ビアズリーからオスカー・ワイルドの「サロメ」を調べていたら、新約聖書のサロメ像が大きく変容していることに興味を持ちました。
『新約聖書』では母である王妃ヘロディアの命ずるままに動くヘロディアの娘(サロメ)だが、19世紀末の画家ギュスターヴ・モロー(1826―1898)は、この女性を自立した「ファム・ファタール」(男を破滅させる魔性の女)として描いた。

なぜ洗礼者聖ヨハネの斬首が残酷に生々しく描かれるのか?
なぜ「若い女(サロメ)と男の生首(ヨハネ)」のモチーフが幾世紀に渡り描かれたのか?
そして、無垢な少女サロメはなぜ「ファム・ファタール」となったのか?
これらの謎を西洋絵画の歴史を見ながら考えてみました。
世界史の勉強より楽しいよ🙂💦
【ヘロデ王の饗宴からファム・ファタル=サロメへの図像学的変遷】
ヘロデ王の饗宴と洗礼者ヨハネの斬首(死)の物語は、新約聖書に記述されている。
『洗礼者ヨハネは当時の領主ヘロデ・アンティパス(ヘロデ王)の結婚を律法に反すると非難(王妃ヘロディアはヘロデの兄の前妻)したため捕らえられる。ヘロデ王の誕生日の宴でヘロディアの娘(サロメ)が踊り、衆目の喝采をうける。王は舞踏の褒美に望むものを与えると宣言する。サロメは、母ヘロディアの望む「ヨハネの首」を求めたため、王はためらいながらも斬首を命じた。銀の皿にのった洗礼者ヨハネの首をサロメが王と王妃のもとに運ぶ。』とする記述が各福音書に見られる。
西ローマ帝国が滅亡した5世紀から11世紀まで、世界史の勉強です😧💦
ビザンチン期は※「勝利のキリスト」がコンセプトで、洗礼者ヨハネが描かれる絵画はキリストに洗礼を授ける場面が多い。

[アリアー二洗礼堂・天井画 イタリア・ラヴェンナ 5世紀末―6世紀初頭]中央キリスト右洗礼者ヨハネ
ゴシック期になると、アルプス以北の修道院に、聖書(ラテン語)のエピソードを図解する(文字が読めない)、ヘロデ王の饗宴と洗礼者ヨハネの斬首が描かれる。
[ザンクト・ヨハン修道院・フレスコ画 スイス 12世紀]
左から、洗礼者ヨハネの斬首、サロメの踊り、皿にのった首をヘロデ王と王妃に差し出す
ゴシック期は※「苦悩のキリスト」がコンセプトで、アルプス以北のケルト・ゲルマンの宗教「ドルイド教」の人身供犠(サクリファイス)に適応する、残虐・恐怖の供犠からキリスト教信仰への回路です。残酷磔刑図や悲惨なピエタが人々の犠牲になったサクリファイスを表します。キリストの死に先立つ洗礼者ヨハネの死も、斬首という残虐性(サクリファイス)を強調するテーマになります。モチーフは、処刑人と斬首され血を噴き出すヨハネ、生首を受けとるサロメ。

[ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(ベルギー 1399―1464) 洗礼者ヨハネの祭壇画 1455]
ルネサンス期は、「ギリシャ・ローマの古典文芸の復興」がコンセプト。サロメは、「若い女と男の生首」という、妖しい官能性、エロティシズムがテーマだろう。皿のったヨハネの生首を持つ若いサロメがモチーフ。

[ティツィアーノ(伊?―1576) 洗礼者ヨハネの首を持つサロメわ]
北方ルネサンスでは、ゴシックの残影がみえるルーカス・クラーナハのサロメに注目。テーマは「女のちから」「女のたくらみ」です。「女のちから」とは『女性の身体的魅力や性的誘惑に男性が屈し、堕落ないし破滅に至るという物語の類型』で、「女のちから」誘惑には気をつけようという警告です。モチーフは、洗礼者ヨハネの首を持つサロメ。

[ルーカス・クラーナハ(独 1472―1553) 洗礼者ヨハネの首を持つサロメ 1530年代]
クラーナハのサロメは、こちらを微笑みながら見つめ誘惑するという、警告と誘惑のアンビバレントな存在です。
続く・・