こんにちは わんわん




前回の記事では 日本社会における ”学歴” に ついて 考えました。

 

その中で 最近 実際に起こった ”高学歴者” による・・・

 

ある意味 ”悪質” な ”交通事故” の 話題も 取り上げました。メモ

 

 

 

 

 

私たちは この人生で 誰でも ”過ち(あやまち)” を 犯します。

 

言い換えれば この人生で ”罪(つみ)” を 犯すわけです。

 

つまり 私たちが そのような ”罪を犯した人間” に対して・・・

 

”一方的” に さらには ”高圧的” に・・・

 

その人間の ”罪を追及する” ということは・・・

 

ある意味 ”身の程知らず” の ”愚かな行為” です。ショック!あせる 

 

 

 

 

 

 

しかし 私たちが これまでの ”道徳観” に 照合してみても・・・

 

その事故の 当事者である 高齢ドライバーは・・・

 

極めて ”悪質” だった と 考えられるわけです。 

 

では そのドライバーが なぜ ”悪質” と いえるのか?

 

それは 世界的にも 有名である ”旧約聖書” にも 書かれている・・・

 

人類における ”原罪(げんざい)” に 該当する 内容だからです。注意

 

 

 

 

 

今回の記事では その ”原罪” について かつて 取り上げました・・・

 

”旧約聖書の内容” を ここで 改めて ご紹介します。

 

この内容は 宗教を問わず 人間にとって 極めて 重要な 内容です。星






では 人類にとっての ”原罪(げんざい)” とは・・・ 

いったい どのような ものでしょうか?

以下の内容は キリスト教や イスラム教での 聖典でもある・・・

”旧約聖書” での ”創世記” に 記されている内容です。本







”神” は ”楽園” に・・・

 

”人( ”アダム” と ”イヴ” )” を 置き・・・ 

”あらゆるものを 食べて良い” と 命じたが・・・

その中でも ただひとつ ”善悪を知る果実” だけは・・・りんご  

取って食べると ”死ぬであろう” と 仰せになり・・・

 

ふたりに その実を 食べることを ”禁じた” のであった。





しかし その後 ”ヘビ” に そそのかされた ”イヴ” が・・・ヘビ 

 

”神の命令” に ”背いて(そむいて)” しまい・・・

 

その 食べてはならない ”善悪を知る果実(禁断の果実)” を・・・

 

あろうことか ”欲望” に 負けて 食べてしまった。

さらには ”イヴ” に 勧められた ”アダム” も 食べてしまったのである。 

 

 

 

 

それは ”イヴ” と ”アダム” が・・・

それぞれ ”自分の意思” によって 犯してしまった・・・ 

まぎれもなく ”責任ある罪” を 意味した。




 

ふたりが この ”善悪を知る果実” を 口にした結果・・・

 

アダム と イヴ の ”無垢(むく・純粋性)” は 失われてしまい・・・

 

自分たちが ”裸” であったことを ”恥ずかしい” と 感じるようになり・・・

 

それぞれの ”局部” を ”イチジクの葉” で 隠すようになった。






その ありさまを すべて 見ていた 神は・・・

”命令に背いた” アダム と イヴ に 対して・・・ 

おまえたちは ”何を 行ったのか?” と 問いかけたが・・・
 

 

 

 

 

アダム は・・・

”神 に 創られた イヴ” が 勧めたから として・・・

”神” と ”イヴ” に ”責任転嫁(てんか)” を してしまった。

 

 

 

そして イヴ は・・・

 

そんな アダムと 同様に・・・

”ヘビ” に 騙されたから と ”責任転嫁” を したのであった。






この ”神の問いかけ” というのは・・・

 

”楽園” に おける アダム と イヴ に 対する・・・

 

人間としての ”罪の自覚” を 促すものであり・・・

 

それは ふたりに対する ”悔い改めの機会” を 与えるものであった。

 

 

 

 

 

しかし アダム も イヴも ”自分自身の罪” を ”逃れる” ために・・・

 

神の前であっても ”責任転嫁” に 終始してしまい・・・

まったく 神の意思に 応えなかったのである。






そして 神は イヴ に 対しては・・・

”産みの苦しみ” (出産時の激しい苦しみ) と・・・

 

”夫からの支配” (男性に支配される苦しみ) を 与えたのである。

 

 

 

 

 

そして アダム に 対しては・・・

大地 から ”食物を取る(獲得する)” ために 起こりうる・・・

 

”労働による苦しみ” というものを・・・

さらには ”土にかえること(死)” を 意味する・・・

 

”死による苦しみ” が 起こることを 預言したのであった。






そして ”楽園” では ”裸” で 暮していても よかったが・・・

 

神は アダム と イヴ の ために・・・

”皮の着物” を 造って それを アダム と イヴ に 着せた。

そして 神は・・・ 

”人 (アダム と イヴ)” を ”楽園” から ”追放した” のである。 

 

(これが いわゆる ”失楽園” の 語源です)




~以上が 旧約聖書における 創世記の 重要な説話でした。~本

 

 

 

 



この アダム と イヴ の 説話は・・・

 

宗教・宗派によって その解釈が さまざまに あるようです。

しかし その ”本質” は・・・

”神の命令” に ”そむいた人類” が・・・

”楽園” から ”苦痛の世界” へと ”追い出されてしまった” という内容です。しょぼん 






しかも 自分たちの ”責任” を まったく 認めず・・・

”他者” に ”責任” を ”転嫁(てんか)” したことが・・・

”神の怒り” を 完全に 買ってしまったようです。雷雷

 

