京都2022 京に生きる文化 茶の湯 | やまちゃん1のブログ

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京都国立博物館で開催中の

京に生きる文化 茶の湯





東京国立博物館で2017年に開催した特別展「茶の湯」以来の
「茶の湯」の大規模展覧会

印象では東博を超える規模かな…



京都国立博物館 明治古都館



平成知新館
(ネット画像借用)


展示構成は、

序章 茶の湯へのいざない
第1章 喫茶文化との出会い
第2章 唐物賞玩と会所の茶
第3章 わび茶の誕生と町衆文化
第4章 わび茶の発展と天下人
第5章 茶の湯の広まり 大名、
公家、僧侶、町人
第6章 多様化する喫茶文化
第7章 近代の茶の湯 数寄者の
茶と教育

(展示作品はすべて撮影禁止のため、写真はネット画像を借用)


序章 茶の湯へのいざない
国宝 大井戸茶碗 銘 喜左衛門

井戸茶碗は15〜16世紀朝鮮半島で焼かれていた庶民の雑器
大振りで、ゆがみがみられる、高台の梅花皮(かいらぎ)が特徴
町衆の「竹田喜左衛門」が所持していたが、代々の持主が腫物(梅花皮様)に悩まされため、大徳寺孤篷庵に寄進された




重文 黒楽茶碗 銘 ムキ栗

利休が所持していた、半筒形から四方形になる不思議な茶碗
こんな茶碗を茶席で出されたら、どうやって茶を喫するのか…
禅問答の無茶振りのようだが、利休好みとは… ムキ栗とは茶碗の色からの連想のようです



第1章 喫茶文化との出会い


五百羅漢図 喫茶 南宋時代 
大徳寺

一幅に5人の羅漢が描かれ、羅漢の修行、生活の様子が100幅に描かれている
現在、88幅が大徳寺、10幅がボストン美術館、2幅がフリーア美術館にある



第2章 唐物賞玩と会所の茶


重文 遠浦帰帆図 伝牧谿
南宋13世紀 京都国立博物館

中国湖南省の洞庭湖周辺の景勝地八景を描く、瀟湘八景図の一景
左下に「道印」の印章があり、足利義満のコレクションだったことが分かる、後に織田信長も所有した
牧谿(もっけい)は日本の水墨画に大きな影響をもたらし、長谷川等伯の「松林図屏風」も牧谿の影響と云われる
やっぱり、牧谿は苦手だな〜…




重文 茉莉花図 伝 趙昌
南宋13世紀 常盤山文庫



国宝 林檎花図 伝 趙昌
南宋13世紀 常盤山文庫

8代将軍足利義政が所持した東山御物、茉莉花とはジャスミンのこと
繊細なボタニカルアート




重文 青磁茶碗 銘 馬蝗絆


足利義政が所有していた時、茶碗の腰の部分にひび割れがあり、中国に送り代わりの茶碗を求めたが、「今の中国にこれほどの名品はない」とひびに鎹(かすがい)を打ち、送り返された
これにより、評価がより高まり、銘は鎹が馬蝗絆(ばこうはん)=バッタに見えるため



第3章 わび茶の誕生と町衆文化



唐物茄子茶入 宗伍茄子
南宋13〜14世紀 五島美術館

室町時代の茶人 十四屋宗伍が所有していた茄子形茶入の銘品



第4章 わび茶の発展と天下人



重文 千利休像 伝 長谷川等伯
桃山時代16世紀 正木美術館

千利休は堺の南宗寺、大本山大徳寺に参禅し、得度受戒、千宗易と号し、剃髪している
推定身長が180Cmあったと云われ、着物の下の隆々とした体躯を感じる

戦国乱世を生き抜いた武将も、三畳台目(さんじょうだいめ)の利休の茶室では威圧を感じたであろう
150cm以下だったらしい、秀吉はどのようにの感じていただろう…





重文 大井戸茶碗 銘 筒井筒
朝鮮時代 16世紀


筒井順慶から秀吉の所有となった
ある時、秀吉の小姓が誤って茶碗を割ってしまった
茶碗は五つ(いつつ)に割れ、逆上した秀吉は手打じやといきりたつ、たまたま側にいた細川幽斎が「つついつつ(筒井筒)五つにわれし井戸茶碗 とがをばわれに負ひしけらしな」と咄嗟に歌を詠み、秀吉が歌に感心し勘気がおさまった、との伝承がある




重文 志野茶碗 銘 広沢
桃山時代 16〜17世紀 湯木美術館

銘 広沢は大覚寺広沢池のおおらかさを思わせる景色から名付けられた
志野焼き特有の孔石爆ぜが素朴さを見せる




重文 唐津茶碗 銘 三宝
桃山時代 16〜17世紀 
和泉市久保惣記念美術館

一名“是閑唐津” 中尾是閑という医師が所有していた
鴻池家に伝来した中興名物
琵琶色に青味がかった腰の釉薬、高台は低くやや大きい、どっしりした印象



第5章 茶の湯の広まり 大名、
公家、僧侶、町人



重文 割高台茶碗 朝鮮時代
 16世紀 畠山美術館

古田織部所持の破格の茶碗
日本からの注文で朝鮮で焼かれた
大きな割高台は無骨な武将たちに好まれたらしい 
どこか子どもじみた感じもする…





重文 伊賀塁座水指 銘 破袋
桃山時代 17世紀 


古田織部が「今後これほどのものはでないだろう」と語ったらしい
桃山茶人好みの籠形水指、伊賀藤堂家伝来



第6章 多様化する喫茶文化



売茶翁図 伊藤若冲 江戸時代
1757年 

若冲、応挙と同時代の黄檗宗の僧

「仏弟子の世に居るや、その命の正邪は心に在り。事跡には在らず。そも、袈裟の仏徳を誇って、世人の喜捨を煩わせるのは、私の持する志とは異なっているのだ」と当時の形骸化した禅宗(寺)に反発し、晩年は庵をむすび、抹茶の形式化を嫌い煎茶を売って生活した

伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村らと交流があった



第7章 近代の茶の湯 数寄者の
茶と教育



重文 色絵鱗波文茶碗 野々村仁清
江戸時代 17世紀 北村美術館


仁清は江戸時代前期の陶工で京焼色絵陶器の完成者
仁和寺門前に御室窯を開く
自分の作品に「仁清」の印を捺し、「作家」「芸術家」の意識を持った最初の陶工といわれる
作品は、大名佐々木京極家により収集され三井家に伝来した

色絵鱗波文茶碗は、大胆な釉流れと鱗波文の幾何学的文様を融合させた華やかな茶碗


最後の茶碗に京焼の野々村仁清を
持ってきたのは京博の矜持ですね


数時間では観きれない充実した展覧会で、京都に居れば三四回は観たくなる充実した内容、京都の底力を見せる展覧会

グルメ編に続く!




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