こんにちはわんわん



今から 約2500年前に 登場した・・・

原始仏教としての ”ブッダの教え” とは 何を 意味するのか?

それは 私たちの ”未来” を ”予言” するものと 考えられます。星




私たちの ”未来” というのは・・・

その後で 起こるべく ”苦しみの出来事” を 示します。

そして それが 起こるべく ”原因” というのは・・・

紛れもなく ”自分自身にある” ことを ブッダは 説いています。

さらに 自分自身の ”死後の来世” が どうなるのか? というのも・・・

それは ”自分次第である” ということが 説かれているのです。ガーン 




今回の記事でも 前回の記事での 続きである・・・

原始仏典スッタニパータの 第2章 第7節の内容を 考えますが・・・

この内容も 2015年に 先行して 考えておりました。

今回の記事も その内容を 再編集して ご紹介いたします。メモ




※ ※ ※



原始仏典には 今から ”2500年前” の 出来事が 書かれています。

しかし その内容は 現代の 私たちが生きる社会にも 通用する内容です。

それは この世界での “真理” が 示されているからです。星




今回の記事でも 引き続き 原始仏典スッタニパータを 考えますが・・・

今回 取り上げます 第二章 第七節 の 内容というのは・・・

現代の 日本社会での “常識” に 対する・・・

”重大な警告” を 意味しているとも 考えられます。雷




その第七節は かなり 長い内容ですので・・・

ここでは その ”要約” を ご紹介します。

皆様も 原典である “ブッダのことば スッタニパータ (岩波文庫版)” とともに

ここでの内容を お読みいただきたいと 思います。本




~それでは 以下が 第二章 第七節 “バラモンにふさわしこと” の 内容です~




昔の ”仙人(バラモン・聖人)” たちは ”苦行者” であり・・・

”五欲(色・声・香・味・触)” を ”捨てて” 自分の理想を 追求していた。

バラモンたちには 家畜も 黄金も 穀物もなく・・・

ヴェーダ(経典)や ブラフマン(神)を ”宝(財産)” としていた。

そして 在家信者たちは バラモンたちに きちんとした食事を 提供して・・・

さらに 彼らを ”尊敬” していた。




バラモンたちは ”48年間” ”性的な交わり” を 一切 避けていた。

また 彼らは 自分の妻を 大切にしていた。

バラモンたちは 不淫行・戒律・正直・温和・従順・・・

苦行・不傷害・耐え忍び・・・というものを 大事にした。

中でも ”最上のバラモン” は・・・

”淫行(性交)” を 夢に見ることもなかった。

聡明な人々は そんな バラモンたちに ならいつつ ”尊敬” していた。




そして 神に対する ”祭祀(まつり)” の 際には・・・

”牛(いけにえ)” を 殺すことも なかった。

彼らは 牛たちを ”家族同然” だと 考えており・・・

牛たちを ”最上の友” とも 考えていた。

それは ”牛乳” からは ”薬(食品)” も 作られるからである。

だから 彼らは 牛たちを 殺すことは なかった。




そして バラモンたちは その肉体も 美しく 社会的にも 名声を得ていた。

それは 彼らが 人間として ”為すべきこと” を 為し・・・

”為さぬべきこと” を 為さぬことに 努力していたからである。

そんな バラモンたちが 居続けていた間は 社会は 栄えていたし 幸福であった。




しかし その後 バラモンたちに ”異なる考え方” が 起こってしまった。

それは 彼らが ”王者の栄華” や ”盛大な化粧をした女性” を 見慣れたことで・・・

”立派な馬車” や ”美しい縫物” や ”快適な住居” を 見慣れたことで・・・

バラモンたちは そのような ”人間の享楽” に 浸りたいと・・・

(本来の立場を忘れて) ”熱望する” ようになった。



そして 彼らは ”経典の呪文” を 作り上げて・・・

時の権力者である 王様のもとに 赴いて・・・

”王様が所有する 数多くの財宝を 守るためには・・・

神に対して 祭祀(まつり)を 行いなさい。” と 言った。

そして その王様は そのために ありとあらゆる 祭りを行って・・・

バラモンたちに その ”報酬” として ”財産” を 分け与えたのである。



牛 寝具 美しい女性 美しい衣服 立派な馬車 美しい縫物 立派な住居 食料・・・

王様は バラモンたちに それらを 十分に与えた。

さらに 彼らは それらが ”増える” ことを 願った。

彼らは 欲に溺れて ”欲望” が ”増長” することになった。



バラモンたちは さらに 呪文を作り出して 王様のところへ 向かうと・・・

”水や 土地や 黄金や 財産が ”人間のための用具” であるように・・・

牛も ”人間のための用具” である。

そして バラモンたちは・・・(王様の数多くの財産を 守るためには)

