こんにちは わんわん



このブログでは 原始仏教としての ”ブッダの教え” を 考えております。

2012年から 私は 実際に ”ブッダの教え” を ”実践” しております。

そして そこで 気付いたことを このブログに 書いてまいりました。メモ




さらに 私たちは 幸いにして・・・

”ブッダの教え” が 詳しく 書かれている・・・

日本人として 極めて価値のある 書籍を 手にすることができます。

それは 東京大学 名誉教授であった 故 ”中村元(はじめ)氏” が・・・

昭和の時代に ”原始仏典 スッタニパータ” を 体系的に 日本語に翻訳した・・・

”ブッダのことば スッタニパータ” という 書籍です。本




私が この書籍を 手にしたのは・・・

”ブッダの教え” を 実践してから ”かなり後” のことでした。

そして その内容に触れて 驚きましたが・・・

私が 日頃 実践しながら ”考えていたこと” が・・・

その本の中に ”そのまま 書かれている” ことが あまりにも 多かったのです。

そして 私の 実践生活が 正しいことを 実感することにもなりました。ひらめき電球




先月の このブログでの内容も ”ブッダの教え” を 元にしたものでしたが・・・

ここで 私たちは ”原始仏典 スッタニパータ” を 読むことによって・・・

その内容を 改めて 正確に 読み取ることができると 考えられます。

今月からは 再び ”原始仏典 スッタニパータ” の 内容に戻り・・・

”ブッダの教え” について 深く 理解して参りたいと 思います。星





今回は スッタニパータ 第三章 第四節・・・

”スンダリカ・バーラドヴァージャ” の 内容を考えます。

この内容は とても 長いものですので ”巻末の注釈” に 従って・・・

以前と 同様に ”要約した内容” を 示します。

また その内容を 次回の記事と 二つに分けて 考えて参ります。

皆さまも 原典である ”ブッダのことば スッタニパータ (岩波文庫版)” と ともに

このブログの記事を お読み頂きたいと 思います。本



~それでは ”スンダリカ・バーラドヴァージャ” の 要約の内容を ご紹介します。~



ブッダが インドでの コーサラ国の スンダリカー河の 川岸に 滞在していたとき・・・

”バラモン階級” (バラモン教での最高位・司祭階級) の・・・

”スンダリカ・バーラドヴァージャ” という 人物が・・・

その川岸で ”火の祀り(まつり)” という ”バラモン教の儀式” を 行っていました。

そして 神に供えた ”供え物 (菓子などの食物)” を 下げることになり・・・

それを ”誰に 食べさせるか?” を 考えていたとき・・・

近くにいた ブッダの姿を 見つけて 近づきました。

そして ブッダに バラモン教での ”姓(身分階級)” を 尋ねます。

その理由は ”供え物” を 下げる際には・・・

”高貴な者” に 下げる(与える) ことが 必要だったからです。

しかし ブッダは 私は どの階級にも 属すことなく・・・

ただ ”遍歴 (あちこち歩き回る修行のこと)” を している者だ と 答えます。

そして ”姓” を 他人に 尋ねることは 正しくない とも 言いました。

そして スンダリカは ブッダが 優れた人物であると 理解し・・・

そこで ブッダに これまでの 自分の行為は 誤りであったことを 悟り・・・

どのような人物に ”供え物” を 与えるべきなのか について 尋ねるのです。

 

(ブッダは スンダリカに 答えた)


462 ”生まれ (生まれながらの地位)” を 問うことなかれ。(重視するな)

    ”行い (行為のありさま)” を 問え。

    ”火” は ”あらゆる薪(まき)” から 生じる。

    ※注釈・・・ここでの ”火” とは・・・

    ”生まれを知る者” つまり ”生まれた理由を知る者” を 意味しており

    これを知るのは ”特定の薪(人間)” だけに 限られない という意味です。

    
    賤しい家に 生まれても ”聖者” としての 強い意志によって 生きれば

    そして 恥を知り 慎めば ”高貴の人” となる。

 

463 真実 (真理) で 自分を制して

    諸々の感官(感覚) を 慎み(コントロールすること)

    ヴェーダ(知の経典) を 深く理解して 清らかな行いを 修めた人。

    ~そのような人に 供物 (菓子)を ささげよ。
   
     バラモンが 功徳を求めて 祀りを 行うのであれば~ (以下 この部分は 省略します) 



