こんにちは
私たちが ”ブッダの教え” を 学ぶ時には・・・
まず 第一に ”自分の欲望” から ”離れる”・・・ことが
どうしても 必要になると わかります。
しかし 日本人としての 私たちは・・・
幼いころから ”欲望の追求” こそが ”人生の意味” であると 教育され・・・
”自分の欲望” を いかに たくさん 満たすことができるか? を 考えてきました。
つまり いくら ブッダが ”欲望から離れよ” と 説いていても・・・
私たちは それは とても 実現できそうもない・・・などと
始めから ”あきらめてしまう” ことが 多いわけです。
私が 2年ほど前から ブッダの教えを 深く 学ぶことができて・・・
その教えを いろいろと 実践してきましたが・・・
そこで ある有効な ”思考法” を 見い出しました。
それが ”所有” という ”考え方” を “捨てる” ことなのです。
これについては 以前にも このブログで 書いたのですが・・・
私たちは 毎日の 日常生活の中で・・・
”自分の欲望” を どのように 満たしているのか? について 考えると・・・
それは ”労働” などで 稼いだ “お金” を 支払って・・・
さまざまなものを ”所有する” ことで 実現していることが 多いのです。
つまり 私たちの ”欲望” というのは・・・
さまざまな ”モノ” を ”自分の所有物” にすることで・・・
”具現化” されていることが わかります。
そして ここに 私たちが ”欲望から離れる” ための・・・
”方法” というものが わかって来るのです。
それは この世の すべてのものは・・・
”自分の所有物” には 決して ならない・・・ということなのです。
それを 言い換えますと・・・
すべてのものは 自分ではなく ”宇宙の所有物” なのであり・・・
私たちは それを “借りている” に 過ぎない・・ということなのです。
人間は これまで その ”高度な知能” によって・・・
さまざまなものを 作り上げてきましたが・・・
それら すべては 地球上に存在していた “天然資源” から 作られたわけです。
そして その “天然資源” は ”宇宙全体の一部” なのであって・・・
つまり 人間は ”宇宙の所有物” を ただ “借りている” に 過ぎないのです。
私が このことを 実感した きっかけになったのは・・・
あの 2012年の マヤ歴の終焉による ”地球滅亡の危機” でした。
今となっては これは ”デマ” に なりつつありますが・・・
しかし 地球は 今後も 永遠に 存続することはありません。
つまり 時が来れば 地球にも ”星としての寿命” が やってきて・・・
その後 地球自体が ”崩壊” して・・・
地球上にある すべてのものが “消滅する” ことになるわけです。
私たちが これまで ”文明” として 築き上げてきた・・・
さまざまな ”建造物” も ”貴重な文化財” も・・・
その他 人間が作り出してきたもの すべてが・・・
やがては ”粉々” に 砕け散ることになります。
そして それらが その後 どうなるのか? といえば・・・
すべての物質は 地球の崩壊による 巨大な衝撃と 高温によって・・・
“原子・素粒子” の レベルにまで 分解されることに なるわけです。
つまり その状態が 宇宙を構成する物質の ”最小単位” なのであり・・・
それが もともとの ”宇宙の所有物” の ”原型” であると 考えられます。
そして 私たちの 人間としての ”肉体” も・・・
それは 無数の “原子・素粒子” で 構成されています。
つまり 私たちの ”肉体” も ”宇宙から借りている” ことになるわけです。
そう考えれば 私たちが 現在 ”所有している” と 考えている すべてのものが・・・
宇宙全体から見れば ”自分の所有物ではない” ことが 理解されてきます。
そして そのことが 理解できると・・・
私たちは 日常生活においての ”身近な例” を 考えることができます。
それは 私たちは “図書館” で ”さまざまな本” を 借りますが・・・
いずれ それらは ”返却” しなければ なりません。
つまり ”さまざまな本” を 現実に 自分の手にすることは できますが・・・
それは いつまでたっても ”自分の所有物” には なりません。
さらに その ”さまざまな本” が 仮に どこかで ”消え去って” しまっても・・・
私たちは おそらく その本についての ”喪失感” や・・・
