最近流行の「信じるか信じないかは、あなた次第!」みたいな内容だが、今回は結界について述べてみよう。
我が国の結界、特に「鎮護国家の為の結界」は明治から機能していない。
「鎮護国家の為の結界」とは江戸と京都の二大結界のことであるが、京都の結界は天皇が御所にいてこそ成り立つようになっている。
天皇はこの結界の歯車の「芯」なのでそれが不在ということは歯車が回らないということだ。
では、天皇を御所に戻せば良いのか?
それだけでは不十分である。
現在の天皇は「天皇」ではなく「オオキミ」なので、そのまま御所に戻っても歯車は回らない。
↓参照
・「天皇の陰陽五行に於ける配置」
この京都の結界を復活させるには明治以前の大嘗祭を執り行いオオキミが「天皇」にならなくては理論上は無理である。
さて、江戸の「鎮護国家の為の結界」も破られている。
「幕府の作った風水都市設計」の上に「明治新政府の風水都市設計」がなされている。
◎死者を使役する発想
私が我慢ならないのはこれで、戦没者、戦災者たちは亡くなってからも働かされ続けているということだ。
実際に小泉政権が長期政権になり得たのは、結局は現職の総理大臣であった小泉が靖国神社を参拝することによってその結界の力が発揮されたと言えよう。
これは死者を使役するということである。
我が国の観点からしたら死者に対する冒涜以外の何ものでもない。
この死者を使役する発想は詳しく述べると長くなるので別の機会にするが、バチカンのカトリックやシナの儒教に特に顕著である。
戦前、「国の為に死ねば神になれる」と云う我が国の歴史や思想どこを探しても見つからない官製のカルト宗教を作り、「一君万民」つまり「天皇のもとにすべての人は皆平等」とかいって外国人でも安易に「日本人」になれるようにした。
富国強兵政策のもと思想統制の為に新しい歴史観である新「皇国史観」を創り、政府主導のもとに新興宗教を創り国教とした。
それが「国家神道」である。
その総本山こそが靖国神社である。
つまり死者を使役する靖国神社が盛んなればなるほど明治朝廷=現体制は安泰となる。
だからこそ現体制が脆弱になったら必ず靖国が争点として出されるのである。
◎「体制護持の為の結界」構造
この「体制護持の為の結界」構造について有名なところで以下の説がある。
先ず江戸城の結界は
表鬼門(北東・丑寅)に神田明神、寛永寺を配置
裏鬼門(南西・未申)に鬼門避けとして日枝神社を配置
南に増上寺、
北に日光東照宮。
配置された結界は一角が破られれば意味を為さない。
その上で三つの霊園と築地本願寺による正方形の結界を四方に配置して明治体制の結界とした。
↓参照
・「東京は死者に守られている霊的要塞都市である」
上記の結界配置をみれば一目瞭然であるが、つまり「鎮護国家の為の結界」と「明治体制護持の為の結界」とはまったく別モノなのである。
ここのところが現在のヘボ占い師もヘボ風水師も殆ど分かってない。
だから先の大地震で東京の結界に亀裂が入ったとか大騒ぎ。
こんな死者を蔑ろにする「明治体制護持の為の結界」なんぞ破れてしまえ!!
◎その象意
靖国神社の真南の国会議事堂の意味として、
南は九星で云えば九紫火星。
象意は頭脳、発明、名誉、栄光、勲章、賞状、装飾、大臣、重役、
等々とある。
つまり明治朝廷の立てたその象徴たる国会に出入りする人が栄えるようにするための配置と言える。
つまり、現体制を壊すには明治以前みたいに
一、各本山に天皇の勅願で大施餓鬼法要を執行させ戦没者、戦災者の霊を解放し靖国の結界としての意義を無効化するか、
二、若しくは靖国を寺にするか、
三、靖国の裏に寺を立ててその結界を無効にしてしまうか、
四、靖国を破壊する
といったことが考えられる。
ただ問題は異なる結界構造は作り直さなければならない。
国を護るための三つのお経、護国三部経の一つ仁王経(にんのうきょう)に
「国土乱れん時、先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る」
国土が乱れると云うのは霊が乱れてるんだと云う意味だが、これを鎮める装置は必ず必要となる。
しかし、現体制はこういったことを更に弾圧していくであろう。
◎マーキング
ちなみに「明治体制護持の為の結界」の一角、「多磨霊園みたま堂」は既にマーキングされている。
・「多磨霊園みたま堂 画像」
この「みたま堂」の内部構造の象徴的な設計様式は、日本の文化、仏教、神道、とはまったく異質で、我が国の伝統文化にまったく背反するものである。
すなわち「目」の如きものを天井に、「ピラミッド」の如きものをドームの真ん中に構築すると云うものであり、これは明らかなサインであろう。
これは日本の文化の精髄をなす神仏習合、仏教、神道等の観念や思想、理念、伝統を、日本民族の心を、まったく破壊するものであり、そういう目的で作られたとしか見ざるを得ない。
我が国の結界、特に「鎮護国家の為の結界」は明治から機能していない。
「鎮護国家の為の結界」とは江戸と京都の二大結界のことであるが、京都の結界は天皇が御所にいてこそ成り立つようになっている。
天皇はこの結界の歯車の「芯」なのでそれが不在ということは歯車が回らないということだ。
では、天皇を御所に戻せば良いのか?
