屋久島移住顛末記(その1) | 屋久島! 農で起業する!

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聴覚障害者が、屋久島で新規就農!
農業王国を目指し、日夜努力する葛藤を連日掲載!
耳の不自由な人に理解のある人と
聴障者のふれあいの場を構築し、
障害者雇用の道を確立させ、
安全な食べ物を自ら作り、
自給自足の生活を確立させる事をモットーとする元気人のページ。

 我輩は、2009年1月に屋久島に新規就農の為に、神戸から移住した。27年間勤めた役所を51歳で早期退職し、屋久島に骨を埋める為に不退転の覚悟で平内に居住を構えた。役所は阪神大震災以降、業績が悪化して職員は10回以上の減給・昇給停止・退職金減額を繰り返し、従来給与から3割額以上の欠落を余儀なくされ、年収も2~300万円以上の減額がなされている状態だったので、私が定年退職せずに早期退職をした為に、更に500万円の退職金没収処置がなされて、退職金はわずか1,500万円しか貰えなかった。

 そのお金で、平内の上之牧に1,200坪程の農地を購入した。この農地を買う為に、2004年から毎年1週間の休暇を取得して屋久島に農地取得の為に来た。その1週間と言うものは素泊まりの宿で連泊して、3食共スーパーの弁当で、朝から夜まで毎日東奔西走し、農協や農業委員、町役場を駆け回り情報聴収して彼方此方駆け巡った。良さそうな土地が有っても国家事業に制定されていた土地であったり、抵当権が掛かっている土地であったりして購入する糸口を掴め無かった。

  農業委員会に相談しても、農地の斡旋や紹介をしてくれる事は一切無く自ら2005年、2006年、2007年、2008年と毎年屋久島にやって来ては、一日中農地を単独で探し回った。しかし、部外者の私に警戒して誰も農地を売ってくれず、無駄に年数を費やしてしまった。


 毎年、5年連続で1週間の休みを取っては屋久島に行く私に対して、職場の人達も冷ややかな目で見る様になり、仕事も雰囲気的にし辛くなっていた。この頃は、官公庁農場で「イチゴ」を数年間単独で担当し、「さちのか」と「宝交早生」のウィルスフリー苗を、毎年僅か40株から順調に増やして200倍の8,000株を作出していた。
 
 そして、イチゴの背丈が60㎝にもなる超巨大育成に成功して、県農場試験場の研究員が驚きの視察に来る位で、近郊農家の話題になっていた。しかし、度重なる屋久島行きの連続休暇取得で全く違う部門に左遷させられ、生活的にも切羽詰った時期となっていた。

 2008年に5度目の再訪で、疲れ果てた最後の日に農家民宿の紹介で、上之牧の農地を購入する手立てが出来た。しかし当初、持ち主は何度も「売らない」と拒んでいた為、結局は相場価格の4倍近い値段での購入になった。それでも上之牧の高台に農地を購入できた喜びで、とても嬉しかった。


 最初、購入した時はこんなジャングル状態。
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 それを少しずつ重機で整地して貰った。
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 作業は依頼して、
又、神戸にとんぼ返りして、引越の準備をした。

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 そして、そこにマッチ箱のような家(ユニットハウス)を建て、
3男と家内の3人で生活を始めた。
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 だが、家の北側に8m程度の崖が有り、
それを整地しなければならなかった。

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