郭源治(中日OB/投手/Sランク)
成長タイプ:超晩成/急降下
郭泰源(西武OB/投手/Sランク)
成長タイプ:普通/普通
225~226人目は80~90年代に一世を風靡した台湾の英雄 郭源治 & 郭泰源 投手の郭兄弟といきましょう。
兄源治は1981年に来日。
当初は先発も、気の弱さを指摘され勝った数だけ負けるタイプでしたが、抑え転向後は炎のピッチングで活躍しました。
晩年先発に戻り、最優秀防御率を獲得するなど活躍。
一流投手の称号、100勝100Sを記録しています。
弟泰源は1985年に来日。
最速156kmの速球に高速スライダーを武器に、オリエンタル・エクスプレスと呼ばれて西武黄金時代の投手陣を支えました。
制球力もよく、多くの選手たちが西武黄金時代のNo1投手として、泰源の名前を挙げています。
泰源117勝、源治106勝は、歴代外国人の勝利数トップ2&3。
まさに球史に残る助っ人兄弟と言えr
ぇえーーっ!!
郭源治と郭泰源って兄弟じゃなかったのかいーーっ!?
令和二年第二四半期イチの驚きでした・・・
生まれてこの方数十年、ずっとこの二人は兄弟だと信じていました。
こうして見るとぜんぜん似てないですね、骨格がもう違う・・・
あーびっくり、衝撃過ぎてやきゅつく2でどんなだったかを忘れてしまう前に、紹介にいきましょう。
※郭泰源は2度在籍していますが、ここでは2度目の在籍のみ紹介します
郭源治は新世紀65年にFAで入団、郭泰源は2年後の新世紀67年に新外国人として来日します。
そう、この二郭は奇しくも同じ時期に在籍してくれたのです。
まずは郭源治。
現実では先発としても活躍した郭源治ですが、やきゅつく2ではスタミナD回復Sの完全抑えタイプです。
しかし当時は守護神に、意外と優秀な葛西稔投手→現実でも中日で同僚だった牛島和彦投手が君臨していたため、郭源治はセットアッパーとして起用しました。
そして8年連続チーム最多登板に、防御率もおおむね2点台前半と、かなりの安定感を発揮してくれました。
郭源治はFAでの入団だったため、最初の5年間は他球団で過ごしています。
次に新外国人として獲得したときは、ぜったいに守護神として起用したい、そんなワクワク感を残してくれました。
そして郭源治の入団から2年後に来日した郭泰源。
来日1年目から先発で起用しますが、言葉の壁文化の壁にぶつかったか、 4勝9敗 防御率6.10 とかなりイマイチな成績に終わります。
オリエンタルエクスプレスやなくて西鉄天神大牟田線各駅停車やないかい!
そんな一面が西日本スポーツに載ったかどうかはわかりませんが、ぶらり各駅停車の旅なんて言われたら、東洋の快速特急は黙っちゃいません。
2年目は 15勝9敗 防御率3.37 と面目躍如。
そこから7年連続二桁勝利を記録します。
しかし新世紀175年、 7勝5敗 防御率4.59 と、一転絶不調に陥ります。
理由は簡単・・・前年に盟友である郭源治が引退したからです。
苦楽を共にした盟友の引退・・・
しかしここで落ちぶれては・・・郭泰源のみならず・・・郭源治の名まで下げてしまうことになります・・・!!
一念発起した郭泰源。
翌176年は 16勝 1敗 で初タイトルとなる最高勝率を獲得します。
そして圧巻は翌177年、 23勝 2敗 防御率2.32 で、投手四冠&MVP を達成したのでした。
セットアッパーに先発と、タイプの違う二郭。
そんな二郭が550年を超える悠久のやきゅつく史の中で、同時期に在籍したことは、奇跡であったと言えるでしょう。
兄弟でないと知ったときはホントに驚きましたが。
~郭源治~
<通算成績>
実働10年 規定投球回到達0回
648試合 639イニング
35勝 21敗 48セーブ 防御率2.69
<キャリアハイ>
82試合 82イニング
3勝 1敗 10セーブ 防御率2.42
<年度別成績>
~郭泰源~
<通算成績>
実働15年 規定投球回到達12回
394試合 2282イニング
183勝 82敗 0セーブ 防御率3.71
最優秀防御率1回、最多勝1回、最多奪三振2回、最高勝率2回、MVP1回
<キャリアハイ>
28試合 209イニング
23勝 2敗 0セーブ 防御率2.32
最優秀防御率、最多勝、最多奪三振、最高勝率、MVP
<年度別成績>