(注1.の1.)
―天平二年正月十三日―
「于時 初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。」
――西暦に直せば、730年2月 4日(ユリウス暦)または8日(グレゴリオ暦)――
時は初春の令月にして、氣淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す。
奈良県立 万葉文化館展示
* 冬至;新暦12月23日頃 北半球では1年で昼が最も短い日。そのあとは、、、
それでも、日中に太陽から受け取る暖かさは、夜間に失う放射熱より小さく、気温は下がり続けます。寒さのピークはおよそ1割ずれて、1月下旬になります。
宴のころ、、、まだひんやりと肌寒く、塵(ちり)は沈んで、大気は澄みます。
そして、光は大地に春始動のエネルギーを貯めます。
初春はそんなうるわしい(* 麗しい;中西進先生のお言葉)時節です。
麗しさは、令月の大気を背景に2つのシークエンスを織り交ぜて表現されています。
1つは、御婦人が身繕(づくろ)いを整えて歩む場面であり、もう1つは、梅花と新芽です。そして、両者を『さわやかな“空気”とその動き≒“風”』 が繋いでいます。
第1の場面では、梅花も「披(ひら)く」と記しています。
奥まった部屋の鏡の前のおしろいのふたを開けると、わくわくさせる白さが拡がるように、梅は、枝々に粉をまぶして花びらを綻(ほころ)ばせます。
さわやかな大気の中、開花映像を早送りで見るような躍動感です。
第2の対句の場面では、「珮後の香」「薫(くん)ずる」と形容しています。
御婦人が通り過ぎると、遠ざかる一足毎に鳴る帯玉(おびだま)の音が、匂い袋の残り香をその振動で後ろからこちらになびかせるようにひびいて来る。
同 展示人形
「薫」は燻を連想させます。蘭草:フジバカマは乾燥させなければ匂いはありません。
風は和(やわ)らかく、春草の新芽の沸き立つ香りを、かすかな煙のように薫(くゆ)らせる。
いくつかのカットをフラッシュバックで描写したかのような表現です。
この細やかさ、繊細さこそが和書万葉集の真骨頂なのでしょう。
― その頃は、
空気は清々(すがすが)しく、梅は鏡の前のおしろいのように花びらをほころばせ、
風は和(やわ)らかで、匂い袋の残り香が帯飾りの後ろでなびくように、新芽の香りを薫(くゆ)らせる
そんな令月でした。 ―
(追) また、
「忘言一室之裏、 、、、」
、、、「言いたいこともあろうが、それは部屋の片隅に打ちやっておいて、大自然に溶け込んで、風情(ふぜい)を歌に満喫しよう」
などと言っても、細やかな心情を自然に仮託すれば、たおやかでもあり、なにやら艶(なま)めかしいのも、万葉の心意気と感じます。