1.令和について思うこと、その1.
* 和製漢語の話
漢字は、代表的な表意文字です。
「“ないもの”を、“あるもの”で表す」と言うことが、自在に工夫出来ます。
極め付きは、熟語による造語です。漢字本来の表意する意味が、劇的に変化します。
ここでは、更に広範な認識や、より深遠な意味の付与も可能です。
そして、一度(ひとたび)造語仕上がれば、漢字語圏内では、直ちに新概念を広汎に共有し得ます。
翻訳が、煩(わずら)わしくてくどくどしい説明なしで、O.K.なのです。
“それをどのように発音するか” は、あとで、その国の母国語に従えばいいのです。
このことを最大に享受している国が日本と言えます。
そして、このことは同時に漢字の、日本発の漢語圏への逆変質の可能性も 意味します。
バイカモ(梅花藻)
桜を連想させる植物には、“~さくら”が多いのに対して、
梅からはバイと音読みの植物が多いようですね。
例えば、日本には古くから平和という概念はありましたが、最近まで的確な言葉はありませんでした。
そこで、
明治の初め、英語の ピース(peace) の翻訳に迫られた時、「和平」では不十分と考え、
ひっくり返して、「平和」という語を作ったそうです。
従来の「和平」とは、それまでの争い状態を、戦いのない状態に変える試みや、行動の方向性を指します。
一方「平和」という言葉は、 平常 が戦いのない平安状態である ―― 人も家族も社会も、そして自然も、戦いの惨禍に脅かされない平穏な日常状態 を想定した言葉です。
ピースをそのように理想化して理解した造語なのです。
* 令和という言葉
令和の出典は天平2年(西暦730年)万葉集の梅花の歌三十二首の序文からだそうです。
大宰府長官の大伴旅人が400年前の “蘭亭の故事” を真似て、梅花をお題に和歌を詠む宴会を開き、
そこに、更にその200年前(西暦130年頃)の 帰田賦 張りに寄せた序文です。
だから和書からとは言え、過去の元号と同じく大いに漢籍に倣(なら)ったものです。
しかもふたつの典拠に――翰苑はともかく、書聖の文化人 王義之の率意(そつい)のスケールや、先駆詩人で大科学者の張衡の気概の眩(まぶ)しさ―― に対峙すると、いささか後進三流国の気恥ずかしさすら覚えます。
(注1.)
万葉の時代、日本では漢文に、“てにをは” による品詞と文法を挿入し、語尾も補い、漢字をそのまま 音読み で日本語の中に取り入れました。
令和 という造語なら、“令して和す” と読めば、
それが良法ならば、和させし(令)む に近く、リーダーシップの優秀性を、
しかし悪法ならば、令すれど和す に近く、民度の高さを称(たた)える言葉だと言えるでしょう。
3.令和について思うこと、その3
* 令 について、
やがて漢字を真名(まな)として尊重しつつ、漢字を母体にして、ふたつの仮名(かな) ―ひらがな と カタカナ ― を発明しました。
そして、日本語自体を変質させ、漢字を自由に操(あやつ)ることに成功しました。
こうして
“音による移植の不気味さ” から脱する事ができ、単語の理解は平易となりました。
日本語がより理知的になり、飛躍的に豊かになりました。
その下地となったのが万葉の時代です。
令の典拠は、いずれも、形容詞の令 令月(れいげつ)です。
この令にかなでは、よき とふっています。
本来 令 とは、言葉や意向も含めて、
天(てん)の発するものが字義でしょう。
天とは、いわば漢字語圏における “神の規範” のようなものです。
(注2.)
さて、
日本の歴史は、半ば以上、権威と権力を分けて考えています。
令とは、 権威 の方に係わる修辞です。
だから、このよき(令き)は、好き嫌いのよきではなく、単に 権力や権勢のみでは到底手にすることが出来ない、抗(あがら)うすべもない 気品や正義感 に趣(おもむき)を重ねるべきでしょう。