「大本営参謀の情報戦記」本の紹介 第二部 アメリカが日系人を強制隔離した訳 | 『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

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従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

 

「大本営参謀の情報戦記」本の紹介 第二部

軍事指導者は何を書き残そうとしたのか

 

 昭和陸軍の軍事指導者たちの手記の類は、戦後七十五年の今、私家版も含めると、三百冊ほどになるのではないか。
こうした類の書にふれてきた者として言えることは、次のような特徴に注目して分類が出来る。

①昭和陸軍の軌跡と自らの軌跡を同一化した書(全く反省の色がない書)

②昭和陸軍の中枢にいたが、自らはその政策に疑問を持っていたとの書(自分と組織を二元化した書)

③昭和陸軍の軌跡に関わりなく自らの歩んだ道を説く書(史観なき自分史で反省なし)

④昭和陸軍を擁護し、自己正当化するだけの書(自已賛美に終始した鼻持ちならない書)

⑤徹底した昭和陸軍の実態批判の書(自己弁護の書)

⑥客観的に昭和陸軍と自己の歩みを綴った書(史料になりうる書)

⑦次世代に語り継ぐために書かれた書(継承の書)

 この七点をそれぞれ分析していくと、大日本帝国の軍人たちは何を考えて戦争を行い、いかに戦ったのか、そして次の世代に何を残そうとしたのかが、わかってくる。
つまりはその軍人たちの教養と人格と、そして歴史的責任が浮かびあかってくる。昭和という時代が過ぎてほぼ三十年、戦争の傷は今なお可視化されていないにせよ、この社会の不可視の部分にその傷は幾つも残っている。
 あえて戦争政策を進めた軍事指導者(あるいは高級将校)の記録にふれることで、「現在」を見つめていくべきであろう。
そして、これらの分類の中で、「大本営参謀の情報戦記」は⑥と⑦に当たり、現在にも通用する秀逸で貴重な一冊である。


 アメリカが日系人を強制隔離した訳


以下に92ページからの引用。

情報戦争は、当然戦争の起る前から始まっているのである。一年前?いや五年前?
 とんでもない、米国が日本との戦争を準備したのは、寺本中将のいうごとく大正十年からであったという。そのぐらい前から情報戦争はすでに開戦していて、情報の収集が行われていたのである。
(中略)

 事前に収集する情報は既述のような軍事的なものだけではない。例えば経済(国力の検討)、資源(石油、鉄鉱など国力の基本となるもの)、人口(動員能力の検討)、産業(生産能力)、
教育(愛国心のバロメーター)、船舶量(輸送能力)、歴史、思想といったあらゆる分野の情報から、その国の戦争能力をはじきだしていかなければならない。
これらを調査するのは、新聞、雑誌、公刊文書などの文書諜報のほかに、諜者網をその国の中に十分に余裕をもって作り上げておかなければ、いざという時の役に立たない。
この諜者網を摘発して諜者の活動を防止するのが防諜である。日本はいま諜者天国という不名誉な名前を貰っており、防諜では日本民族ぐらい世界中でのんびりしている国はない。


 また一例を挙げよう。第二次世界大戦で日本が開戦するや否や、米国がいの一番にやったことは、日系人の強制収容だった。
戦後になっても日本人は、これが何のためだったか知っていないし、知ろうとしない。戦後四十年経って米国は、何百万ドルを支払って、「ご免なさい」と議会で決めているから、実に立派な人道的民主主義の国だと思っている人が多い。
最近ある日本の経済界の要人が、「あのような感情的行動は怪しからん」と述べていて、米国が真珠湾攻撃を受けての反日の感情的処置であったと考えているふうであった。

 どうして日本人は、こんなにまで「おめでたい」のだろうか?むろん日本人をJAPと呼んだ当時の感情的反発の行動であったのは当然として、裏から見れば、あれで日本武官が、
営々として作り上げてきた米国内の諜者網(もちろん日系人全部というわけではない)を破壊するための防諜対策だったと、どうして考えないのであろうか。
米国人は、国境を隔てて何百年の間、権謀術数に明け暮れた欧洲人の子孫である。日本人のように鎖国三百年の夢を貪ってきた民族とは、情報の収集や防諜に関しては全然血統が違っている。
四十年後に何百万ドル払って不平を静めようが、戦争に負けるよりはぐっと安いのである。

 孫子の言葉の中でもあまり知られていないものに、「爵禄百金を惜しんで、敵の情を知らざるは不仁の至なり、人の将にあらざるなり、主の佐にあらざるなり、勝の主にあらざるなり」という言葉がある。
大要は、敵情を知るには人材や金銭を惜しんではいけない、これを惜しむような人間は、将帥でもなく、幕僚でもなく、勝利の主になることは出来ないという意味で、情報を事前に収集するには、
最優秀の人材とあり余る金を使え、と教えている。
(後略)

こうしてアメリカにおける人的情報源(ヒューミント)は壊滅したのだが、以後は中立国の駐在武官からの情報や、海外放送や無線傍受(ジギント)になる。
さて、堀氏は「アメリカは大正10年から日本研究をしていた」と記している。
これは早くから仮想敵国が日本だったということになる。