 

 

 

 

 

そして 神が ふたりに ”死ぬであろう” と 警告していたように・・・

 

人間は ”永遠に生き続ける” という 権利を ”剥奪” されて・・・

 

やがて だれもが ”死の苦しみ” を 経験しなければ ならなくなったのです。しょぼんあせる

 






これが 人類の ”原罪(げんざい)” と 呼ばれる・・・

 

人間 すべてに 備わっている ”元々の罪” として 表わされています。

つまり 私たち ”すべての人間” における・・・

 

生まれてくる前の ”前世” での ”行いの悪さ” を ”暗示” しているのです。

それで 私たちは その ”罰(ばつ)” として・・・

 

この ”苦痛の世界” で 生きることになった というわけです。目






また この内容は・・・

 

原始仏教における ”ブッダの思想” にも 似ています。

それは ”神の命令” が ”ブッダの思想” での ”宇宙の法(ダルマ)” であり・・・

私たちは ”前世” で ”宇宙の法” に ”そむいた” ことをしたから・・・

この世で ”苦痛” を 味わっている・・・と 解釈できます。しょぼんあせる

 

 

 

 

 

 

つまり ”人間の罪” というものは・・・

生まれてくる前の ”前世” から 行われていると 考えられ・・・

 

これが この世界の ”真理” であると 考えられます。星






旧約聖書での 内容も・・・

人類に対して ”わかりやすい表現” をすることで・・・

その教えを 広く 理解させるための ものでした。

そして アダム と イヴ の ”罪” というものも・・・

”裏切り” や ”責任転嫁” という ”重罪性” を 示したものですね。目

 

 

 

 

 

 

前回の記事での 高齢者ドライバーが・・・

 

なぜ 極めて ”悪質” であったと 言えるのか?

 

それは 彼が 自動車の運転中に ”重大な過失” を 犯してしまい・・・

 

その結果 二人の人間を ”殺害した” だけでなく・・・

 

その ”事故原因” を 自分ではなく ”車のブレーキ” に あった・・・

 

つまり 自動車メーカーにあると ”ウソをついた” からです。 べーっだ!

 

 

 

 

 

 

これこそが ”責任転嫁” という 行為であり・・・

 

人類全体における ”前世からの重罪” を 意味するのであり・・・

 

それは 人間としての ”最悪の行為” ということが 明白なのです。ドクロ 

 

 

 

 

 

 

 

つまり この ”責任転嫁” という 行為は・・・

 

自分を ”守ってくれる神” すらも ”敵に回す行為”  に なります。

 

それは 人生における ”最悪の行為” であり・・・

 

そこからは 何者からも ”救われない” ことを 意味します。

 

私たちは この内容を 決して 忘れては ならないのです。目

 

 





人間とは この世に ”何をするため” に 生まれてきたのか?

 

ここでの 旧約聖書での 創世記の 内容とは・・・

”人生の意味” を ”暗示” している 極めて重要な 内容です。

この意味が 私たちが 正確に 理解できれば・・・

 

私たちは この人生で ”新たな罪” ”更なる罪” を 犯すことなど・・・

決して あっては ならないと わかります。ひらめき電球

 

 

 

 

 

 

人類は このように 生まれる前の ”前世” から・・・

 

ある意味 ”重い罪” を ”背負って” ここまで 来ているのです。

 

そして そのことを ”自覚する” ことが 何よりも 重要です。注意

 

 

 

 

 

 

つまり それが 神が 説いていた この世界の ”真理” なのであり・・・

私たちは 自分自身が 背負い続けている ”罪” というものを・・・

 

この人生で ”自分の責任” として ”償う(つぐなう)” 必要が あるのです。目


 



私たちは ”死後の来世” で・・・

 

宇宙の中にある ”楽園” に ”戻る” ためにも・・・

 

自分自身の ”罪(原罪)” を ”自覚する” ことによって・・・ 

自分自身の ”責任” と ”努力” によって・・・

この人生を ”最期(さいご)の瞬間” まで 生き続ける 必要が あるのです。星

 

 

 

 

 


皆様も このたびの ”重大な交通事故” を・・・

 

決して ”他人事” であると 考えるのではなく・・・

 

それは ”明日は我が身” と お考え下さい。ガーン

 

 

 

 

 

 

そして 今後の人生では ”すべて” に おいて・・・

 

誰にも ”責任転嫁” しないで・・・

 

”すべて” を ”自分の責任” として 考えるべきです。目

 

 

 

 

 

 

 

そのような 自分に対しての ”厳しい考え方” を することで・・・

 

”神” や ”仏” を ”敵に回す” ことも なくなります。

 

その結果 ”神の加護” や ”仏の加護” も 受けられるようになり・・・

 

人生における ”最悪の結果” を ”回避する” ことも 可能になり・・・

 

私たちは この人生を ”幸福” に 生きることが 可能になると 考えられます。星

 

 

 

 

 

 

それによって 私たちは ”現世” だけでなく・・・

 

”死後の来世” においても ”幸福” が 実現されるのです。

 

皆様も ここで ”旧約聖書” の 内容を 振り返られて・・・

 

”人間” として ”生きる意味” について・・・

 

ここで 改めて 慎重に お考えになってみては いかがでしょうか?ニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(※) 以下は ”原罪” に 関連した 過去記事ですので お読み下さい

 

 

   ”人間の 宿命 とは?”             記事は こちらから お読み下さい星

 

 

   ”人生とは 苦痛の刑務所 かもしれない”  記事は こちらから お読み下さい星