それについて 自分自身が ”嘆き悲しむ” ことも ないでしょう。
それは ”自分の所有物” という考え方が そこには ないからです。
そして その本は “公共のもの” だから・・・
また いつか ”同じものが 補充される” と 考えるからです。
そこでは 自分自身が “苦しむ” ことも ないわけです。
つまり 私が 考えるのは・・・
このように ”自分の所有物” という ”考え方を捨てる” ことによって・・・
”自分の欲望” に ”執着する” ことも なくなり・・・
”自分の欲望” から 容易に 離れることが できるのではないか? ということなのです。
前回の記事では 私たちが “利益” を 追求することが・・・
“他人と争う原因” や “戦争の原因” になると 示しました。
それは 私たちに ”守るべきもの(利益)” が あるから・・・
それが ”他人によって失われる” ことが とても 恐ろしくなってしまい・・・
それによって ”他人との争いの原因” が 発生してしまうのです。
つまり 私たちの ”守るべきもの” というのを・・・
自分自身で ”なくしてしまう” ことが 重要なのです。
それには ます ”自分の所有物” という 考え方を・・・
完全に ”捨てる” ことによって・・・
私たちは ”他人との争いの原因” を 消滅させることができると 考えられます。
ブッダは この世のもの すべてに ”執着するな” と 説いていましたが・・・
以上のことが その ”真意” であったとも 考えられます。
皆様も この人生において・・・
”他人と争う” ことで 起こる ”悲劇的な結末” を 迎えるよりも・・・
まず 自分自身の ”考え方” を ”変える” ことによって・・・
他人と 決して 争うことのない・・・
”本当の幸福” を 実現されてみては いかがでしょうか?
(※) “図書館の本” の たとえ話を 示しました・・・
“所有物を 奪われたら” の 記事は こちらです
そして ”所有” についての 過去記事である・・・
“所有しない という 意味” の 記事は こちらへ
さらに ”自分の命” も ”借りたもの” という 内容である・・・
”仏から 預かった命” の 記事は こちらです
私たちが ”ブッダの教え” を 学ぶ時には・・・
まず 第一に ”自分の欲望” から ”離れる”・・・ことが
どうしても 必要になると わかります。
しかし 日本人としての 私たちは・・・
幼いころから ”欲望の追求” こそが ”人生の意味” であると 教育され・・・
”自分の欲望” を いかに たくさん 満たすことができるか? を 考えてきました。
つまり いくら ブッダが ”欲望から離れよ” と 説いていても・・・
私たちは それは とても 実現できそうもない・・・などと
始めから ”あきらめてしまう” ことが 多いわけです。
私が 2年ほど前から ブッダの教えを 深く 学ぶことができて・・・
その教えを いろいろと 実践してきましたが・・・
そこで ある有効な ”思考法” を 見い出しました。
それが ”所有” という ”考え方” を “捨てる” ことなのです。
これについては 以前にも このブログで 書いたのですが・・・
私たちは 毎日の 日常生活の中で・・・
”自分の欲望” を どのように 満たしているのか? について 考えると・・・
それは ”労働” などで 稼いだ “お金” を 支払って・・・
さまざまなものを ”所有する” ことで 実現していることが 多いのです。
つまり 私たちの ”欲望” というのは・・・
さまざまな ”モノ” を ”自分の所有物” にすることで・・・
”具現化” されていることが わかります。
そして ここに 私たちが ”欲望から離れる” ための・・・
”方法” というものが わかって来るのです。
それは この世の すべてのものは・・・
”自分の所有物” には 決して ならない・・・ということなのです。
それを 言い換えますと・・・
すべてのものは 自分ではなく ”宇宙の所有物” なのであり・・・
私たちは それを “借りている” に 過ぎない・・ということなのです。
人間は これまで その ”高度な知能” によって・・・
さまざまなものを 作り上げてきましたが・・・
それら すべては 地球上に存在していた “天然資源” から 作られたわけです。
そして その “天然資源” は ”宇宙全体の一部” なのであって・・・
