一年ちょい前に行った廃墟の古民家に寄ってみたら | ゑびすたろうのブログ

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さてと本日は、かなり自宅から近かった廃墟の古民家が更地になっちゃったというお話。

このブログではかなり前から書いているのですが、私は基本的に週末の買い物は自動車やバイクを使わずに自転車を使って行うという事に決めていて、その自転車による事により発覚する事象も少なくなく、それなりに私にとって自転車での買い物は健康面だけではなく趣味の新たな発見にも交換しているというのが本当のはなし・・・


てな訳でブログタイトルにもあるように昨年(2023年)の8月19日に最後に見た廃墟の古民家が翌年(2024年)の6月末には既に建屋は撤去され、

更地になり、雑草が生えないように養生まで施行されている状態でびっくりしちゃいました ʕʘ‿ʘʔ


まぁ、法的に建屋を踏まえて全てを撤去出来るのは当然ですが所有者に限る訳で、その所有者が変わったという事を手っ取り早く理解出来るのが今回のこのケースでございます。


まぁ、私的にはこの建屋が存在した川崎市幸区鹿島田2丁目周辺はそれなりに面妖な場所で、何故か細かい家屋が建つ路地は未舗装の砂利道だったり、ちょいと変わった苗字の方が住んでいたりと、あまり突っ込むと面倒な事になりそうなので話はこれくらいにして、昨年の8月までここにあった廃墟化した古民家をお見せしたいと思います。


まずはこちらが建屋の俯瞰で、平屋造りの典型的な昔の川崎市内にあった一軒家で、

縁側に木製雨戸とそれを入れる戸袋、

たぶん杉板の『下見張り』だと思われる外壁は、現在の安っぽい2×4建築とは原価が違うくらい高価であり、長い期間放置してもこの状態を維持出来るのが素晴らしいところ・・・

玄関もしっかりと一間の引き戸造りで、驚く事に一才の歪みがないのが、半島系の輩が建てたモノとは別格だという証拠でもあります。

住所は既に消え掛かっていて、名前も消え掛かっておりますがどうやら『赤尾憙吉』さんらしく、残念ながら奥さんのお名前は滲んで判別不能状態・・・

取り敢えず『赤尾』姓をちょいと調べたみると、

どうやら人口が多いのは中京や関西地方で、例外で富山県南砺市赤尾町から姓をとったケースもあるようですが、基本的には関西圏がメインのようですなぁ〜っ・・・


こちらは昔はDefaultだった確認板で、上からNHK、東京電力、川崎市水道局、次は完全に酸化して読み取れず、最後は日本赤十字社社員章・・・

ちょっと酸化より窓格子の取り付け部にガタがきてますが、現座の安価な住宅の建築方式である2×4住宅はこれよりも簡単に酸化が進んじゃうので

やはり小さいながら町型古民家も捨てがたいところがこのような点で、

半島系簡易バラックと違いしっかりとしたこの手のタイプの建屋は本当に日持ちすることを教えてくれた貴重なものだったのですが、

残念な事に今では貴重な木製の雨戸や縦長の半間窓ももう見ることはできません・・・


御覧のようにこの集落の中を通る路地は未舗装の砂利道で、これが公道でなく私道なのは一目瞭然‼️

まぁ、この辺りは幸区と中原区の境に位置する場所である事と、当時の私鉄である『南武鉄道(現・南武線)』と府中街道の極小地帯であり、また江戸時代から流れる『二ヶ領用水』の一つである『渋川』の辺りにも位置する関係で21世紀の現在でもかなり面妖な場所でもあります。


因みにこの路地よりも一本『府中街道』沿いの極小路地がどうなっているかと言うと、この集落の入り方まではアスファルトが惹かれているのですが、集落に入った途端に砂利道となるので、

この路地を利用する住人たちで資金を出し合って厚手のメッシュ道床を引いており、

川崎市内ではます見ることのないドアを開けると路地の半分尺を塞ぐ造りや

土地の上に人工芝を敷いた路地など見どころ満載‼️

あと、前述したように写真の左側には『府中街道』が通るのですが、よく見るとお分かりのように『府中街道』の路面高さとこの砂利路地の路面高さの差が約1m以上の差があり、当然雨が降れば土地の低い方に流れ込むのが自然の法則な訳で、


川崎市幸区には昔ながらの高低差のあるこのような小さな集落の跡が

今でも残っているのもこれまた事実‼️


なんてちょっと話が逸れちゃいましたが、今回はかなり長い間放置されていた町型古民家の廃墟が取り壊されてしまったというお話でした。