”(神々に対して)祭祀(まつり)” を 行いなさい・・・” と 言った。



そこで 王様は バラモンたちの 奨めに乗って・・・

祭りでは それまで 大事にしていた ”数千・数百頭の牛” を・・・

(いけにえとして) ”屠殺(とさつ・殺生)” したのである。



牛は 羊のように 柔和であり・・・

決して 他の生物を 害することがなく・・・

たくさんの 牛乳も 生みだしてくれる。

しかし 王様は そんな牛たちを 無数に ”殺した” のである。 




刃が 牛たちに 落とされる時・・・・

さまさまな 神々は “不法な (真理に反する) ことだ!” と 叫んだ。




昔は 人間には ”欲” と ”飢え” と ”老い” という・・・

”3つの病(苦しみ)” が あっただけであった。

ところが 人間たちは 諸々の祭祀のために 家畜たちを ”殺し始めた” ので・・・

人間には ”98種類の病(苦しみ)” が 発生してしまったのである。




このように ”殺害のための武器” を ”不法” に 下すことは・・・

昔から行われて 現在に 伝わっているが・・・

何も害がない 牛たちが 殺されている。

つまり 祭祀を行う 人間たちは・・・

”理法(真理)” に ”背いている” のである。

このような ”つまらない習俗(習慣)” というのは・・・

”識者(正しい判断力を持っている人)” は ”非難” すべきものであり・・・

このような 祭祀を行う 人間たちは ”非難” されるべきである。




このように “法(理法)” が 廃(すた)れた時・・・

人間世界では “差別” も 発生し・・・

一般民は ”庶民(ヴァイシャ)” と ”隷属民(シュードラ)” に 分裂した。

また 諸々の王族も 分裂して (欲望のために)争うことになり・・・

その妻たちも 夫たちを ”蔑む(さげすむ)” ように なったのだ。




そして 王族たちも・・・

神の親族である バラモンたちも・・・

カースト制度で 守られていた さまざまな人間たちも・・・

自分たちの ”出生の地位” による ”誇り(プライド)” も 捨ててしまい・・・

人間としての ”欲望” に 支配されることに なったのである。




以上が 第二章 第七節 “バラモンにふさわしいこと” の 要約の内容でした。本





前半に登場した ”昔の仙人(聖人)” としての バラモンたちは・・・

”理法(真理)” に 従って 生活をしていました。

そして そんな 彼らのおかげで 人間社会は “尊敬” に あふれ・・・

社会全体も 争いごとも少なく ”平和” であり・・・

そして 人間たちは ”幸福” で あったのです。ドキドキ




ブッダが生きていた 当時の インド社会は・・・

”バラモン(ヒンズー)教” が 中心であり・・・

そこでは ”カースト制” という ”身分制度” が 存在していました。

バラモンとは ”司祭” という意味の 宗教上 重要な地位であり・・・

一般民衆は バラモンたちに 食事や 衣類を ”布施する(与える)” ことで・・・

自分たちも ”徳を積む” ことを 目指していました。クローバー




その ”バラモン教” の 思想とは・・・

人間は この世で行った ”行為(業・カルマ)” が 原因となって・・・

”次の世(来世)” の ”生まれ変わりの運命(輪廻)” が 決まってしまう というものです。

それゆえに 民衆は ”悲惨な状態” に 生まれ変わる事に 不安を抱き・・・

無限に続く ”輪廻転生(りんねてんしょう)の運命” から ”抜け出す” という・・・

”解脱(げだつ)への道” を 求めていたのです。星




しかし その後 バラモンたちに ”異なる考え方” が 起こりました。

それは 人間たちによる さまざまな ”欲望の実現” に対して・・・

本来の ”修行者の集団” である バラモンたちは・・・

”欲望の実現” を ”熱望する” ように なったからです。ラブラブ




そして 彼らは どうしたのか? といえば・・・

時の ”権力者” である 王様にとり入って・・・王冠1

自分たちが作った ”呪文” を 唱えて ”祭り” を 行えば・・・