もう一つの説として、主に石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)特命参与の岩間敏氏の「戦争と石油(2)」と題する好個の論文がある。
この論文には、太平洋戦争における日本の南方石油の還送をめぐる日米海軍の攻防の経緯が精密に描かれている。以下、この論文の一部を要約一補足して掲載する。

開戦に先立つアメリカの対日軍事戦略アメリカは、日露戦争直後から対日戦略計画の策定を開始した。1906年に初めて策定された計画は「オレンジ作戦」と呼ばれ、以後は時代・情勢に合わせて改訂された。
日華事変が始まった昭和12年の翌年には新たな「オレンジ作戦」を策定した。この計画の骨子には「日本は当初、アメリカのアジアにおける拠点、フィリピンを攻撃、これに対しアメリカ海軍主力艦隊は太平洋を西進し、
日本海軍と艦隊決戦する」ことと「アメリカは太平洋の制海権を把握し、日本に対して海上封鎖を実施、日本経済を枯渇させる」という二つの方針が示されていた。
 アメリカはこの「新オレンジ作戦」を踏まえて、昭和16年3月、今度はイギリスとの間で「レインボー5号作戦」を策定した。(以下略)
堀氏の大正10(1921年)年説と、岩間氏の1906年説を併記したが、以下に展開する考察からも岩間氏の説を採ることにする。


なぜこんなに早く、日本を将来の敵国として研究していたのかには訳がある。それは日本が、東洋で「日清戦争」と「日露戦争」に勝利したからである。これに驚いたヨーロッパの白人たちは
黄色人種がまた地球を支配するのではとの危機感から、黄禍論を発表した。だから堀氏の説はの大正10年はこの時期に重なる。

次に日本における「移民」について考える必要がある。
明治維新以後、日本政府は多くの国や地域に移民を送り込んでいる。
 明治四年に大江卓造が民部大輔大木喬任へ建白書を提出。杉浦重剛は七個師団二軍団を編成し海南島を攻略させ移住をと唱えた。
マスコミの福陵新報までも移民政策を主張し、政府の政策に同調している。

ボルネオ、サンダカン、スマトラにはカラユキさんとして、実態は売春婦として多くの女たちが送られた。ベンゲネットへは過酷な工事移民集団。
南米では、ブラジルをはじめ、ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイやチリへの移民も盛んに行われた、ハワイ諸島から米国本土にも多くの日本人が送られている。
しかし、この移民政策の実態は、移民という美名に隠されているが「棄民」だったのである。では一体何故、人口過剰でもなかった(当時の人口は3500万人弱)当時、自国の民を棄民しなければならなかったのか。
その訳を考えてみたい。

明治新政府が、四民平等を掲げて戸籍制度を制定したとき、全国民に姓名を義務付けた。これを明治壬申戸籍という。
そして徴税や徴兵の為、全国的に人口調査をしたところ、江戸時代の身分制度の、士農工商の全人口と同じくらいの数の人口が在ることに驚いた。
武士は侍人別帳、町人は町人別長、百姓は寺人別帳で把握されていた。

それら人別以外の人間は、江戸時代以前から、時の政権にも、所の大名にも属さず、「統治されず統治せず、相互扶助」の原始共産主義ともいうべき生活形態をモットーに暮らしていた者たちである。
したがって彼らは、税金も免除され、助郷などとも無関係で、年二朱の人頭税をお頭に収めていた。
これらの民を後に研究発表した、故三角寛は「サンカ」と命名している。散家、山窩、山家、三家、などと当て字されている。
新政府は、地租改正で、土地にも課税した。土地の私有を認められた百姓は、納税できたが、荒れ地や河原を押し付けられたサンカたちは、作物も取れず、実収もなく重税にあえいで、
多くのサンカは途端に窮乏した。ために娘を遊郭に売る者たちも多く、日本各地でサンカの反乱が多く起こった。秩父事件をはじめ、

佐賀の乱、秋月の乱、思案橋事件、神風連の乱、萩の乱、これらは明治史で有名だが、サンカが「こんな政府なんかいらない」という無政府主義を掲げた抗議の反乱だったのである。
だから、納税しないサンカを非国民と憎んだ政府は、彼らを重点的に徴兵し、日露戦争で、犠牲の多い乃木将軍の第三軍へ送ったのである。
なんの戦術や作戦もない凡将乃木将軍は、機関銃の弾幕の中へ銃剣突撃で死屍累々の山をきずいた。
日本軍の兵の使い捨て戦法、命を軽視する伝統は、この時からのサンカ殺しからきていて、太平洋戦争まで続いた。
膨大な鉄量(砲弾、爆弾、機銃弾)に、銃剣突撃し、近代化された米軍の前に無残な姿を曝け出した。
これが日本軍中央部の精神第一主義の非情な体質なのである。昭和十二年の上海戦、十四年のノモンハン戦闘で完敗から何にも学んでいない。
こうして明治政府は、サンカを戦争で殺し、海外棄民で過酷に扱ったのが実相なのである。

