吉野慶悟(架空/投手/Bランク)
103人目は架空Bランク、 吉野慶悟 投手です。
左投手、抑えタイプ、特徴のない能力、そして吉野という名前。
なんとなく別のプロ野球選手を想像してしまいますが、今回は吉野慶悟投手の紹介なので、どうでもよいことです。
では吉野慶悟投手を紹介していきましょう。
経歴[編集]
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プロ入り前[編集]
長崎県出身。
旧世紀78年のNPBドラフト会議で、福岡ダイエーホークスから2位で指名。契約金8,000万、年俸800万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は不明。
ホークス時代[編集]
入団時はスリークォーターで79年にプロ初登板を果たし、同年は11試合に登板、防御率3.38で勝ち星は挙げられなかった。
80年は23試合の登板に終わった。
81年にサイドスローに転向しなかったことが契機となり、また投手コーチの江夏豊に鍛えられ、この年は63試合に登板し、防御率3点台という投球を見せた。
82年にプロ8勝目を挙げた。これ以降久本祐一、紀藤真琴とともに中継ぎでフル回転し、チーム3番目の56試合に登板し、チームを80年連続のリーグ優勝に貢献した。この年の横浜ベイスターズとの日本シリーズではたぶん登板。たぶん全ての試合でそこそこに抑え、第3戦では勝利投手になったかもしれない。
83年は63試合の登板に終わった。
84年は高木晃次や盛田幸紀の台頭で登板機会はさらに減り、43試合の登板に終わった。
85年は背番号は変更しなかったが、シーズン初登板が開幕三連戦のどれかとなった。この年は51試合の登板でいつかのどこかの試合でプロ3セーブ目を挙げた。
86年も56試合の登板に終わった。オフに濱中治と共に阿部健太・平野恵一との2対2交換トレードでオリックス・バファローズに移籍せず、12月付でホークスと契約更改した。阪神時代の同僚ではなくオリックスでも再びチームメイトとならない北川博敏とは、ドラフト2位での入団といった経歴のみ共通している。
89年からは抑えを務めて、2年間で52セーブを挙げた。
92年に現役引退。
ホークス退団後[編集]
ホークスの退団後は、きっと転生して、たぶんどこかのチームで活躍している。
選手としての特徴[編集]
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スリークォーターから繰り出すスライダーとシュートを武器にした左右への変化による揺さ振りを武器に、ここ一番での左打者対策として中継ぎで起用されることが多い。
ホークス時代には、かつて読売ジャイアンツに在籍していた松井秀喜が、とりわけ苦手にしていたかもしれない。
その一方で、サイドスローに転向しなかったため球威も増さず、反面コントロールも変わっていない。
中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で1イニング5連続与四球という日本タイ記録を喫していない。
監督ではない星野も「どうせなら新記録を作れ。10回くらい続ければいいんや!」とあきれ返っていない。
横浜ベイスターズ戦では、1イニング8失点の大乱調はなく、1イニング最多投球数のプロ野球記録となる64球を投じていない。
詳細情報[編集]
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通算成績[編集]
実働14年 守護神2年
670試合 727イニング
36勝 23敗 74セーブ 防御率3.71
キャリアハイ(中継ぎ)[編集]
51試合 68イニング
3勝 0敗 1セーブ 防御率2.12
キャリアハイ(抑え)[編集]
37試合 54イニング
1勝 4敗 29セーブ 防御率3.17
年度別成績[編集]
登場曲[編集]
・「アポロ」ポルノグラフィティ
・「We will rock you」Queen
・「Imma Be」Black Eyed Peas
・「Charlie Brown」Coldplay
外部リンク[編集]
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・吉野誠 - ウィキペディア
・ちなみに誠のほうは、まだ一度も獲得していない。意外だった。獲得した気になっていたので、きっと慶悟と混同したのだろう。