あなたの財産は 守られる などと ”言いくるめた” のです。

さらには それまで 決して 殺すことがなかった ”牛” たちを・・・

”いけにえ” のために ”殺し始めた” のです。ドクロ




本来 ”殺す必要” が 全くない 牛や 家畜たちを・・・

”人間の欲望” のために ”殺す” ことを 始めてしまった。

それが 何を 意味するのか? といえば・・・

それまで ”3種類” であった ”人間の病” や ”人間の苦しみ” が・・・

”98種類” にまで ”増やして” しまった・・・ということが 示されています。

これは 現代に生きる 私たちに対する “重大な警告” でも あるようです。目




ブッダが なぜ 当時の バラモンたちを ”批判” していたのか?

それは 民衆を ”正しい道” に 導くべき 彼らが・・・

最も 重要である “理法(真理)” を ”忘れてしまった” からであり・・・

その結果 彼ら自身も そして 周囲の民衆たちをも・・・

”数多くの苦しみ” の 渦の中へ 導いていたからです。しょぼん 台風




その結果 一般民衆には “差別意識” も 発生してしまい・・・

“庶民階級” だけでなく それよりも ”下層階級” としての・・・

”隷属 (賤民)階級” が 発生したのです。

これは 人間が ”自分の欲望” を 満たすためには・・・

”同胞の人間” も ”利用する” ことを 考え始めたからです。 

こうして インド社会には 人間同士が “尊敬する” のではなく・・・

人間同士が ”蔑む・軽蔑する” という意識が 広まったわけです。 

それが 現代にまで続く 人間社会での “差別による苦しみ” なのです。しょぼん




また 後半での ”欲望に満ちたバラモンたち” というのは・・・

”現代に生きる私たち” を 意味しているとも 考えられます。

その理由は ブッダの死後 原始仏教は 北と南の 二つに ”分裂” しました。

一つは ”南伝仏教” としての “上座部(小乗)仏教” へ・・・

もうひとつは “北伝仏教” としての ”大乗仏教” へ 分かれました。Y




そして 日本に 6世紀(538年)に 到来した・・・

“北伝仏教” としての “大乗仏教” の 思想というのが・・・

まさに 2500年前の ”欲望に満ちたバラモンたち” と 同じように・・・

さまざまな経典から ”呪文” を 作り出し・・・

”権力者たちの欲望” を ”守る” ための・・・

さらには ”人間の欲望” を ”増やす” ための 思想だったのです。(※)

それは 現代の私たちも なじみが あるように・・・

いわゆる “ご利益(りやく)” という言葉で ”全面肯定” されてきました。¥





そして 本来の “原始仏教” では・・・

さまざまな 生物を ”殺してはならない” と 説かれていましたが・・・

私たち 日本人は ”自分が生きるため” という ”欲望” のために・・・

さらには ”おいしいものを食べたい” という ”欲望” のために・・・

仏教における 極めて 重要である・・・

”教義” や ”戒律” までも ”変えて” しまい・・・

さまざまな 生物や 家畜たちを・・・

”殺して食べる” ことを ”全面肯定” してしまったのです。ドクロ  




つまり 日本社会は このように・・・

”大乗仏教の思想” が ベースになっていることは・・・

ここで 示されているように さまざまな ”苦しみ” が・・・

今後も ”さらに増える” ことを 意味しています。

私たちは ここで これまでの考え方を・・・

”根本的に変える” ことが 必要であると 思われます。ひらめき電球

 


そのためには 私たちは・・・

これまでの “日本人としての常識” から ”離れる” べきであり・・・

私たちは ”殺す必要のない生物” は ”絶対に殺さない” ことが 重要なのです。 目





現代社会においても ”原因不明の病” というものが 存在しますが・・・

これは おそらく ”食生活” が 原因ではないか? と・・・

以前 このブログでも 書いたことがありました。(※)

