〔※初期の記録は受傷1ヶ月以上たってから記録していますが、分かりやすいよう、日付はその時の日時にしてあります。〕

〔※やけどの患部の画像を掲載していますので、苦手な方はご注意ください。〕




日によって状態が違うというような日々が続いている。


ただ紫っぽくなるのは、少し収まって来たように感じる。


やけどが浅めだったらしき部分は、よく見ないと境目が分からないほどにきれいに皮がはってきている。しかし娘が足の指が少々突っ張る感じがあるというので、また不安になった。


焦らずにいこう。


そう心で念じながら、祈るような気持ちで毎夜薬を塗り、貼り薬をはり、包帯を巻いている。


ちなみに先日「通院はもう2週間に一度でもいいよ~」と言われたので2週間分の薬をもらう。・・・うれしいけれど、おかげで財布はGWにもかかわらずスッカラカンになった(苦笑)


やけど治療Diary
【受傷後39日目】


〔※初期の記録は受傷1ヶ月以上たってから記録していますが、分かりやすいよう、日付はその時の日時にしてあります。〕

〔※やけどの患部の画像を掲載していますので、苦手な方はご注意ください。〕




劇的回復を見せた5日間を経て、このまま完治?というわけにも行かないだろう、というのは多くの治療記を見ていて覚悟していた。やけどは回復期を過ぎたあと、いろいろと出てくる、と多くの書き込みにあったからだ。


それでも徐々にきれいに回復しているようだった。


薬は先週からの透明な塗り薬に加えて、白い塗り薬も使用するようになった。


やけど治療Diary
【受傷後26日目】



が・・・


なんだろう。少し紫がかってきたり、白っぽく見える時がある。

日によっても多少違うのだ。


うまく表現できないが、ハムみたいな感じの皮膚感?

このままケロイドになってしまうのでは・・・と不安がぬぐえない。


神様・・・



足の甲はあとが残りやすい部位らしい。

現実はなかなか厳しい、と天を仰ぐ。いつかこのブログが「こんなにきれいになった!」という終わり方ができる日を夢見て過ごしていこう。


やけど治療Diary
【受傷後29日目】






やけど治療Diary
【受傷後32日目】


〔※初期の記録は受傷1ヶ月以上たってから記録していますが、分かりやすいよう、日付はその時の日時にしてあります。〕

〔※やけどの患部の画像を掲載していますので、苦手な方はご注意ください。〕


一部を除き上皮。先週末からは貼り薬のサイズが小さくなったが、透明な塗り薬をぬってから貼り薬、になった。


受傷から19日目、医者の許可も出たので受傷後はじめてシャワーを使用。


2週間で上皮しない部分はあとが残る、というのが一般的な考え方のよう。娘の場合も中央の指にかかった部分がこのときはまだ生々しく、痛々しかった・・・

やけど治療Diary


が・・・


ここからの数日間は、劇的な回復期となった。






上の写真から3日後の写真がこちら↓

(ちなみに2枚とも同日に撮影。やけどの写真ってフラッシュの使用の有無で感じがまったくちがく写る)


やけど治療Diary


やけど治療Diary



そして。。。


これからさらに2日後・・・↓

やけど治療Diary


わずか5日の間に生々しかった部分も完全に上皮した。



すごくない?かなりびっくり!


〔※初期の記録は受傷1ヶ月以上たってから記録していますが、分かりやすいよう、日付はその時の日時にしてあります。〕

〔※やけどの患部の画像を掲載していますので、苦手な方はご注意ください。〕




2週間になるころ、不安がピークに達し、「本当に病院はここ(川添医院)でいいのか・・・」という迷いが出てきた。


ちなみに先に書いておくが、娘の場合、幸運にも早い段階で「川添医院」を知ったことがかえって迷いにつながったのかもしれないと思っている。


多くの方の書き込みを見ると、大概の方は近所の病院や大学病院で満足のいく治療が受けられなかったり、皮膚移植の可能性を示唆されて、慌てて他の手立てを探り、結果「川添医院」に問い合わせるというパターンのよう。そこで先生に「そこまでのやけどじゃない」とか「手術は必要ない」とか、「きれいに治る」とか「がんばりましょう」といわれてホッとする・・・という流れだ。


