梅毒未発症証明着 イブニングドレス | 『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

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従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

梅毒未発症証明着 イブニングドレス

笑う門には福来る

 西歌留多には「笑う門には福きたる」という、これも有名な唄がある。

家の門の前でアハハと大口開けて笑っていたら、口の中ヘアブや蚊が入ってきて厄介なことになる。とても、福どころの騒ぎではない。
この笑うというのは、ワラウの事で、江戸時代の「笑い絵」と同じで、春画、即ちポルノ画像のことである。

 「門」もカドではなく、女体の秘所のことである。カはカカア、つまり奥さんのことである。
女権の強い地方では「オッカド」とも云い、おっかあ、つまり奥さんの奴隷のように、よく尽くせという意味にもなる。だからこの「ド」は奴隷のドなのである。

つまり夫が女房へ、夫の義務であるSEXをよくはたして満足させている処は、夫婦円満で(七)福が訪れるとされ、今も信州の野沢の旧家では、昔から正月には玄関の入口に、
大きなカと、小さなドの丸い札を貼り、後は神棚に納めて祀っている。
いろは歌留多のサンカ物には、SEXがらみのものが多くみられる。しかしこれは、前述のように、彼らが好色だとか、SEX好きの特殊な民族なのではない。

この唄は、文化人類学的見地からも、現代の本質的な夫婦のあり方を、唄っているもので、夫婦関係が希薄になって、SEXもせず、子供も産まず、お互いに好き勝手なことをしている夫婦が多い現代、改めて考えて見なければならないのではあるまいか。
男と男、女と女の変態的結婚も多くなった昨今である。しかし、夫婦とはお互いに好きあい一緒になり、子を産み育てる生活が基本なのである。人間も動物の一種なのだから、
複雑化された現代社会といえども、この普遍の法則は守るべきである。少子化が激しい今の日本はこの唄の意味を改めて噛み締めて貰いたい。

 

 サンカ側では「ワラ束ねても男」という。

ワラは軽い物ゆえ女でも束ねて運べはする。だが居付きサンカの者らは村の乾しワラの管理をして、脱穀後のワラ朿を駄賃に貰ってから、
「ワラジ」とか「縄」に縒って作り、茶店で売って貰い、銭にしていた。
だからこれは、生計をたてる大切な仕事で、「男のくせに屑ワラを大切そうに抱えているぞ」と村の百姓たちに嘲られるのに対して、ムツとして答える時の返事なのである。
 地方によっては「ワラ家の雨は外で聴け」というのも有るそうである。ワラ葺きの屋根に住むのは大百姓の、庄屋か名主さまゆえ羨しかってはならないぞ。
ワラに雨が滲みこむように密かに足音を忍ばせ通りすぎぬ事には、見つかると作男や庭子に咎めをうけ殴られるとの教え。

「かったいの、かさ恨み」これはサンカ物とは違い、一般の男の悲哀的な恨み唄といえる。

この文句は式亭三馬の「浮世風呂」から広まり、「癩病(カッタイ)の瘡うらみよ」の一節から世に広まって、いろはかるたになったものと想われる。
 今でこそレプラは伝染病とみられて適当な処置法も研究されているが、昔は江戸期に長崎出島へ送りこまれる丸山女郎衆が、オランダ人に移されて持ち帰ったのが、
次々と国内に広まったスピロヘーター梅毒を、カサとよび、群馬には「カサ護り」祈願の、カサがササに転嫁して、笠森イナリすら現存する。種子島への鉄砲伝来から、日本では全く産出されぬ、火薬原料の硝石を持ち込んできたイエズス派関係の死の商人というべき男達に、進物として人身御供にされた、若い娘たちが次々に伝染させられた。

これは戦国時代からの事で、このため家康の伜の結城秀康も梅毒で鼻が落ち、木鼻を括りつけていたという。
 当時は606号とか水銀剤も抗生物質もなく、薬といえば煎じ薬だけだったから、好漢坂本竜馬でさえ、長崎の丸山遊廓で感染している。
若者のやることは今も昔も変わっていなく、酒と女だから、竜馬とて普通の男に過ぎない。
だから二十六歳からは脳毒で苦しみ続け、今のエイズより広まっていたという恐ろしい病気である。
どちらも病原菌が判っていなかったので、レプラ(現在のハンセン病、癩病)と梅毒は、カッタイとカサとに症状で分類したようだが、業病という点では混同され、
もし罹患したら死ぬしかないと恐れられていたのである。

「逆恨み(さかうらみ)」をもじって、カッタイがカサから感染したのではあるまいかと、五十歩百歩なのに意趣晴らしに取り返しのつかぬことをと、自分が女と遊び、病気を移されたことを棚に上げて、逆に恨んだという。

 

イブニングドレスは梅毒未発症証明着

 

 余談になるが、近頃日本は梅毒が流行っているという。

ヨーロッパでも梅毒が猖獗を極めた時期があり、各国社交界でもこの病気は恐れられた。何しろ貴族や、金持ち連中は、不倫や乱行は日常茶飯事の乱れた
SEXが横行していた時代である。男どもはSEXしたくてもまさか「貴女は梅毒にかかってませんか」と聞くわけにもいかない。
そこで女たちは、梅毒になれば、皮膚にできものや、背中には「バラ疹」という赤いぶつぶつの湿疹ができる。
そのため、SEX安全証明用衣服として、背中が広くあいたドレスを着用するようになったのである。現在の夜会(イブニング)ドレスの原型はこの時出来上がったのである。

さて、余談ついでに「色の白いは七難除ける」という女性専用の言い伝えがある。男で色白なのは軟弱そうに見え、気色が悪いだけだが、女にとっての色白は、武器の一つでもある。
七難というのは、前述したが「七福神の敵」、つまり「男が一歩家を出れば七人の敵がいる」も同義語で、仏教側のことである。
色白女であれば、敵の仏教側の助べえな男共をたらしこんで、楽な生活ができる。
白いもち肌とか、練り絹のような肌、白蝋のような肌、と表現されるが、ぬめる様に輝き、指で触れればとろけそうで、透明感さえ在り、男の官能を刺激し虜にする。
近年は食物のせいか、生活習慣のせいか、理由は定かでないが実際日本女の美肌は少なくなった。が、昔はもっと居たものである。昭和になっても有名なインドネシア大統領の二号になった女がいて当時は「シンデレラガール」として大出世だった。

(実態は戦後賠償金の利権に商社が群がり、自民党政府と結託し、彼女は賄賂として「生贄」にされ売られた)
自国の色黒で骨太な女と比べれば、当時彼女は若く可愛らしく、その白い肌にとりこになって感動した大統領は大いに満足しただろう。ちなみに彼女は健在で、八十歳になっても連日テレビでその顔を晒している。