また それは 他の生物を ”何も疑いなく殺す” ことで 起こっている・・・

”肉食” が 原因であるとも 考えられるのです。おうし座 ぶーぶー うお座





私自身 2012年から ”ブッダの教え” を 深く学ぶことができ・・・

その後 ”すべての肉食をやめる” ことを 実践しております。

それは ”間接的” にも ”無益な殺生をしない” ために そうしました。

また 自分の内部に・・・

“凶暴な縁(えん)” を ”作らない” ためにも そうしました。(※)

しかし そんな生活を 続けていても・・・

私の健康状態は ”良好” を 維持し続けており・・・

その結果 ”すべての肉食” は ”不必要” であることを 私は 悟りました。ひらめき電球




人間は ”自分の欲望” を ありとあらゆることで ”満足” させようとしますが・・・

それは 実は ”自分自身の苦しみ” を  ”増やす” だけのようです。

私たちは 今後の 人生において・・・

”取り返しのつかない苦しみ” を 受ける前に・・・

ブッダが 説いていた その教えを 実践して・・・

”苦しみのない人生” を 実現させるべきである と 思われます。ドキドキ





世界の主要な ”宗教” というものは・・・

人間の ”苦しみをなくす目的” で 始まっていたようです。

しかし 人類は ”目先の快楽” や ”目先の欲望” に 目がくらみ・・・ラブラブ

それまでの 貴重な ”教義や戒律” までも ”一変” させてしまい・・・

その結果 さまざまな ”苦しみ” を ”増やす という・・・

救いようのない ”愚かな行動” に 出てしまったようです。ショック!





現代に生きる 私たちは・・・

”ブッダの教え” を 幸いにして 正確に 知ることができます。

そして 私たちが この世界の “真理” を 知ることが できるのならば・・・星





私たちは これまでの “常識” に とらわれることなく・・・

“ブッダの教え” に 従って 生きることによって・・・

”苦しみのない人生” を 実現してゆきたいですね。ニコニコ



~以上が 2015年の 記事の内容でした。~



※ ※ ※




私たちが この人生で なぜ ”苦しむ” のか?

それは 私たちが ”理法(真理)” に ”そむいた生き方” を しているからです。

つまり 私たちが ブッダが説いていた ”真理” に 従って 生きてゆけば・・・

私たちは この人生で ”苦しまなくなる” のであり・・・

さらには ”死後の来世” でも ”苦しみのない存在” に なれるわけです。虹




しかし 私たちが ”真理” に ”背く(そむく)” ことになれば・・・

そこから ”苦しみ” が ”増える” ことが 発生してきます。

それは 仏典にも わかりやすく 示されているように・・・

”3つの苦しみ” が ”98の苦しみ” に ”増える” のであり・・・

そうなれば もはや  自分自身では ”手に負えない” ことに なってしまうのです。目




それを ”死後の来世” まで 考えてゆけば・・・

その世界が まさに ”地獄世界” を 意味するわけです。

そうなってしまえば 私たちは そこから 決して ”抜け出せなく” なります。

それが まさに ”取り返しがつかない状態” なのであり・・・

それが いわゆる ”手遅れの状態” なのです。しょぼん





私たちが ”地獄世界” へ 向かわないためには どうすればよいのか?

それは すべてが ”手遅れ” に なる前に・・・

”ブッダの教え” に 従って 生きることによって・・・

まず ”苦しみ” を ”増やさない生き方” を 選ぶことが 重要です。

それが ”真理” を ”悟った” という 状態です。

それが ブッダが 目指せと 言っていた ”理想の状態” なのです。星





私たちは 今後の人生でも さらなる ”苦しみ” が 待っています。

しかし それを ”拡大” するのも ”縮小” するのも・・・

すべては ”自分の生き方” に かかっています。

皆様も 未来において すべてが ”手遅れ” に ならないように・・・

”ブッダの教え” に 従って 生きられてみては いかがでしょうか?ニコニコ

  








(※)日本の仏教の 根本的な ”問題点” について 考えました・・・

   ”大乗仏教の弱点” の 記事は こちらです星




    ”肉食” の ”危険性” について 書きました・・・

    ”肉食は 苦しみの原因である” の 記事は こちらです星 

    ”肉食を やめた理由” の 記事は こちらです星

    
   

     さらに “原因不明の病” について 考えました 内容である・・・

     ”食欲を 捨てましょう” の 記事は こちらからどうぞ星