がしかし、娘の場合は受傷二日後に同病院にたどり着いた。そもそも最初に治療してもらった大学病院に不満もなかった。そして、後から考えれば当然だけれど、初期の段階で安心したかったのに「大丈夫」とか「治る」という話をしてもらえなかった。このことにも不安があり、今思えば先生に対して最初から態度も疑心暗鬼だったように思う。


そこで私は保険が使える病院でより良い診療をしてもらえる病院はないものかと、必死に探すようになる。そして見つけたのが「湿潤療法」というもの。詳しくはこちらのサイトを参照→「新しい創傷治療

要するに傷パワーパッドの要領?で、傷は乾かさず、人間が持っている治癒力を最大限に活かした治療法、とでもいうのだろうか・・・。(実際は傷パワーパッドの方が湿潤療法から生まれたもののようだけど)


都内では下井草にある「柿田医院 」が評判がいいと分かり、それでも転院を迷っていると、友人の娘さんが顔に怪我をしたときにこちらの病院へお世話になり、きれいに完治した、という話を聞く。それを聞いて、ますます興味がわいてきた。


メールでの問い合わせができるとあったので、思い切って現状を説明し、相談してみた。娘の火傷の具合、今は川添医院に通っていること、その治療に不満は全くないこと、他の治療法の可能性への期待、今後のことを考えると医療費を払い続けられるか不安があること、などをつつみ隠さず書いた。


するとその日の午後、「柿田医院」の先生より、直接電話をもらった。とても親身になって話を聞いてもらえ、好印象。この病院なら・・・という確信を持てたので、週末に娘と二人、電車を乗り継ぎ、バスに乗り継ぎ、下井草の病院へ行ってみた。アットホーム感じの病院で先生もとても優しかった。


が・・・結論から言うと、迷いに迷った結果、「川添医院」で様子を見てみよう、ということに決めた。

理由は微妙だ。これは個人的な考えなので、参考程度に流し読んでいただきたいが、もしも娘のやけどが2度深までだったら、私はたぶん「柿田医院」にお願いすることにしたと思う。治療方法に関しても納得がいくものだったし、事実同病院でやけどがきれい治った例も少なくないようだ。


でも3度の深い傷。娘の足には確実にこの部分があった。これを見て、柿田医院では「この部分は少しあとが残るでしょう」とはっきりと言われた。では「川添医院」ではあとが残らないといわれたかというと、もちろんそうではない。「柿田医院」の先生には「このまま川添さんに通うか、うちで治療するかは良く考えてから決めていただいていいですよ。正直、どちらの方がどれだけきれいに治せるかなんて証明のしようがないんだよね。同じやけどを両足に負って、ヨーイドンでそれぞれの医者が治せれば分かりやすいのかもしれないけど、そうもいかないしね」と冗談交じりに説明された。


では、決め手はなにかというと・・・


自分でも良く分からない(苦笑)


少なくともひとつの要因となったのは、病院を転院するかもしれない、と話した後、娘の精神状態が不安定になっているのを感じたこともある。また、やはり上皮した後のケロイドや瘢痕の予防に関しては、川添医院の薬の方が期待度が高かった。本音を言うと「上皮までは柿田医院、上皮したら瘢痕予防の治療にまた川添医院」というのがいいのでは?とも思ったが、やはり医師の治療方針があることや治療計画してくださるのを考えると、そうもいかないだろう、と考えた。


ちなみに実は2日間、この「柿田医院」の治療法を実践した。その結果、あれほど硬くて取れにくそうだった指の部分の皮がこの2日間で自然にきれいに取れた。


やけど治療Diary


同医院で処方されたプラスチベース(ワセリン?)でべたべたになっている足で「川添医院」に行ったので、黙っているわけにもいかず、先生に迷って別の病院にも行ってしまった、と話した。いやな顔をされるんじゃないか、と思ったが、むしろこの後、先生との距離が縮まったように感じている。


私はこころのどこかで、「全国からわざわざ治療にくるような有名な病院の先生だから、診てやってる的な感じなのではないか。つまらない質問をしたら怒られるんじゃないか」と思っていたかもしれない。変に構えすぎていたようだ。



