立志尚特異 その四 「坂本龍馬」 | 立志尚特異、まにまに

立志尚特異、まにまに

アニメ等の日本のサブカルチャーから「社会問題」を語るオタクのチラ裏ブログである。

人気ブログランキングへ ← クリックよろしくお願いします。

るろうに剣心 追憶編  第四話「十字傷」




あまり、「るろうに剣心」とは関係ありませんが、いつもお世話になっているので、
紹介したいと思います。(有名ですが。)

「坂本龍馬」

天保6年11月15日(1836年1月3日)~ 慶応3年11月15日(1867年12月10日)

倒幕および明治維新に影響を与えた幕末の志士である。


「北辰一刀流」

嘉永6年(1853年)小栗流目録を得た「龍馬」は剣術修行のため、
1年間の江戸自費遊学を藩に願い出て許される。

北辰一刀流の「千葉定吉」道場の門人となる。

安政3年(1856年)8月に藩から2度目の1年間の修業が許される。

安政4年(1857年)に藩に1年の修行延長を願い出て許される。

安政5年(1858年)1月、師匠の千葉定吉から「北辰一刀流長刀兵法目録」を授けられる。


「亀山社中」

元治元年(1864年)5月14日、「海舟」が正規の軍艦奉行に昇進して
神戸海軍操練所が発足する。

元治元年(1864年)「禁門の変」で塾生「安岡金馬」が長州軍に参加していた事
が幕府から問題視され、老中・阿部正外の不興を買い江戸召還を命ぜられる。

龍馬ら塾生の後事を心配した海舟は江戸へ出立する前に薩摩藩城代
家老・小松帯刀に彼らを託して、薩摩藩の庇護を依頼した。

慶応元年(1865年)3月18日に神戸海軍操練所は廃止となる。

慶応元年(1865年)5月頃、薩摩藩は彼らの航海術の専門知識を重視しており、
龍馬らに出資して「亀山社中」を結成させた。

近代的な株式会社に類似した性格を持つ組織であり、当時商人が参集していた。

「亀山社中」の成立は商業活動の儲けによって利潤を上げることの他に、
犬猿の仲にあった薩長両藩和解の目的も含まれていた。


「薩長同盟」

慶応元年(1865年)5月、先ず土方と龍馬が協同して長州の桂小五郎を説諭し、
下関で薩摩の西郷隆盛と会談することを承服させた。

同時に中岡は薩摩に赴き西郷に会談を応じるよう説いた。

慶応元年(1865年)5月21日、龍馬と桂は下関で西郷の到来を待ったが、
中岡が漁船に乗って現れただけであった。

その頃、西郷は下関へ向かっていたが、途中で朝議が幕府の主張する長州再征に
傾くことを阻止するため、急ぎ京都へ向かってしまう。

桂は激怒して、和談の進展は不可能と思われたが、龍馬と中岡は薩長和解を諦めなかった。

当時、幕府は国外勢力に対して長州との武器弾薬類の取り引きを全面的に禁止しており、
長州藩は近代的兵器の導入が難しくなっていた。

一方、薩摩藩は兵糧米の調達に苦慮していた。

そこで龍馬は薩摩藩名義で武器を調達して密かに長州に転売し、その代わりに
長州から薩摩へ不足していた米を回送する策を提案した。

取り引きの実行と貨物の搬送は「亀山社中」が担当した。

この策略によって両藩の問題が解決することになるので、両藩とも自然これに首肯した。

(1865年)9月に「非義勅命は勅命にあらず」という文言で有名な大久保一蔵の書簡を、
長州藩重役広沢真臣に届けるという重大な任務を龍馬が任されている。

慶応2年(1866年)1月8日、小松帯刀の京都屋敷において、桂と西郷の会談が開かれた。

話し合いは難航して容易に妥結しなかった。

1月20日に龍馬が下関から京都に到着すると未だ盟約が成立していないことに驚愕し、
桂に問い質したところ、長州はこれ以上頭を下げられないと答えた。

その夜に龍馬は西郷を説き伏せる。

1月22日に薩長両藩はに薩摩側が西郷と小松、長州は桂が代表となり、龍馬が
立会人となり列席して、「薩長同盟」は結ばれた。


「海援隊」

翌慶応3年(1867年)1月13日に龍馬と後藤が会談。
「亀山社中」を土佐藩の外郭団体的な組織とすることが決まる。

翌慶応3年(1867年)4月、これを機会に「亀山社中」は「海援隊」と改称した。

隊の主要目的は土佐藩の援助を受けて、土佐藩士や他藩の脱藩者中の海外事業に
志を持つ者を引き受いれる。

運輸・交易・開拓・投機等の商業活動を行い土佐藩を助ける。

隊士は土佐藩士および他藩出身者など16~28人、水夫を加えて約50人から成っていた。

同時期、「中岡慎太郎」は陸援隊を結成している。

「いろは丸事件」後、慶応3年(1867年)6月9日に藩船「夕顔丸」乗船。


「船中八策」

「龍馬」はその船上で政治綱領を書き上げ、土佐藩参政「後藤象二郎」に提示した。

それが、以下の八項目であった。

1.政権を朝廷に奉還し、政令は朝廷より出すべき事(大政奉還)
2.上下議政局を設け、議員を配置して政事を参照し、
 政事は公議を以て決定する事(議会開設)
3.有能な公卿諸侯その他の才人を顧問として官爵を賜い、
 従来の有名無実な官位は除くべき事(官制改革)
4.外国との交際は広く公議を採り、新たに至当な規約を成立せしむ事(条約改正)
5.古来の律令を折衷し、新たに法典を撰する事(憲法制定)
6.海軍を拡張する事(海軍の創設)
7.御親兵の設置を以て帝都の守衛をなす事(陸軍の創設)
8.金銀物価は外国と均しく法を設ける事(通貨政策)
横井小楠の『国是七条』を原案としたもので、後に成立した維新政府の綱領の
実質的な原本となる。




「司馬遼太郎」の「竜馬がゆく」で世間一般でイメージされる龍馬像はこの作品によって
作られたと言える。

「司馬遼太郎」


作品中において「竜馬」と表記されており、「龍馬」でないのは、司馬自身が
フィクションとしての彼を描いたためとも言われている。

私は「司馬遼太郎」では好きでありません。


この「ブログ」のタイトル「立志尚特異」は「吉田松蔭」の格言から頂きました。

格言・教え
「立志尚特異」 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
「俗流與議難」 (世俗の意見に惑わされてもいけない)
「不思身後業」 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
「且偸目前安」 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
「百年一瞬耳」 (百年の時は一瞬にすぎない)
「君子勿素餐」 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)

読み方は(りっしはとくいをとうとぶ)と呼びます。

要するに「変人でよい」と言うことですね(笑)

これからも「変人」で頑張ります。