小学校の担任の先生。

 

普通に学校に行っていた4年生と

学校に行けなくなった5、6年生

合わせて3年間受け持っていただいた。

 

 

学校に行けなくなった2年間は

定期的に電話で様子を伺ってくれたり

溜まったプリント類を

家まで届けてくれたり

時間をみつけては息子に会いに来てくれた。

 

 

 

先生が受け持っている生徒は

息子だけでなくたくさんいて

他にもたくさん仕事を抱えていただろう。

そんな忙しい中

息子の為に時間を割いてくれたことに

感謝しかない。

 

 

ただそうはわかっていても

先生に息子のことを聞かれる度

なにも進展はなく

息子が考えていること

息子がどうしたいかなんてわからず

私にはどうすることもできなくて

先生とのやり取りが

とてもしんどい時もあった。

 

 

出口の見えないトンネルの中にいた。

結局、トンネルの中にいる状態で

小学校は終わってしまった。

 

 

その担任の先生以外にも

今までたくさんの人にお世話になって

息子が不登校の状態のまま

別れていった人たちがたくさんいる。

 

 

 

今、息子は元気に高校に通っている。

その姿を見る度に

今までお世話になった人たちにも

今の息子の姿を見せたいなと思う。

 

 

みなさんのおかげで

今、息子は高校に通ってます。

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
たしか不登校が始まった日の
夜だったと思う。
この辺、うる覚え…
 
 
息子の好きなマックでも食べながら
ゆっくり話をしようと思い
晩御飯をマックにした。
 
子どもならみんな大好きマック。
息子ももれずにマックが大好きだった。
 
 
いつもなら大喜びなのに
大好きなマックを目の前にしても
息子の顔は無表情。
 
いらない
食べたくないと言う。
 
 
その時、
重症だなと思った。
 
 
 
今は人が一生懸命
夕飯を作っているのに
「マック食べたいな~!」
と平気で言う。
 
 
それにイラっとするのだけれど
“マックが食べたい!”
それは今、息子の心が元気な証拠。
 
 
あの時のことを思えば
なんと幸せなことだろう
 
 
好きなものを食べたいと思えること
それも元気じゃないとできないのだ。
 
 
できればもう二度と
あんな思いはしたくない。
 
 

 

 

 

 

 

 

不登校が始まった日

 

その時の息子の顔は

今でも忘れられない。

 

 

 

当時、コロナで

一番世の中が混乱していた時

 

緊急事態宣言が出され

学校は休校になったり

時差登校したりとめちゃくちゃだった。

 

その緊急事態宣言が明けて

これから学校も通常に戻る

生活も少しずつ戻っていく

そんな矢先だった。

 

 

一緒に家を出て

学校にむかう息子を見送り

私は駅に向かった。

 

しかし、なんだか胸騒ぎがして

一度、家に戻った。

 

 

誰もいないはずの家に

人の気配がする。

 

 

そこには部屋の真ん中で

お菓子を食べながら

タブレットをひろげている息子がいた。

 

 

学校に行くふりをして家に戻り

ひとりくつろいでいる息子に

怒りがこみ上げる。

許せなかった。

 

なんでここにいるの!

なんで学校に行かないの!

 

 

息子の話を聞く余裕なんてなくて

感情的に言葉をぶつけ

息子を責めた。

 

 

「学校に行きたくない」

ぼそりと息子が言った。

 

 

出勤時間が迫る。

ゆっくり話をする時間はなかった。

 

 

もう知らない!

勝手にしなさい!

 

そんな感じで

息子をひとり残して出勤したと思う。

 

 

息子を発見した情景は

とても覚えているのだけれど

その後のこと

その日、どう仕事したのか

帰ってからどうしたのか

あんまり覚えてない。

 

 

頭が真っ白だったと思う。

 

 

その時はまだ

その後、何年も学校に行かなくなってしまうとは

思っていなかった。

コロナで世の中もおかしいから

それが落ち着いたら

またすぐ元のように学校に行けるだろう

そんな風に思っていた。

 

 

今でもあの時のことを思い出すと

胸がぎゅっとなる。

 

息子を激しく責めてしまったこと

もう少し他の言葉をかけていたら

また違ったのだろうかと。

 

でもあの時の私には

ああするしかできなかったな…。