こんにちは
前回の記事では 私たち 日本人も・・・
今後の ”アジア情勢” によっては・・・
再び “重大な悲劇” に 見舞われる可能性が 高いことを 考えました。
そして それを ”回避する” ための ”有効な方法” というのが・・・
私たち 日本人が “賢者(けんじゃ)” に なることです。
これは 私たちが 仏教の ”元々の教え” である・・・
“原始仏教” としての “ブッダの教え” を 知ることで 理解できるのです。
また ”原始仏典” を 日本語に 体系的に 翻訳したのが・・・
元 東京大学名誉教授であった 故 中村元(はじめ) 氏 でした。
そして 中村氏のおかげで 日本人である 私たちは・・・
“原始仏教” である “ブッダの教え” の・・・
その ”全体像” を 正確に知ることが できるようになりました。
そして 彼の著書である・・・
“ブッダのことば ~スッタニパータ~” (岩波文庫版) を 読むと・・・
巻末にある ”註釈(解説)” の 文章の中に・・・
“ブッダの教え” の ”真意” が 示されていることにも 気づいてきます。
さらに そこには ”有意義な人生” に するための・・・
”重要なヒント” が 書かれていることに 皆様も 気づかれるでしょう。
それでは スッタニパータ 第二章 第四節の 註釈について 考えて参ります。
中村氏は ”仏教” というものは・・・
”私たちが どのように 生きたらいいのか? を 教えてくれるもの” と 定義されています。
そして スッタニパータ 第二章 ”こよなき幸せ” の 一節においては・・・
“人生での 幸福とは 何か?” についての・・・
”ブッダ(釈尊) の 幸福観” が 示されていると 書かれています。
つまり 前々回の記事で ご紹介した 仏典の内容は・・・
この世の “真理” を ”悟った者(ブッダ)” が 人類に 説いていた・・・
この世界の “真理” なのであり・・・
私たちが 目指すべき “理想の幸福像” であることも 理解されるのです。
そして 私たちが “幸福” に なるためには どうすればよいのか?・・・
それが No.259の 注釈の内容に 書かれています。
それには 私たちが まず・・・
“賢者(けんじゃ)” に なることが 必要なのです。
それでは “賢者” とは どういう 人間のことなのか?・・・
それは ”人間の理(ことわり)” を ”知っている人” の ことです。
では ”人間の理(ことわり)” とは 何か?・・・
それを 中村氏は 具体的に 書いており・・・
”金儲け” が うまい人が その ”築いた財産” を 増やすために・・・
いつも “汲々(きゅうきゅう)” としていて・・・
”夜も 安眠できない” という人は・・・
いくら 頭が良くても ”愚者(ぐしゃ)” と 云わねばならぬ。
・・・などと 書かれています。
そして それに対して・・・
”知識” に 乏しく・・・
”計算” や ”才覚” が 下手でも・・・
“心の安住している人” は “賢者(けんじゃ)” なのである。
・・・などと 書かれているのです。
私たちは これまで ”日本社会” に 生きてきましたが・・・
私たちが 定義してきた “賢者” の 概念とは・・・
まるで ”正反対” の 内容であると 考えられます。
それは “知識” が ”豊富” で・・・
”計算能力” に ”優れている者” こそが・・・
これまでの “受験戦争” に ”勝利する者” なのであり・・・
それが ”日本社会での勝者” として 考えられてきたからです。
そして その一方で・・・
“知識” や “計算能力” に ”乏しい者” としては・・・
まるで 日本社会での ”敗残者” として 扱われてきたようであり・・・
さらには 先天的な “知的障害者” に 対しても・・・
それと同様の ”劣悪な評価” が 下されていることが 多かったようです。
しかし 中村氏は ここでの 註釈において・・・
人間としての ”真の評価基準” を 示していたのであり・・・
私たちは これまで 気づくことのなかった・・・
”人間の理(ことわり)” を 知るための・・・
”貴重な機会” に 恵まれていることを 知るべきのようです。
つまり 私たちが これまで あたりまえのように 考えてきた・・・
日本社会での ”評価基準” というものは・・・
まさに ”愚者(ぐしゃ)” たちが 作り上げてきた 基準であるのです。
そして 私たちは それによって・・・
”愚者としての人生” を 何も ”疑いなく” 歩んできてしまったようですね。
私たちが ”人間の理(ことわり)” を ”知る” というのは・・・
この世の ”真理” を ”悟る(覚る)” ことを 意味しています。
つまり 私たちが ここでの内容を・・・
”心の底” から ”理解する” ことができて・・・
さらに それを ”自分の身” をもって “体得(実感)” できなければ・・・
私たちは この世界において・・・
ずっと ”愚者(ぐしゃ)” で あり続ける ことになり・・・
これからも ずっと ”苦しみ続ける” ことに なってしまうのです。