「川添医院」でいこう。


そう思ったあとは、この病院がとても好きになった。


〔※初期の記録は受傷1ヶ月以上たってから記録していますが、分かりやすいよう、日付はその時の日時にしてあります。〕

〔※やけどの患部の画像を掲載していますので、苦手な方はご注意ください。〕



「川添医院」の先生に切り込みを入れてもらった皮の隙間から下の皮膚の色が少しのぞけるようになった。赤い?白い?・・・正直素人には判断しづらい。


赤ければ2度深、白ければ3度と判断するようだ。

そして先生の心配していた指の部分は、皮が硬そうで、なかなかむけてこない。どうなんだろう・・・そう不安に思いながらも、ただ待つしかできず辛かった。ただ「ここは深そうだなぁ~」という先生の言葉があたらないことを祈っていた。


治療は相変わらず貼り薬を使用。お風呂はシャワーも含めまだ。・・・この状態がいつまで続くのかと思うと、少しづつ焦りが出てきた。


ちなみにここまで春休みで毎日通院できたが、小学校も始まりこれからは週一(土曜日)の通院になる。

大丈夫かなぁ・・・


やけど治療Diary

〔※初期の記録は受傷1ヶ月以上たってから記録していますが、分かりやすいよう、日付はその時の日時にしてあります。〕

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一週間もしないうちに、患部は徐々にグロテスクな様相となった。

私はもちろんショックだったが、娘は自分の足を見るのを怖がり、妹にすら絶対に見られないようにしていた。


この日、病院で皮を少し切ってもらった。薬がしみやすいから?それともそろそろ上の皮がむけやすいように?・・・


中に見える皮膚の色を見て、「白いと深いんだけど、うーん、赤いかなぁ~。ただ、指のここが心配だなぁ」と指の付け根あたりから中の指3本を指差して言われた。


指の部分は皮がはる際につっぱってひきつれてくると運動に障害が出る、と説明された。

あとが残ることだけを心配してきたが、それ以上にショックを受けた瞬間だった・・・。



やけど治療Diary

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娘がやけどを負ってからというもの、数日間、たぶん軽いノイローゼのようになってしまっていたのだろう。元々睡眠時間が少なくても平気な体質の私だったが、5日ぐらいはほとんど寝れなかった。常にインターネットでやけどの情報を読み、様々なクチコミや、病院の評判、似たようなやけどを負った子供のやけどの経過を記したブログをとにかく読みまくった。


そんなとき、いろいろ助言をくれる友人や知人とは対照的に、身内の親族からは辛辣な言葉を浴びせられた。「子供にやけどさせるなんて!」、「親のせいだよ、かわいそうに」と・・・。こういうとき、正論をまくしたてられると辛いものだ。私のせい。そんなことは分かっている。一緒に悩んで欲しいパパは仕事が忙しくて、正直それどころではないという状況だし・・・。でももう十分泣いた。泣いて後悔しているよりも、1日も早く完治させなければ。反省も後悔も、後から一生すればいい。今は今できることをしなければ・・・



まず現実的な一番の問題は、病院をどうすべきか、ということだった。


「川添医院」は確かに評判はいい。(一部の書き込みで否定的なものもあったが、その原因は客観的に見て“受傷から時間が経ち過ぎていたため効果が出なかったのに治療には高額かかった”というものと“高額だったために治療を続けられなかった”、または“いくら評判が良くても保険適用外なんて怪しい”という内容のもの。


そう、保険が使えない。これは最大の悩みだ。

なぜなら、私が住む地域は子供の医療費が中学生まで助成制度があるので、通常なら実質「無料」だからだ。それが「川添医院」では保険が使えない、ということはこの助成制度も使用できず、全額自己負担・・・。それも日に数千円という額(娘の場合は足の甲の1/3~半分、というぐらいの面積(足のサイズは23.5cm)で最初のころは1日4500円・・・後に患部が治ってくるとその分減額、ただし同時に塗り薬が必要となりその分がプラスとなる)が毎日分かかる。