つまり 人間は ”宇宙の所有物” を ただ “借りている” に 過ぎないのです。
私が このことを 実感した きっかけになったのは・・・
あの 2012年の マヤ歴の終焉による ”地球滅亡の危機” でした。
今となっては これは ”デマ” に なりつつありますが・・・
しかし 地球は 今後も 永遠に 存続することはありません。
つまり 時が来れば 地球にも ”星としての寿命” が やってきて・・・
その後 地球自体が ”崩壊” して・・・
地球上にある すべてのものが “消滅する” ことになるわけです。
私たちが これまで ”文明” として 築き上げてきた・・・
さまざまな ”建造物” も ”貴重な文化財” も・・・
その他 人間が作り出してきたもの すべてが・・・
やがては ”粉々” に 砕け散ることになります。
そして それらが その後 どうなるのか? といえば・・・
すべての物質は 地球の崩壊による 巨大な衝撃と 高温によって・・・
“原子・素粒子” の レベルにまで 分解されることに なるわけです。
つまり その状態が 宇宙を構成する物質の ”最小単位” なのであり・・・
それが もともとの ”宇宙の所有物” の ”原型” であると 考えられます。
そして 私たちの 人間としての ”肉体” も・・・
それは 無数の “原子・素粒子” で 構成されています。
つまり 私たちの ”肉体” も ”宇宙から借りている” ことになるわけです。
そう考えれば 私たちが 現在 ”所有している” と 考えている すべてのものが・・・
宇宙全体から見れば ”自分の所有物ではない” ことが 理解されてきます。
そして そのことが 理解できると・・・
私たちは 日常生活においての ”身近な例” を 考えることができます。
それは 私たちは “図書館” で ”さまざまな本” を 借りますが・・・
いずれ それらは ”返却” しなければ なりません。
つまり ”さまざまな本” を 現実に 自分の手にすることは できますが・・・
それは いつまでたっても ”自分の所有物” には なりません。
さらに その ”さまざまな本” が 仮に どこかで ”消え去って” しまっても・・・
私たちは おそらく その本についての ”喪失感” や・・・
それについて 自分自身が ”嘆き悲しむ” ことも ないでしょう。
それは ”自分の所有物” という考え方が そこには ないからです。
そして その本は “公共のもの” だから・・・
また いつか ”同じものが 補充される” と 考えるからです。
そこでは 自分自身が “苦しむ” ことも ないわけです。
つまり 私が 考えるのは・・・
このように ”自分の所有物” という ”考え方を捨てる” ことによって・・・
”自分の欲望” に ”執着する” ことも なくなり・・・
”自分の欲望” から 容易に 離れることが できるのではないか? ということなのです。
前回の記事では 私たちが “利益” を 追求することが・・・
“他人と争う原因” や “戦争の原因” になると 示しました。
それは 私たちに ”守るべきもの(利益)” が あるから・・・
それが ”他人によって失われる” ことが とても 恐ろしくなってしまい・・・
それによって ”他人との争いの原因” が 発生してしまうのです。
つまり 私たちの ”守るべきもの” というのを・・・
自分自身で ”なくしてしまう” ことが 重要なのです。
それには ます ”自分の所有物” という 考え方を・・・
完全に ”捨てる” ことによって・・・
私たちは ”他人との争いの原因” を 消滅させることができると 考えられます。
ブッダは この世のもの すべてに ”執着するな” と 説いていましたが・・・
以上のことが その ”真意” であったとも 考えられます。
皆様も この人生において・・・
”他人と争う” ことで 起こる ”悲劇的な結末” を 迎えるよりも・・・
まず 自分自身の ”考え方” を ”変える” ことによって・・・
他人と 決して 争うことのない・・・
”本当の幸福” を 実現されてみては いかがでしょうか?
(※) “図書館の本” の たとえ話を 示しました・・・
“所有物を 奪われたら” の 記事は こちらです
そして ”所有” についての 過去記事である・・・
“所有しない という 意味” の 記事は こちらへ
さらに ”自分の命” も ”借りたもの” という 内容である・・・
”仏から 預かった命” の 記事は こちらです