先日、心理コミュニケーター同期の

まきさんが主宰する

『こころ日和』に参加してきた。

 

まきさんのブログ(^^)↓

 

今回は『価値の明確化について』

 

久しぶりに

価値の明確化のワークをした。

 

何度も取り組んでいるワークだけれど

一度で終わりではなく

何度も何度もやることが大事だなと思う。

 

 

最初にやった時は

自分の価値と言われても

頭が真っ白で

何も思い浮かばず

筆が重かったのを覚えている。

 

 

以前書いた自分の価値。

全く覚えていなくて

家に帰って昔のテキストを見返してみた。

そこには硬い私がいた。

ちょっと笑ってしまった。(笑)

 

 

それと比べると

今回は一番、素の自分が出たなと思う。


 

同じ質問ではないものもあるので

同じニュアンスと思われる部分を

少し上げてみる。


例えば、

“自分のどんな能力を発揮したいですか?”

という仕事・教育に対しての質問。

 

以前は

“みんなが働きやすい職場作り”

“傾聴力” 

などなど仕事に対して熱く書いていたのだが

 

今回は

“絵”

 

“どんな活動を始めたいか?

 または再開したいか?”

という自己成長・健康に対する質問。

 

以前は

心理学を伝える活動をしたい。

心理学の講座を開催したい。

みんなに元気になってもらえる活動したい。

と書いていたが

 

今回は

不登校の経験をアウトプットしたい。

 

 

余命1年だとしたらどのようにふるまい

どんなことをするだろう。

と余暇に対しての質問。

 

大切な人との時間を大事にする。

少しでも話を聞いたりする。

与える行動を意識する。

などなど書いていたが

 

今回は

山登り!

やりたいことをやりきりたい。

 


久しぶりに開いたACTのテキスト

何度もやった価値のワークのメモがいっぱい

最初の方は書けてない空欄が目立つ


 

でも、みんなで価値をシェアした時

みんなの価値がとても意識が高く

キラキラして見えて

 

素の自分が出た価値は

ちっぽけに見えて

なんだかこれでいいのかと

焦る自分がいた。

 

 

そんな自分にハッと気が付き

声をかける。

 

 

価値って

良いも悪いもない。

 

『価値』とは心の奥底で望んでいること

 

ゆうさんが言っていた

価値とは自分の好きな

アイスクリームの味のようなもの。

 

 

自分の好きなアイスクリームの味に

正しい理由なんてない。

 

“私はこれが好き!”

それだけ。

それでいいんだ。

 

 

そうそう

今、私は山登りが楽しくて

絵が描くことが好きで

ぼちぼち仕事ができていて

幸せなのだ。

 


以前の価値は

誰かのためになるようなことを

自分がもっと成長するようなことを

そんな気持ちが出ていた気がする。


何者かにならなくていいんだ。


今の私の価値

 

*私が人生で大切にしたいこと*

楽しむこと・心をひらくこと・

感謝しあうことを大切にしたい。

 

*私はこんなふるまい方をしたい*

思いやりのある・感謝にみちた・

楽しいことの好きな

ふるまい方をしたい。

 

 

 

“価値って自分の好きな

アイスクリームの味のようなもの”

 

ゆうさんが言っていた

その言葉の意味が

今、やっとわかった気がする。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不登校の中でも一番つらいと言われる

不登校初期。

 

 

そこを乗り越えられたのは

その時教えてもらった

不登校の心得があったから。

 

 

突然、迷い込んだ

真っ暗なトンネルの中で

羅針盤のようなものだった。

 

最初にこういう心構えを

教えてもらえたこと

本当に幸運だったと思う。

 

 

不登校の心得

 

不登校の心得①

すぐに解決すると思わないこと。

長く続くことを覚悟する。

 

 

お話を聞いてもらったその方に

まずこう言われた。


「お母さん、すぐ解決すると思わないで下さい。

 もしかしたら、中学へ上がるタイミングで

 学校に行くようになるかもしれない。

 しかし、それは結構、難しい。

 行くようになるのは高校生かな…。

 もしかしたらもっと続くかもしれない。

 長く時間がかかることを覚悟して下さい。」

 

当時、息子は小学5年生

5年以上もかかると言われて

目の前が真っ白になった。

 

そんなわけない。

ちょっと休んだらきっと行けるようになる。

そう思っていた。

というか、そんな大事になるなんて思いたくなかった。


 

