある。これらの現象は硬度や温度といった基準がこの世界において有効であるという事を実証している。それに、もし世界に時間軸がなければ主軸はA地点とB地点に同時存在するという状況が生じるかもしれず、或いは、A地点に幾つもの主軸が重複して存在しているかもしれない。しかし、実際にはA地点に主軸があった場合にB地点に主軸がないといったように、様々な基準において複合的に極めてデジタル的な「ある」「なし」の峻別が行われているのである。つまり、空間は三つの基準で把握できるかもしれないが、世界はより多くの次元が互いに影響し合いながら構成されているというわけである。
 
 ところで、私は専ら日本語に頼りながら思考を展開するので「空間」と「宇宙」が別物であると捉える事が比較的容易であり、むしろそのような思考展開が自然であるような気さえするのだが、中学校などで教わった英語では「空間」も「宇宙」も同じ「SPACE」という単語で表されていたはずであり、だとすると彼等にとって二つは未分別の概念であるので、英語圏の人々は「宇宙」という意味を伴わない純粋な概念としての「空間」を認識し難いはずであるのだが、にも関わらず銀河系や生物などの雑多な塵芥を含む「世界」をたった三つの基準で捉えようと試みた、その抽象化を希求する執念の強さみたいなものには単純に感心させられる。

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