これが ”ブッダの教え” の ”真意” であると 考えられます。
もしも 私たちが “賢者(けんじゃ)” で ありたい と 願うのならば・・・
日常生活の中で いつも・・・
“心が安定している” ことが 不可欠になります。
そして そのためには どうすればよいのか?・・・
それが このブログでも これまで 考えてきましたが・・・
中村氏も そのたとえで 示していたように この人生では・・・
“お金” や “財産” を 増やすことに 躍起になるのではなく・・・
私たちが “心の不安” を 自分自身で 招かないために・・・
ブッダが その教えの中で 説いていた 重要な 内容でもある・・・
”自分自身の所有物” という 考え方を・・・
まず ”捨て去る” ことが 大切なのです。(※)
そして そのために 私たちが まず できることは・・・
自分の周囲にある すべてのものは・・・
”借り物である” という考え方に シフトすることが 必要のようです。(※)
そうすれば たとえ ”多くのもの” を ”失う” ことになっても・・・
そこで 決して “嘆き悲しむ” ことも 少なくなり・・・
”心が安定している状態” を 維持しやすくなると 考えられるのです。
私たちは この世界に 生きている意味 というものが・・・
いったい 何のためなのか? について 改めて 考えたいですね。
この世界で起こる ”あらゆること” に 対して・・・
私たちが “怒り” を 感じていたり・・・
“動揺” することが 多ければ 多いほど・・・
私たちは ”愚者としての人生” を 歩んでいることに なってしまうのです。
そして 私たちは これまでの ”人間社会” において・・・
“賢者” と ”愚者”・・・
“勝者” と “敗者”・・・などと
さまざまな人間を ”区別” してきたようですが・・・
自分は ”本当の賢者” なのか?・・・
さらには “本当の勝者” なのか?・・・について
ここで 改めて 考えてみたいですね。
次回も 引き続き 中村元氏による・・・
”スッタニパータ こよなき幸せ” での 註釈の内容について 考えて参ります。
(※) ”ブッダの教え” での ”所有を捨てよ” の 内容である・・・
”所有するという 考え方を 捨てる” の記事は こちらです
世界のもの は すべて ”借り物” であると 考えました・・・
”自分の体も 借り物である” の記事は こちらからどうぞ
また 翻訳者であった 中村元氏の 人物像を ご紹介しました・・・
“日本に ブッダの教えを 伝えた人” の記事は こちらです
前回の記事では 私たち 日本人も・・・
今後の ”アジア情勢” によっては・・・
再び “重大な悲劇” に 見舞われる可能性が 高いことを 考えました。
そして それを ”回避する” ための ”有効な方法” というのが・・・
私たち 日本人が “賢者(けんじゃ)” に なることです。
これは 私たちが 仏教の ”元々の教え” である・・・
“原始仏教” としての “ブッダの教え” を 知ることで 理解できるのです。
また ”原始仏典” を 日本語に 体系的に 翻訳したのが・・・
元 東京大学名誉教授であった 故 中村元(はじめ) 氏 でした。
そして 中村氏のおかげで 日本人である 私たちは・・・
“原始仏教” である “ブッダの教え” の・・・
その ”全体像” を 正確に知ることが できるようになりました。
そして 彼の著書である・・・
“ブッダのことば ~スッタニパータ~” (岩波文庫版) を 読むと・・・
巻末にある ”註釈(解説)” の 文章の中に・・・
“ブッダの教え” の ”真意” が 示されていることにも 気づいてきます。
さらに そこには ”有意義な人生” に するための・・・
”重要なヒント” が 書かれていることに 皆様も 気づかれるでしょう。
それでは スッタニパータ 第二章 第四節の 註釈について 考えて参ります。
中村氏は ”仏教” というものは・・・
”私たちが どのように 生きたらいいのか? を 教えてくれるもの” と 定義されています。
そして スッタニパータ 第二章 ”こよなき幸せ” の 一節においては・・・
“人生での 幸福とは 何か?” についての・・・
”ブッダ(釈尊) の 幸福観” が 示されていると 書かれています。
つまり 前々回の記事で ご紹介した 仏典の内容は・・・
この世の “真理” を ”悟った者(ブッダ)” が 人類に 説いていた・・・
この世界の “真理” なのであり・・・
私たちが 目指すべき “理想の幸福像” であることも 理解されるのです。
そして 私たちが “幸福” に なるためには どうすればよいのか?・・・
それが No.259の 注釈の内容に 書かれています。
それには 私たちが まず・・・
“賢者(けんじゃ)” に なることが 必要なのです。
それでは “賢者” とは どういう 人間のことなのか?・・・
それは ”人間の理(ことわり)” を ”知っている人” の ことです。
では ”人間の理(ことわり)” とは 何か?・・・
それを 中村氏は 具体的に 書いており・・・