片や無料、片や交通費も考えれば月に20万円近い額がかかる。一部の書き込みでは「広い範囲のやけどの場合、完治するころには高級車が買える」と皮肉が書かれていた。果たしてそれだけの違いがあるのか・・・。半ばだまされているんじゃないか、という思いもあったりして、それでも毎日「川添医院」に通った。なぜか娘が「あの先生が治してくれる気がする!」と言っていたのだ。なぜなのかは良く分からなかったが、とにかく今は娘の精神状態も大切だと思った。


また、ある友人ママが「お金でどうにもならないことも多いのに、お金でもしも解決できるなら良かったと思わない?」と励ましてくれた。ちょっと突飛な発想だが、たしかに・・・と思う面もあった。


それでもこのころは日々迷い、悩んでいた。

〔※初期の記録は受傷1ヶ月以上たってから記録していますが、分かりやすいよう、日付はその時の日時にしてあります。〕

〔※やけどの患部の画像を掲載していますので、苦手な方はご注意ください。〕




29日深夜から翌30日にかけ、インターネットで「やけど」に関する情報を探して読んだ。眠ることなく朝まで、そしてその後も1日中パソコンにかじりついていた。


・・・そして、愕然とした。


やけどは怪我とは違うこと、深さが深い場合は皮膚移植の可能性もあること、ケロイドや瘢痕、その他様々な後遺症の可能性もあり、安易に考えられがちな皮膚移植も危険が多く、その後も引き続き苦しんでいる人が多いという事実など・・・。


私は一人パソコンの前で泣いてしまった。「子供のやけどは親の責任」という言葉が深い後悔とともにずっしりと重く肩にのしかかった。しかし泣いてばかりもいられない・・・。



友人に相談すると「きれいに治す心得のある医者がいい。」とすすめられた。これは後に病院を決める上でも大きな助言となる一言だった。後々分かることだが、怪我ややけどの場合、「傷がふさがれば完治」とみなす医者も少なくないようだ。



昨夜の救急病院の処置には特に不満はなかったので、翌日は何を疑うこともなくまたその大学病院の形成外科へ娘と二人で行った。ちなみに実名を出してしまうが、「日本医科大学付属病院 」だ。待ち時間が長いことを覚悟していたが、予約していたこともあってすぐに診察してもらえた。



包帯をとり患部が見えると、昨日は小さな水泡だったものが受傷部分の全てがくっついて大きな水ぶくれになっていた。その大きさに私は思わず目を背けてしまった。


水ぶくれにたまった液を注射針でぬく。大きな注射だったにもかかわらず3回ほどぬき、あとは皮膚を少し切って残りの液を出した。あまりの量にびっくりし、医者には「やけどが深いとこうなるんです」と説明された。ただ、見た目には赤くなっておらず、どの程度のひどいやけどなのか、皮膚移植などが必要なほどの深さ(2度深~3度)のものなのか、と問うと「やけどはもう少し経過を見なければ深さが分からない」という回答だった。



担当医の先生は好感の持てる女性医師で、処置もてきぱきとしていた。

インターネットでは大学病院の先生は事務的とか、説明が少ない、治療が痛い、などと書かれていたが、少なくとも娘の場合はそんなことは全くなく、この2日間の治療で不満に思うことは正直何一つなかった。


処置が終わり、翌日の予約票をもらって帰宅。娘は昼過ぎには疲れからか、痛みからか、昼寝してしまった。そのとき、ちょうど友人から電話があった。そこで今回の件を話すと「やけどの専門医がこの近所にある。きれいに治してくれるらしい。HPを調べてみたら?」と言われた。この偶然の会話から、「川添医院 」の存在を知る。


HPを見てはじめて「やけど治療の専門医」というものがあると知った。そもそもやけどって皮膚科で診てもらうのではないの?・・・という疑問から始まった私の病院探しだったが、後々のことを考え「形成外科」の方がいいようだからこのまま今の病院で、と思っていた。だから「やけど専門医」って何?何が違うの?という疑問が大きかったが、ネット上のクチコミを見ると、「深いやけども薬できれいになった」というものが多い。ただし!・・・保険適用外・・・と。