464 諸々の欲望を 捨てて 家なく歩み (遍歴すること)

    自制することができて 梭(ひ・織物で使う工具) のように まっすぐな人。




465 ”貪欲(むさぼり・欲望)” から 離れており 

    月が ラーフ (日食や月食を起こす鬼神)の 捕われから 脱したように

    諸々の感官を 静かに保ち 捕われのない人。




466 ”執著 (執着・しゅうちゃく)” することなく

    常に 心乱れる ことなく

    我が物と 執着したものを すべて 捨て去っており

    世の中を 歩き回る (遍歴する) ひと。(※)




467 諸々の欲望を 捨てており 欲望に 打つ勝つことができ

    ”生死の果て” (生物に 生まれ変わらない領域) を 知っており

    ”平安” に 帰しており (落ち着いていること)

    湖の水のように 清涼である ”全き人(まったきひと)”

    つまり ”如来(にょらい)” と 呼ばれる人。




468 ”全き人・如来” は・・・

    ”平等なるもの (過去の目覚めた人・諸仏のこと)” と 等しく

    ”平等ならざるもの (一般の人間)” から はるかに 遠ざかっている。

    かれは ”無限の智慧 (ちえ・真理)” が あって

    この世でも かの世(来世) でも 汚れることがない。




469 ”偽り(うそ)” も なく ”慢心 (傲慢な心)” も なく

    ”貪欲(むさぼり)” を 離れ

    ”わがもの (所有物)” として 執着することもなく (※)

    ”(すべての)欲望” を 持たず 

    ”怒り” を 除き こころ 静まり

    ”憂い (不安)の垢(あか)” を 捨て去っている

    バラモン (高貴な人) としての 全き人。




470 こころの執着を すでに 絶っており

    何ら とらわれることがなく 

    この世についても かの世(来世) についても とらわれない人。




471 こころを ひとしく(均しく) 静かにして

    ”激流 (人間界の激動した世界)” を 渡っており

    ”最上の知見 (全知者の智)” によって

    ”理法 (真理の法・ダルマ)” を 知っており

    ”煩悩(ぼんのう・欲望)” の 汚れを 滅し尽くしており

    ”最後の身体” を 保っている 全き人。

    ※注釈・・・“最後の身体” とは・・・ 

    これ以上 ”人間や生物に 生まれ変わることがない” ことを 意味します。

    ブッダは ”ニルヴァーナ” に 入ることができれば 可能になると 考えました。 


   

 
472 かれは ”生存の汚れ (生物としての 欲望の汚れ)” も

    ”荒々しい言葉 (内面から出る汚れ)” も 

    除き去られて 滅びており 存在しない。

    かれは ”ヴェーダ (知の経典)” に 通じており

    あらゆることがら から ”解脱 (げだつ)” している。


 

473 ”執着” を 超えていて ”執着” を 持たず 
    
    ”慢心 (傲慢なこころ)” に とらわれている者たちの中で

     慢心することもなく (※)

