天下の梅林 水戸偕楽園 | やまちゃん1のブログ

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徳川斉昭(1800〜1860) 
1834年 萩谷遷喬画(パンフレットより)

水戸偕楽園は、30歳で水戸藩第九代藩主となった、徳川斉昭によって1842年に開園しました。

日本三名園」の金沢兼六園(1679年〜)、岡山後楽園(1689年〜)が作庭された元禄年間(1668〜1704年)に比べると1世紀半ほど後の幕末に開園しています。
兼六園と後楽園は、特別名勝に指定された池泉回遊式大名庭園ですが、偕楽園は、領民と(とも)にしむにしたいという斉昭のコンセプトから、毎月「三」と「八」のつく日は、領民にも開放された“近代の公園”に近いユニークな庭園で、偕楽園本園、桜山、丸山の常磐公園として史跡名勝に指定されている。



徳川斉昭は、江戸の小石川藩邸(現在の小石川後楽園の隣地)で生まれ、30歳に藩主になるまで部屋住みの身でした。斉昭は、2代藩主徳川光圀を敬愛しており、『水戸学』と『小石川後楽園』は自らのアイデンティティであり羅針盤だったのでしょう。

藩主となった斉昭は、天保の改革を始め、藩校弘道館の建設と偕楽園を造成する。
一張一弛(いっちょういっし)』
文武修行の場(一張)の弘道館と、修行の心身を休める場(一弛)の偕楽園を相互に補完するものとして構想されている。

偕楽園と弘道館に梅を植えたのは、梅を愛した光圀へのリスペクトがあり、非常時の食料ともなる実用性を重んじたようだ。



偕楽園(常磐公園)は、偕楽園本園だけでなく、桜山、丸山、田鶴鳴梅林、千波湖を含めた広大な敷地の景観が愉しめる。


表門

杉林と竹林の「陰」の空間

孟宗竹林




吐玉泉
地元産の大理石から湧水を吹き出させる


山の下の池泉庭園


好文亭入口



斉昭が設計した好文亭 木造二層三階建て
戦災で全焼し、昭和33年復元





茶室待合

簡素な茶室

オリジナルの襖絵は、萩谷遷喬ら水戸藩の絵師による水墨画だったらしい。
復元にあたって、襖絵は当時の東京芸大の須田珙中助教授と田中青坪教授によって描かれた。






襖絵の竹が欄間に続く意匠が面白い


お気に入りです




階段で三階に上る  


窓から「陽」の見晴広場が見える


三階、楽寿楼広間に入る



視線の先に…


田鶴鳴梅林と千波湖



見晴広場と千波湖


広間の隣の間には、「カフェ楽」があります
(ネット画像借用)


楽寿楼
多重フレームが面白い



梅林へ









見晴広場



東門(バス停口)付近


(ネット画像借用) 空から見られたいいね😊



水戸での食事はやっぱり
「ぬりや泉町店」ですね



(ネット画像借用)

今回は行きませんでしたが、かつて水戸出張の折は必ず食べていました。
間違いない美味しさです◎



水戸偕楽園は、いつもメインの
偕楽園本園の梅林、好文亭だけで 満足していましたが…

次回は、その何倍もある「常磐公園」全体を歩いてみたい
桜、ツツジ、藤、蓮など花も!