”金儲け” が うまい人が その ”築いた財産” を 増やすために・・・
いつも “汲々(きゅうきゅう)” としていて・・・
”夜も 安眠できない” という人は・・・
いくら 頭が良くても ”愚者(ぐしゃ)” と 云わねばならぬ。
・・・などと 書かれています。
そして それに対して・・・
”知識” に 乏しく・・・
”計算” や ”才覚” が 下手でも・・・
“心の安住している人” は “賢者(けんじゃ)” なのである。
・・・などと 書かれているのです。
私たちは これまで ”日本社会” に 生きてきましたが・・・
私たちが 定義してきた “賢者” の 概念とは・・・
まるで ”正反対” の 内容であると 考えられます。
それは “知識” が ”豊富” で・・・
”計算能力” に ”優れている者” こそが・・・
これまでの “受験戦争” に ”勝利する者” なのであり・・・
それが ”日本社会での勝者” として 考えられてきたからです。
そして その一方で・・・
“知識” や “計算能力” に ”乏しい者” としては・・・
まるで 日本社会での ”敗残者” として 扱われてきたようであり・・・
さらには 先天的な “知的障害者” に 対しても・・・
それと同様の ”劣悪な評価” が 下されていることが 多かったようです。
しかし 中村氏は ここでの 註釈において・・・
人間としての ”真の評価基準” を 示していたのであり・・・
私たちは これまで 気づくことのなかった・・・
”人間の理(ことわり)” を 知るための・・・
”貴重な機会” に 恵まれていることを 知るべきのようです。
つまり 私たちが これまで あたりまえのように 考えてきた・・・
日本社会での ”評価基準” というものは・・・
まさに ”愚者(ぐしゃ)” たちが 作り上げてきた 基準であるのです。
そして 私たちは それによって・・・
”愚者としての人生” を 何も ”疑いなく” 歩んできてしまったようですね。
私たちが ”人間の理(ことわり)” を ”知る” というのは・・・
この世の ”真理” を ”悟る(覚る)” ことを 意味しています。
つまり 私たちが ここでの内容を・・・
”心の底” から ”理解する” ことができて・・・
さらに それを ”自分の身” をもって “体得(実感)” できなければ・・・
私たちは この世界において・・・
ずっと ”愚者(ぐしゃ)” で あり続ける ことになり・・・
これからも ずっと ”苦しみ続ける” ことに なってしまうのです。
これが ”ブッダの教え” の ”真意” であると 考えられます。
もしも 私たちが “賢者(けんじゃ)” で ありたい と 願うのならば・・・
日常生活の中で いつも・・・
“心が安定している” ことが 不可欠になります。
そして そのためには どうすればよいのか?・・・
それが このブログでも これまで 考えてきましたが・・・
中村氏も そのたとえで 示していたように この人生では・・・
“お金” や “財産” を 増やすことに 躍起になるのではなく・・・
私たちが “心の不安” を 自分自身で 招かないために・・・
ブッダが その教えの中で 説いていた 重要な 内容でもある・・・
”自分自身の所有物” という 考え方を・・・
まず ”捨て去る” ことが 大切なのです。(※)
そして そのために 私たちが まず できることは・・・
自分の周囲にある すべてのものは・・・
”借り物である” という考え方に シフトすることが 必要のようです。(※)
そうすれば たとえ ”多くのもの” を ”失う” ことになっても・・・
そこで 決して “嘆き悲しむ” ことも 少なくなり・・・
”心が安定している状態” を 維持しやすくなると 考えられるのです。
私たちは この世界に 生きている意味 というものが・・・
いったい 何のためなのか? について 改めて 考えたいですね。
この世界で起こる ”あらゆること” に 対して・・・
私たちが “怒り” を 感じていたり・・・
“動揺” することが 多ければ 多いほど・・・
私たちは ”愚者としての人生” を 歩んでいることに なってしまうのです。
そして 私たちは これまでの ”人間社会” において・・・
“賢者” と ”愚者”・・・
“勝者” と “敗者”・・・などと
さまざまな人間を ”区別” してきたようですが・・・
自分は ”本当の賢者” なのか?・・・
さらには “本当の勝者” なのか?・・・について
ここで 改めて 考えてみたいですね。
次回も 引き続き 中村元氏による・・・
”スッタニパータ こよなき幸せ” での 註釈の内容について 考えて参ります。
(※) ”ブッダの教え” での ”所有を捨てよ” の 内容である・・・
”所有するという 考え方を 捨てる” の記事は こちらです
世界のもの は すべて ”借り物” であると 考えました・・・
”自分の体も 借り物である” の記事は こちらからどうぞ
また 翻訳者であった 中村元氏の 人物像を ご紹介しました・・・
“日本に ブッダの教えを 伝えた人” の記事は こちらです