土曜日は川崎市民ミュージアムへ | ゑびすたろうのブログ

ゑびすたろうのブログ

思ったことを書き綴る爺さんのブログ

さて本日は、三連休の初日の土曜日にちょいとお出かけしたお話 ( ^ω^ )


土曜日は午前中は結構天気が良かったのですが、午後から台風17号の影響で天気が天気が下り坂・・・

なのでバイクで出かけるのはやめて川崎市営バスで行こうと思ったのですが、目的地に行くバスがなかなか無くて、たまには良いかという感じで丁度停留所前を通りかかったタクシーで行く事に。

あまりタクシーは利用しない方なのですが、久々に乗ったタクシーは初めての日産のNV200。

神奈川県の横浜市は日産のお膝元なのでタクシーは日産車が多いのですが、NV200は初めてだったのでちょいと新鮮でした。


そんでもって今にも泣き出しそうな天気の下やって来たのは、川崎市民ミュージアム‼️

今開催しているのは、『昔のくらしと家庭の道具 2019』と『のらくろであります!』でっす‼️
のらくろはそんなに好きではないので、今回は『昔の暮らしと家庭の道具 2019』を観ることにしました。


このミュージアムはたまにとても面白い企画をするので、近頃はちょくちょく来てますなぁ〜っ


こちらが今回の目的の企画展の入り口〜っ ( ^ω^ )

見たことないものや母方の実家にあったものなどなど、色々あって結構楽しい‼️


瀬戸の枕は母方の祖父が夏になるとよく使っていましたなぁ〜っ・・・


こちらは母方の実家の台所の隅に私の子供の頃にあった、氷冷蔵庫と同じもの・・・ (´ω`)
よくリヤカーで氷を売る氷屋さんを止めて、二貫目の氷を上の扉の中に入れ、下の扉内には祖父の大好きなザッボロの瓶ビールを入れてました (´ω`)

他にも屋内に井戸があったので、電動ポンプで汲み出した井戸水で、西瓜や胡瓜を冷やしたものです・・・


こちらの鉄製扇風機は実はまだ実家にあり、現在はモーターが死んでしまっているので、私がバラしてモーターの銅線を巻き直している最中。
直ったら錆び取りをして、使えるようにしたいなぁ〜と思っております (๑˃̵ᴗ˂̵)


これも昔、自宅にあった電気炊飯器でモデルもまるで同じもの・・・
母の実家はガス炊飯器だったのでやはりこちらよりも美味しかったのですが、私の子供の頃に住んでいた借家は台所が狭く、一升炊きのガス炊飯器は置けなかったんだよなぁ〜っ ┐(´∀`)┌


こちらは電気ジャーと電気炊飯ジャー。

この頃のホワイト家電は何故か花柄の模様が入ったものや緑色だったりと、今見ると面妖な感じがするのですが、当時は違和感を感じることがなかったのですが、やはり今見るとちょっと不思議な感じがします・・・


戦後の初代三種の神器
『もはや戦後ではないっ‼️』の1956年の経済白書を象徴する家電群・・・

現在では取るに足らないものばかりですが、母に聞いたら特に洗濯機と冷蔵庫は本当にありがたかったと言っておりました ( ˘ω˘ )

この次の三種の神器は、3C(クーラー、カラーテレビ、車(Car)となる訳ですが、この時期(1960年台後半から1970年代前半)は高度経済成長期と工業化に伴う日本各地の環境破壊やゴミや公害病などが発生した時期でもあり、規模が違いますが現在の中国を見ていると、当時の日本を思い出すのは私だけではないと思います ┐(´-`)┌



展示の最後にあったのは恒例の体験コーナーで、今回はコマが無かったのが残念ですが算盤があったので久々にやってみたのですが、意外と指が覚えているもので、淀みなく100までの加算ができました ♪(´ε` )
隣で私の指さばきを見ていたどこぞのお子様が、自分の父親にやって見せてと言って駄々をこねておりましたが、実はわたくし珠算は段持ちだったりしまっす (๑˃̵ᴗ˂̵)

だけど、乗算や除算はやり方をとうに忘れてしまっているので出来ませんけどねっ‼️


とりあえず算盤の体験で今回の企画展は無事に終了しちゃったので、ちょいと常設展示コーナーへ行ってみることに・・・
古い歴史を見てもあまり興味も湧かないので、上記の写真の川崎宿で人々が交差する江戸時代のコーナーへ入ってみる事に致しました。


このコーナーで一番目を引くのは、やはり此方の川崎宿の模型・・・

手前が多摩川、奥が神奈川宿(横浜)方面・・・

まぁ、地方自治体が作る模型は街道筋だけなのが御約束なのですが、実は街道脇を入ったところ(現在の川崎市川崎区南町)には大規模な川崎遊郭があったのですが、当然この模型の中にはありません ┐(´∀`)┌


川崎遊郭が出来た理由としては、六郷の渡し(現在の東京都大田区六郷↔︎川崎市川崎区本町)の渡船権を購入した田中休愚が渡船権を守るために、川崎宿の各旅籠屋に三名までの飯盛女(遊女)を置いていいと言う許可を出した為、川崎宿の風紀が乱れた為と言われています・・・

因みに此方が川崎遊郭の当時の地図。
十九の妓楼と検番の組合事務所から成る、かなり立派な遊郭街だったそうです。


その後時代は流れ、現在でも遊郭の形を変えて南町、堀之内には特殊浴場が立派に存在しているのが事実だったりするのです。

まぁ、大きな宿場町には必ずあった遊郭街・・・

その痕跡は時代とともに風化、消滅していくものですが、8月末に訪れた富山市内の『新世界』のように、
今もなお、その当時の面影を残す建物が日本全国に数多くあるという事です
 ┐(´∀`)┌



そんな事を考えつつ何気なく展示物を見てまわっていると、当時多摩川そばにあった川崎宿名物の『なら茶飯』で有名と言われていた万年屋の模型を発見‼️


此方が万年屋さんが当時出していたと言われる『なら茶飯』・・・

そんでもって此方がちょっと前に、私が東海道川崎宿交流館で購入した『なら茶飯』 ( ^ω^ )
これを購入した際に東海道川崎宿交流館の人に私が、『なんでなら茶飯と言うのか?』と質問したところ、なんでも奈良の坊さんから聞いて作ったところからこの名前がついたと言う話を聞いたのを思い出しました・・・

さすが東海道、色々な地域の人が往来していたんだなぁ〜と妙に納得しちゃいました。


こんな感じで2時間ほどこの施設で展示を楽しみ、

復路はタクシーではなく、川崎市営バスを使って帰宅致しました (๑・̑◡・̑๑)
この路線は初めて乗ったのですが、意外と人が乗ってくるのにびっくりしましたが、殆どがユニホーム姿の子供達ばかりで、さすが川崎フロンターレの地元である等々力スポーツ公園ならではだと納得・・・


それにしても本当にバイクに乗らないなぁ〜っ‼️

本当に困ったもんだ ┐(´∀`)┌


そんでも今週末の土曜日は久々のミステリーツーがあるので、ちょいと気合を入れたいと思いまっす (`_´)ゞ




本日はこんな感じで、

Bis morgen‼️