それだけでは不十分である。
現在の天皇は「天皇」ではなく「オオキミ」なので、そのまま御所に戻っても歯車は回らない。
↓参照
・「天皇の陰陽五行に於ける配置」
この京都の結界を復活させるには明治以前の大嘗祭を執り行いオオキミが「天皇」にならなくては理論上は無理である。
さて、江戸の「鎮護国家の為の結界」も破られている。
「幕府の作った風水都市設計」の上に「明治新政府の風水都市設計」がなされている。
◎死者を使役する発想
私が我慢ならないのはこれで、戦没者、戦災者たちは亡くなってからも働かされ続けているということだ。
実際に小泉政権が長期政権になり得たのは、結局は現職の総理大臣であった小泉が靖国神社を参拝することによってその結界の力が発揮されたと言えよう。
これは死者を使役するということである。
我が国の観点からしたら死者に対する冒涜以外の何ものでもない。
この死者を使役する発想は詳しく述べると長くなるので別の機会にするが、バチカンのカトリックやシナの儒教に特に顕著である。
戦前、「国の為に死ねば神になれる」と云う我が国の歴史や思想どこを探しても見つからない官製のカルト宗教を作り、「一君万民」つまり「天皇のもとにすべての人は皆平等」とかいって外国人でも安易に「日本人」になれるようにした。
富国強兵政策のもと思想統制の為に新しい歴史観である新「皇国史観」を創り、政府主導のもとに新興宗教を創り国教とした。
それが「国家神道」である。
その総本山こそが靖国神社である。
つまり死者を使役する靖国神社が盛んなればなるほど明治朝廷=現体制は安泰となる。
だからこそ現体制が脆弱になったら必ず靖国が争点として出されるのである。
◎「体制護持の為の結界」構造
この「体制護持の為の結界」構造について有名なところで以下の説がある。
先ず江戸城の結界は
表鬼門(北東・丑寅)に神田明神、寛永寺を配置
裏鬼門(南西・未申)に鬼門避けとして日枝神社を配置
南に増上寺、
北に日光東照宮。
配置された結界は一角が破られれば意味を為さない。
その上で三つの霊園と築地本願寺による正方形の結界を四方に配置して明治体制の結界とした。
↓参照
・「東京は死者に守られている霊的要塞都市である」
上記の結界配置をみれば一目瞭然であるが、つまり「鎮護国家の為の結界」と「明治体制護持の為の結界」とはまったく別モノなのである。
ここのところが現在のヘボ占い師もヘボ風水師も殆ど分かってない。
だから先の大地震で東京の結界に亀裂が入ったとか大騒ぎ。
こんな死者を蔑ろにする「明治体制護持の為の結界」なんぞ破れてしまえ!!
◎その象意
靖国神社の真南の国会議事堂の意味として、
南は九星で云えば九紫火星。
象意は頭脳、発明、名誉、栄光、勲章、賞状、装飾、大臣、重役、
等々とある。
つまり明治朝廷の立てたその象徴たる国会に出入りする人が栄えるようにするための配置と言える。
つまり、現体制を壊すには明治以前みたいに
一、各本山に天皇の勅願で大施餓鬼法要を執行させ戦没者、戦災者の霊を解放し靖国の結界としての意義を無効化するか、
二、若しくは靖国を寺にするか、
三、靖国の裏に寺を立ててその結界を無効にしてしまうか、
四、靖国を破壊する
といったことが考えられる。
ただ問題は異なる結界構造は作り直さなければならない。
国を護るための三つのお経、護国三部経の一つ仁王経(にんのうきょう)に
「国土乱れん時、先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る」
国土が乱れると云うのは霊が乱れてるんだと云う意味だが、これを鎮める装置は必ず必要となる。
しかし、現体制はこういったことを更に弾圧していくであろう。
◎マーキング
ちなみに「明治体制護持の為の結界」の一角、「多磨霊園みたま堂」は既にマーキングされている。
・「多磨霊園みたま堂 画像」
この「みたま堂」の内部構造の象徴的な設計様式は、日本の文化、仏教、神道、とはまったく異質で、我が国の伝統文化にまったく背反するものである。
すなわち「目」の如きものを天井に、「ピラミッド」の如きものをドームの真ん中に構築すると云うものであり、これは明らかなサインであろう。
これは日本の文化の精髄をなす神仏習合、仏教、神道等の観念や思想、理念、伝統を、日本民族の心を、まったく破壊するものであり、そういう目的で作られたとしか見ざるを得ない。