不登校が始まった当初

なんとかしたくて

とにかく出来ることを

がむしゃらにしていた。



仕事から帰って

息子に声をかけ

息子の気が乗れば

学校までの道のりを散歩してみたり



生活リズムを整えるため

また少しでも気分転換になればと

朝、出勤前に

自転車で近所をサイクリングしたり



そして、時間が許す時は

とにかく息子の話を聞いた。



その合間で

学校とやり取りして

相談できるところには相談。


本当、辛かった。

仕事しながらよくやっていたなと思う。



結果としては

それで解決には

繋がらなかったけれど

そんな時があって

今がある。


無駄のように見えることも

無駄じゃなかったのかな





 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校の担任の先生。

 

普通に学校に行っていた4年生と

学校に行けなくなった5、6年生

合わせて3年間受け持っていただいた。

 

 

学校に行けなくなった2年間は

定期的に電話で様子を伺ってくれたり

溜まったプリント類を

家まで届けてくれたり

時間をみつけては息子に会いに来てくれた。

 

 

 

先生が受け持っている生徒は

息子だけでなくたくさんいて

他にもたくさん仕事を抱えていただろう。

そんな忙しい中

息子の為に時間を割いてくれたことに

感謝しかない。

 

 

ただそうはわかっていても

先生に息子のことを聞かれる度

なにも進展はなく

息子が考えていること

息子がどうしたいかなんてわからず

私にはどうすることもできなくて

先生とのやり取りが

とてもしんどい時もあった。

 

 

出口の見えないトンネルの中にいた。

結局、トンネルの中にいる状態で

小学校は終わってしまった。

 

 

その担任の先生以外にも

今までたくさんの人にお世話になって

息子が不登校の状態のまま

別れていった人たちがたくさんいる。

 

 

 

今、息子は元気に高校に通っている。

その姿を見る度に

今までお世話になった人たちにも

今の息子の姿を見せたいなと思う。

 

 

みなさんのおかげで

今、息子は高校に通ってます。

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
たしか不登校が始まった日の
夜だったと思う。
この辺、うる覚え…
 
 
息子の好きなマックでも食べながら
ゆっくり話をしようと思い
晩御飯をマックにした。
 
子どもならみんな大好きマック。
息子ももれずにマックが大好きだった。
 
 
いつもなら大喜びなのに
大好きなマックを目の前にしても
息子の顔は無表情。
 
いらない
食べたくないと言う。
 
 
その時、
重症だなと思った。
 
 
 
今は人が一生懸命
夕飯を作っているのに
「マック食べたいな~!」
と平気で言う。
 
 
それにイラっとするのだけれど
“マックが食べたい!”
それは今、息子の心が元気な証拠。
 
 
あの時のことを思えば
なんと幸せなことだろう
 
 
好きなものを食べたいと思えること
それも元気じゃないとできないのだ。
 
 
できればもう二度と
あんな思いはしたくない。