    ”畑 および 地所 (苦しみの起こる因縁・悪業や煩悩のこと)” と ともに

    ”苦しみ” を 知り尽くしている 全き人 (如来)。 




474 ”欲望” に 基づくこともなく

    ”欲望” から 遠ざかり 離れることを 知っており

    他人の教える 異なった見解を 超越して

    何ら こだわって とらわれることのない 全き人 (如来) は・・・

    ~お供えの菓子を 受けるに ふさわしい。~ 



今回の記事では ここまでの内容を 考えます。本




ブッダが 生きていた 当時のインドでは ”バラモン教” が 主流の社会でした。

それは ”生まれながら” にして ”階級” が 決められていたわけです。

上から バラモン(司祭・僧侶) クシャトリア(王族)・・・

ヴァイシャ(庶民) シュードラ(隷属民) 不可触民(最下層民)という・・・

大きく ”五つの階級” が 存在していました。

これは 現在のインド社会でも 根強く残っている ”差別意識” の 原因でもあります。ガーン




ブッダは もともと ”クシャトリア階級” であり・・・

つまり 王族としての ”シャカ族の王子” として 生まれていました。

しかし ここでは そのような ”生まれながらの階級意識” は 無用であり

人間とは ”行い(行為)” によって すべてが決まる と 説いていたのです。ひらめき電球




そして バラモン教での儀式での ”供え物” というのは・・・

”高貴な人” に 下げなければならない という 決まりがあるので・・・

ブッダに対して どのような人が ”高貴であるのか?” を 尋ねるわけです。

つまり ここで 展開される 内容とは・・・

人間として ”高貴である人” を 解き明かすことによって・・・

人間として ”完成されている人” を 解き明かしています。星 





それは まさに 私たちが この人生で 目指すべき・・・

“理想の人間像” を 解き明かしていると 考えられます。

つまり ブッダは 私たちに・・・

”高貴な人” になる 必要があると 説いているわけです。

それが 実現されることによって 私たちは・・・

”救われる条件” が 達成されることを 意味しています。目





そして そんな ”高貴な人” に対して・・・

”食物” などを 与えることができれば・・・

”与える側の人間” も ”功徳(くどく)” を 積むことができて・・・

そこで ”救われる” とも 説かれているのです。

これが ”本来の仏教” における ”布施(ふせ)” の 考え方です。クローバー
 





では 私たちが ”救われる” とは どういうことなのか? を 考えると・・・

それは ”ブッダの教え” が ”何を 目指していたのか?” を 知れば 理解できます。

最近 このブログの 読者になられた方も いらっしゃいますので・・・

ここで 改めて それについて 考えてみます。かお





”ブッダの教え” というのは・・・

人間が ”苦しみの原因” を ”取り除くこと” を 目的にしていました。

そして その方法が ”八正道(はっしょどう)” と呼ばれる 実践方法でした。(※)

つまり 私たちが ”ブッダの教え” を ”実践” すれば・・・

必然的に ”苦しみの原因” を なくすことができると 考えられます。星





しかし それを ”反対” から 考えれば・・・

私たちが ”ブッダの教え” に ”逆らう” 生き方を 選んでしまうと・・・

必然的に ”苦しみの人生” を 私たちは 覚悟する 必要があるのです。

これが 人類が これまで 陥ってきた “さまざまな悲劇” における・・・

その ”最大の原因” だったようです。しょぼん





つまり ここで 展開されている ”高貴な人” の 内容は・・・

私たちが ”苦しまなくて済む” 人間像を 具体的に 示していると 考えられます。

さらに 最終的には・・・

”人間” や ”生物” に ”生まれ変わらない” ことが・・・

”高貴な人” の ”本当の意味” であることが 示されています。

この点に 私たちは 大いに 注目すべきであると 考えられるのです。目






それゆえに ブッダが 考えていた ”高貴な人” というのは・・・

ただ 人間社会において ”高い地位” に ある人 を 示していたのではなく・・・王冠1×






”人間” や ”生物” として ”苦しみ続ける状態” から・・・

”脱出できた人” として 考えていたのです。

これこそが 私たちが 目指すべき ”理想の人間像” であると 考えられるのです。星






私たちは これまでの 人間社会において・・・

”高貴な人” についての 考え方に・・・

”重大な誤り” が あったのでは ないでしょうか?

そして 私たちは 本来 ”高貴ではない人” に 対して・・・

”尊敬の念” や ”あこがれの念” を 抱いていたことは なかったでしょうか?ラブラブ!






私たちは ”ブッダの教え” が 集約されている・・・

”原始仏典 スッタニパータ” を 読むことによって・・・

これまで 気づくことがなかった ”重大な誤り” にも 気づくことが 出来るようです。ひらめき電球







皆さまも ここで ”高貴な人” についての・・・

その ”本当の意味” について 深く お考えになってみては いかがでしょうか?

次回の記事でも この続きの内容について 考えて参ります。ニコニコ 















(※) この内容を 理解する上での 参考記事を 以下に示します。


   ”遍歴(へんれき)” について 解説しました

   ”ブッダの教え 不安にならない方法”  記事は こちら星



 
   ”所有” について 考えました

   ”所有するという 考え方を捨てる”  記事は こちら星




   
    ”慢心(まんしん)” について 考えました・・・

    ”傲慢(ごうまん) が 意味するもの”  記事は こちら星



   
    ”ブッダの教え” の ”実践方法” である・・・

    ”八正道” の 解説は こちらからどうぞ星