そしてアメリカは日本史を研究したが、当初は「高千穂の峯に落下傘なしで天孫降臨し、金色のトビが道先案内して日本列島を征圧して日本国ができた」とされる日本の神話学校教育歴史では訳けがわからず、
対日開戦を躊躇せざるをえなかった。
そこでアメリカはどうしたかというと、アメリカに住むサンカ移民の二世三世を選抜し、表向き「日本語学校」名義で利用しようと計画した。
彼らを軍要員や軍属として採用し、その親や知り合いから口伝えのサンカ歴史をレポートさせ、
義務教育の日本軍部専用歴史を研究するため、在米棄民らのサンカ歴史を徹底的に纏め分析した。その結果が、

(大和民族は一つだと、国民を騙して団結させているが、本当は複合民族だと判った。だから敵は内にありと、内部崩壊もしかねない脆い団結なのだ。憲兵や特高体制で国内を取締っている日本だがもとても、
日米戦争となれば、日本など恐れることはない。だから、最終的に本土決戦までは出来まい)と結論を下した。

そして、日本から戦争を仕掛けさせるため、対日石油輸出禁止に踏みきり、真珠湾攻撃も見て見ぬふりで、アメリカに第二次世界大戦参加の大義名分を与えてしまった。
米国内では、有名大統領の暗殺犯不明なのを利用して「リンカーン殺害犯人は日本人説」をも拡めた。しかしケネディー暗殺以前の話だったゆえ、たいして効果はあまりなかったらしい。
そこで、ルーズベルトのスタッフたちが、国民の開戦意識をあおる効果的な方法はないかとチームでいろいろ考えた。

「山河燃ゆ」の大河ドラマでは、降参した日本兵の通訳用にと語学校設立はされたとされていたが、間違っている。
当初の日本兵は、奴隷根性で敵に捕われ食事を恵まれると、聞かれもしない事まで進んで話す。だから、
敵に媚び何でもしゃべってしまい、暗号や軍事機密の漏洩に困った軍部は、「虜囚の恥しめをうけるな」と口封じに重傷者にも自決強制をし、これを「戦陣訓」でしていたのだから辻つまが合わぬ。
実際の、語学校開設は眞珠湾攻撃より一年以上も前なのである。
 ペンタゴンの「対日戦資料」に、「彼らの協力によってアメリカ青年百万の生命は救われた」と、この詳細記録は感謝の言葉で飾られているくらいである。
さらにアメリカは、星条旗の為と志願した、ハワイ在住日系二世を、442部隊として大いに利用した。その戦死率は65%にもなった。
戦後、彼らの墓がハワイのパンチボウル(国立太平洋記念墓地)に祭られた。


大東亜戦争末期に日本国内で「スパイ狩り」として多くの同じ日本人が銃殺された事があるが、あれは米軍籍にされた彼ら二世が、「六七世紀以前の日本に戻してやる。その為だ」と甘言に釣られて、
軍服を脱ぎ行商人姿や会社員スタイルで、南洋群島はサイパンに近いアナタハン、グリガン、ヘダアムから潜入。沖縄戦には前もって慶良間諸島に上陸した。本土へは渥美半島から、
決死隊として秘かに上陸してきて、半分は行方不明となったがアメリカの為に尽したのである。しかし、
 
 「汝の敵日本を知れ」のタイトルで昭和六十年三月十七日のTBSの報道特集でアメリカの宣伝映画が放映されたけれど、終戦までは目の敵にしていた日本の階級制を、
その儘にして統治した方が安全で効果的だろうと、利用するだけ利用してサンカ二世はみな使い棄てにされた。

占領後、PXのアメリカ煙草やチョコレートを持っていると、進駐軍物資横流し容疑でMPに殴られ逮捕されていた時代に、彼らサンカ二世兵は軍用トラックで上野へ運び、
細々とシノガラの芋飴を戸板に並べて売っていた同族を、相互扶助精神で、香水や口紅まで卸して救済したのが、のちの飴屋(アメ屋)横町の始まりで、堂々と禁制品のアメリカ商品が売られていて咎められもしなかった。
 これは、罪滅ぼしに第一生命ビルのマッカーサー司令部で、見て見ぬ振りで黙認していたからであろう。
この移民二世(サンカ)利用の話は、彼らの冥福を心から願う、日本でも初めて、前人未到史なのです。


現在のアメリカは、同盟国首脳の電話盗聴までする国である。
国家安全保障局(NSA)や中央情報局(CIA)の職員だった、エドワード・スノーデンのスパイ事件は記憶に新しい。
彼は、秘密のベールに包まれていた、NSAによる国際的監視網を暴き、その情報をICチップにダウンロードし、肛門に隠し国外に持ち出した。
その量は、紙に印刷すればトラック15台分にもなるという膨大な情報である。
この一事からも判るように、アメリカは軍事、経済はもとより、強大な情報大国でもある。
 昨年の米国の国防費支出は7320億ドルで世界1位だった。これは全世界の国防費支出の38%を占め、2~11位の国の国防費支出総額より多い金額だった。
現在、大統領選挙のごたごたと、トランプ大統領四年間の施政で、アメリカの威信は弱くなったが、情報分野では決して侮れない、底力はゆるぎない、超大国なのである。