仁村徹(中日OB/二塁手/Aランク)
成長タイプ:普通/普通
黒江透修(巨人OB/遊撃手/Aランク)
成長タイプ:晩成/急降下
時は新世紀173年。
世代交代に大失敗してしまい、深刻な野手不足に陥ります。
特に人手不足なのは二遊間。
新世紀173年は
二塁 福地寿樹.260 3 28
遊撃 神野純一.246 0 18
と攻守とも非常に物足りません。
翌174年は
二塁 萩原寛雄.274 10 59
遊撃 福地寿樹.253 0 44
と、共に本職でない選手が二遊間を守る異常事態。
チーム成績と防御率も当然、
76勝63敗 4.32 2位
↓
66勝72敗 4.62 5位
と低迷します。
暗黒時代へ突入の大ピンチ・・・
そんな大ピンチにドラフトで駆けつけてくれたのが、
277人目 中日ドラゴンズOB 仁村徹
278人目 読売ジャイアンツOB 黒江透修
の即戦力二遊間コンビでした。
期待通り、ふたりとも一年目からレギュラーに定着。
仁村選手は9番二塁として
.263 4 33
黒江選手は6番遊撃として
.275 0 49
と、新人として十分な成績を残します。
まさに救世主ともいうべき、素晴らしい活躍です。
しかし打撃成績以上に、二遊間がガチっと固定されたのがプラスに働いたのでしょう。
チーム成績と防御率は
66勝72敗 4.62 5位
↓
65勝72敗 4.72 4位
と劇的に改善をアレッ?!
け、結果が出るのは翌年であって・・・
65勝72敗 4.72 4位
↓
43勝93敗 5.62 6位
とご覧の通り大幅にアレレッ??!!
・・・・・
これはアレなんですよ・・・
世代交代に失敗したのは二遊間だけじゃなくてですね・・・
捕手も大失敗してたのですよ・・・
43勝93敗 5.62 6位 と成績がモーレツに悪化したときはですね・・・
正捕手がですね・・・・
坊西浩嗣から
相川国雄(2年目)
に代わったからなんですよ・・・
肩、キャッチャーリード、守備適性がオールC の高卒2年目の若造に罪はないんですけどね・・・
世代交代に失敗した私が悪いんですけどね・・・
と、ともかくどん底に落ちたチームを立て直すために、守備の要である二遊間をカチッと固めてくれた仁村選手と黒江選手は、欠かせない戦力となります。
その後もチームはしばらく低迷を続けますが、ふたりの活躍もあって、新世紀181年、12年ぶりとなる日本一を奪還しました。
やきゅつくで12年も優勝から遠ざかるというのもなかなかレアですが・・・
仁村選手は調子のよい年には3割二桁本塁打を打つなど、入団から12年に渡り二塁レギュラーとして活躍。
引退した年も109試合に出場と、最後までレギュラー格でした。
黒江選手は超一流の証である、入団から引退まで一貫して遊撃レギュラーとして活躍。
長打力はありませんでしたが3割も2度達成し、引退した年も.280に44打点と十分な活躍をしています。
決して派手さはないものの、間違いなく救世主であった仁村選手と黒江選手。
困ったときに本当に必要なものは、長嶋茂雄や落合博満といったスターではなく、意外とこういう地味な存在なのかもしれません。
※気が付けばブログを始めて1年が経過していました。
というわけでこのブログの開始時におまけでちょっと触れただけの選手も、改めて紹介していきたいと思います。
今回は萩原寛雄選手のおまけで触れた、仁村選手と黒江選手のふたりでした。
~仁村徹~
<通算成績>
実働13年 レギュラー12年
1618試合 5774打数 1693安打
.293 72本塁打 690打点 24盗塁
<キャリアハイ>
132試合 501打数 159安打
.317 12本塁打 88打点 2盗塁
<年度別成績>
~黒江透修~
<通算成績>
実働10年 レギュラー10年
1339試合 4717打数 1356安打
.287 14本塁打 543打点 22盗塁
<キャリアハイ>
137試合 471打数 144安打
.306 3本塁打 67打点 1盗塁
<年度別成績>