迷うより聞いてしまった方が早いと考え早速電話してみる。


診察は午前のみだったが、昼過ぎに電話すると男性の医師が対応してくれた。とにかく診てみないと分からないが、早い方が効果がある、というので、この日の午後、診察時間外だったが指定された時間なら診てくれるというので行ってみた。


どうやら最近建替えたばかりらしい新しいきれいな病院で、電話で話した医師が対応してくれた。替えたばかりの包帯だったけれど、ここで「川添医院」独自のシップ薬にはりかえてもらった。このときの写真がこれ↓


やけど治療Diary


ここでも「かなり深そうだね」と言われた。そして大学病院の医師同様に「やけどの深さはもう少し時間がたたないと分からない。」とのこと。


誰かに「大丈夫、治るよ」といって欲しかった私にとって、不安な日々が続いた・・・

娘もそんな私を見て「治る?大丈夫かな?」と不安そうにしていた。


私がもっとしっかりしなくてはいけなかったのに・・・、と今更ながらこのときのことを後悔している。

〔※初期の記録は受傷1ヶ月以上たってから記録していますが、分かりやすいよう、日付はその時の日時にしてあります。〕

〔※やけどの患部の画像を掲載していますので、苦手な方はご注意ください。〕



やけど治療記を書くには、まずこの日の出来事から説明しなくてはならない。



・・・そう。なぜ娘にやけどを負わせてしまったのか。



それはこの日の夕食の準備をしているときだった。しゃぶしゃぶをしようと鍋をテーブルにセット。「鍋、危ないから気をつけてねぇ」と一声かけ、その後揚げ物に気をとられて再びキッチンに戻ると、数十秒後にテーブルのほうから大きな物音と小学3年生になる娘の悲鳴が聞こえてきた。瞬時に「鍋をこぼした!?」と気づき、すぐに洗面所へ連れて行って湯のかかった娘の足を流水で冷やす。靴下もすぐに脱がした。ここまではたぶん間違っていなかったはず。



しかし、このあと最初の応急処置で私は大きなミスをしてしまう。流水で冷やすが足は全く赤くなかった。その上、本人が「お湯はそんなにかからなかった。熱くなかった。水が冷たいからもういい。」と主張。これを鵜呑みにしてしまったのだ。5分ぐらい冷やしただろうか、そのあとは「じゃぁ、一応アイスノンで冷やして、ご飯食べちゃってから、念のため救急病院に行こうね」と。・・・今思えば、この判断の甘さが今回のやけどを重症にしてしまった最も大きな要因だったのだと思う。


やけどは最初の20分以上流水で冷やすべきで、この初期の処置が後々やけどの深さに大きく影響するのだと知ったのは、少し後のことだった。



果たして食事をし始めると娘の顔が徐々にゆがんできた。「痛いの?」ときくと「なんか変。ぴりぴりしてきた」と。慌てて救急病院へ連絡してタクシーで向かった。濡れたタオルで冷やしながらだったが、車内ではもう娘は体を震わせて泣き叫ぶほど痛がっていた。救急病院が比較的近所にあるという好条件にあり、受傷から医者に診てもらうまでの間、30分もかからなかったが、それはきちんと応急処置をしてやれなかったことで、やけどを重症化させるには十分な時間だったのかもしれない。



救急病院では、消毒か?生理食塩水のような水をバシャバシャと大量に患部へかける(ものが何だったのか不明)。娘はその液体が冷たくて気持ちよかったようで「もっとかけてほしい」と訴えていた。この時、先ほどまでは何もなかった娘の足にはぷつぷつと小さな水泡ができはじめていた。その後、貼り薬をしてその上から包帯でぐるぐる巻きにされたが、処置が終わるころには娘もずいぶん落ち着いていて、薬局で痛み止めを処方されて帰宅した。



医者には「まだここから数日間は余熱で傷が深くなる可能性があるのでしばらくは冷やして」といわれ、痛みがひどいようであれば薬を続けて飲んでもかまわないということと、足を高くして寝るようアドバイスされた。そして大学病院だったため翌日の予約票をもらって帰宅。痛みはあるようだったが、その晩は痛み止めを2錠飲むと娘も泣きつかれて眠ってしまった。


やけど治療Diary