そう言われてもなかなか割り切れないところはあったけど

幾度となく淡い期待が打ち砕かれたとき

“あぁ、そうだった。

そんな簡単じゃないんだった。”

と我に返らせてくれた。

 

今振り返ると

実際、その通りになったなぁと思う。

まだ終わったわけではないのだけれど

5年、長かったけれど

5年で事が動いたのは早いのかな…。

 

 

 

 

不登校の心得②

子どもをひとりの人として対等に扱うこと。

 

つい子ども扱いして

子どもの話を聞かず、一方的に決めてしまったり

頭ごなしに物を言ってしまったりしがちだが

そういうことをしない。

 

これは今でも気を付けている。

いろいろ無理難題を言ってくる息子に

頭ごなしに“ダメ!”というのではなく

息子の主張も聞いてから

なぜダメなのかを説明する。

そして、お互いの主張をすり合わせて

物事を決めていく。

 

 

なかなか骨の折れる作業だが

息子が仕掛けてくる無理難題を

攻略するためには有効な手段だった。

これはお互いの信頼関係を築くためにも

大事な作業なのかもしれない。

 

 

 

不登校の心得③

命にかかわること以外は受け入れる。

大目に見る。

 

 

息子がいろいろすることに口出ししない。

先回りしたり、口うるさく言いたくなるのを

グッと堪える。

そのためにしていたことは

とにかく見ないようにした。(今もしている。)

 

もちろん言ってしまったことも多々あるが

昔よりはかなり寛大になったと思う。

 

 

 

不登校の心得④

お母さんは別のところに心の拠り所を作る。

 

 

私はこれが一番大事だと思う。

当事者の子どもはもちろん苦しいと思うが

一緒にいるのもかなり苦しい。

一緒に苦しくなってしまえば

子どもと共倒れになってしまう。

 

それを回避するためには

自分の心が元気じゃないとできない。

そのために必要なことだった。

 

 

当時は山登りしてなかったが

ずっと家に息子といると息が詰まるので

とにかくひとり外に出かけた。


 

ぼーっと海を見に行ったり

散歩したり

美味しいもの食べたり

 

 

罪悪感もあったけれど

罪悪感があった方が

そのあと息子に優しくなれた。

 

 

このひとりの時間がなかったら

もっと事態は最悪に

とっくに共倒れしていたと思う。

 

 

そしてこの時間が

私の世界を広げてくれた。

たくさんの人と出逢い。

いろんなことを経験した。

今、大好きな人たちとの縁、

そして自分の好きなことも

たくさん見つけられた。

 

私を変えてくれた時間だと思う。

 

 

この4つの心得のおかげで

苦しい時期を乗り越えられた。

 

そしてこの心得は今でも有効。

大切にしている。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな風にとにかくがむしゃらに

仕事、家事、息子のことと動いていた時

小説が読めなかった。

 

 

時間がなくて読めなかったのではなく

小説や漫画、自分の娯楽のような本

そういう本を見ても読みたいと思えなかった。

読もうとすると胸がぎゅっと

苦しくなった。

 

 

 

その時、読んでいたのは不登校関連の本やブログ。

とにかく状況を変えたくて

読み漁っていた。

 

 

一時期、大好きだったお菓子も

食べたいと思わなかった。

今思えば軽くうつだったなぁと思う。

ギリギリ限界まで頑張りすぎていた。

 

 

 

幸い、お菓子はすぐに食べたいと思うようになったし

食事や睡眠はとれていたので

うつがひどくなるようなことはなかったけれど

小説が読みたいと思えるようになったのはだいぶ後。

 

 

いつ頃だったかは覚えてないが

本屋さんにいって

久しぶりに小説を手に取り

これ、読みたいなと思えた時

あぁ、小説が読めるようになったなぁと

思ったことを覚えている。

 

 

 

不登校は全然解決してなかったけれど

私自身が不登校という渦から

少し距離が取れるようになって

心が元気になってきた証拠だったかなと思う。

 

 

今は本屋さんにいってわくわくする。

いろんな本を読みたいと思える。

それは心が元気な証拠。

 

 

心が元気じゃないと

好きなこともできなくなる。

 

 

この本が読みたいと思えること。

本を読んでわくわくすること。

お菓子を食べたい。

美味しいと味わえること。

 

 

いろんなことを感じることができること。

それは当たり前ではない。

自分の心は自分で守ろう。