プラモデル(玩具)の断捨離 | 『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

 老生、男の終い支度として、身の回りの不要な物をほとんど捨てた。
その中に趣味で作ったプラモデルが数百点在る。
多くの作品は「暇つぶし」の要素が強いが、武器の歴史的背景の興味を満たす部分も在った。

その他、高価なポケールの金属模型やウッディジョーの帆船模型も、一括して業者に綺麗さっぱり全て引き取ってもらった。
帆船やポケール製作には、特殊な工具や、数千点の部品仕分け用装置も必要で、値段も張る。
「高価だから」「思い入れがあるから」と迷って残すと、死後に家人や子供に負担がかかる。未練を残さないことが大切。

プラモデルなどというシロモノは興味のない人間にとってはただのプラスチックの厄介なゴミにすぎない。
 ただ、比較的印象に残っている作品は画像としてクラウドサーバーにUPし保存してある。
 これはその中の数点だが、当ブログの「小難しい文章」の合間の一服としてお許しいただきたい。
武器はどんな綺麗ごとをいっても紛れもない「殺しの道具」でしかない。しかし小は拳銃やナイフから戦艦大和まで、その機能と美しさが一致した究極の造形美は事実であり、なんとも不思議で皮肉な人間の性(さが)である。
なお、作品のほとんどはリアルさを追求するシャビーや「汚れ技法」は使っていない。武器が綺麗だということは、戦争がないということだから。