日本談合列島を考えよう  談合はなぜ起こるのか | 『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

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従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

 

日本談合列島を考えよう

談合はなぜ起こるのか

先日新聞各紙に「カルテル課徴金399億円」「公取委舗装合材8社過去最高額」の見出しが躍っていた。 これもまさしく談合の一種で、道路舗装に使うアスファルト合材の販売価格を不正に引き上げるカルテルを結んだとして、公正取引委員会は30日、 独禁法違反示当な取引制限)で、舗装大手の前田道路や大成ロテックなど八社に対し、過去最高となる総額約399億円の課徴金納付命令を出した。

談合【だんごう】 国や地方自治体の公共事業などの入札の際に,入札業者同士で事前に話し合って落札させたい業者を決め, その業者が落札できるように入札内容を調整すること。 私法上は公序良俗違反で無効であり,刑法上は談合罪(刑法96条の3)の適用がある。  上記が談合の意味である。

こうして毎年のように談合やカルテルは摘発され、企業が課徴金や罰金を払い、一件落着を繰り返している。 様々な業界でこうした不正な事案は在り、おそらく根絶できないだろう。私が特に問題提起したいのは、国民生活に直結するれ建築資材である。 ガラスもアルミサッシも石膏ボードもトイレもタイルもほとんどが独占、もしくは寡占状態になっている。 海外から安い部材を取り寄せても、日本の住宅には使えない。業者とつるんだ行政当局が厳しい建築基準や規制を盾に認可しないからだ。  水道関係ならJWWA(日本水道協会)などの認可を得ていないと自治体は水さえ流してくれない。世界中の材料が使えるようになれば、建築費は半分になる。 そうなれば住宅ブームも起きるだろう。しかし現在金利1%を切るフラット35でも、借り手が少ない。これも政府を巻き込んだ壮大な談合と云えるだろう。

 談合のルーツを探ってみる

日本史では、江戸時代の国民を士、農、工、商という区分けで説明しているが、  実は隠されているが、この枠外に非人と間違えられている、東の弾左衛門支配の人間と 西の綾部に水上の穏坊が支配する人間が居たのである。  更に、この部族に隠れてこっそり溶け込んで暮らしていた部族にサンカがいて弾左衛門や水上穏坊に、年間二朱の人頭税を納めていた。しかしサンカの掟は「統治せず、統治されず、相互扶助」の精神だから、納税や統治されることを嫌って、家族単位で日本各地の山河や海辺を転々として暮らしていたサンカも多く居た。

 

  (この現象は、戸籍を持たずの彼らの生活状態は昭和30年代まで続いていたといわれる)   だから明治維新となった時、新政府が人口を調べたところ、士農工商の人口の他に 同数ぐらいの弾左衛門系とサンカ系が居て驚いたという実態がある。  この事を念頭において以下を読んで貰いたい。     

    

日本談合列島    

 

 江戸がトウケイと呼ばれた東の京になると、それまで江戸時代を通じて、  箱根以東の貨幣制度、即ち金本位制を掌握していた弾左衛門(本名矢野内記)家の協力が新設された東京市としてはどうしても必要になった。だから新設東京市役所の運営をするに当たって、市の第一助役、第二助役以下の 実務役を弾家の手代や番頭たちが、各自分担で仕切った。  彼ら手代といっても、実質的には万石並みの身分だったから、高級で招き市政を委任した。

(六人の手代)

 一、山田浅右門(八の部族)首切り専門。

 二、石出帯刀(四つの部族)牢屋奉行で三百石の旗本になっている。

 三、車善七(八の部族)鈴が森の刑場担当。

 四、山谷権兵衛(八の部族)奥州支配。

 五、花川戸助六(四つの部族)吉原遊郭支配で、江戸以北の屋根付興行の一切を仕切っていた。  

六、三河松助(八の部族)俳人として有名で俳号井上石香。馬飼と呼ばれる猿回しや辻芸人の取り締まり担当。

  これは実にうまくできていて、騎馬系と海洋渡来系を交互に置き、互いに監視し合わせて、幕府に対する反乱を牽制したのである。 この六人衆の一人で井上石香は弾家の所有地の中の飛び地で神田お玉が池に、 当時江戸市中にも増えてきた剣術の町道場を千葉周作のために建ててやった。  現在で言うこれはスポンサーに当たろう。 これまで町道場など日本国中何処も無く、これは徳川幕府の治安維持上の政策で、  武張った事は一切禁止だったが、ペリー来航以来世上騒然となり、諸藩も武装しようとしたが、  徳川の鎖国政策で鉄砲を飛ばす火薬の原料の硝石が手に入らず、仕方なく斬り込みの為の剣術が流行し、これを幕府は黙認したのである。

  井上は馬飼と呼ばれる猿回しや辻芸人の取り締まり担当だが、小菅方面も管理していた。 そこの徴税係のような下役をしていた者に白根一郎というのがいた。  この白根が東京市役所に入って、彼の出身地が日野に近い土方と呼ぶ弾左衛門地のせいで、 東京市の土木部長になった。  この白根の正体が問題で、弾左衛門も、手代番頭達にしても全く知らなかったが、白根はこの土方に何代も前から正体を隠して住み着いていたサンカ部族だった。 さて、明治六年十一月に太政官令が出され、国内治安を強化するため内務省が設置された。  この時サンカ部族は日本各地に隠れて都市や村に暮らしていた者達へ、サンカの頭領から通達が出され、各都市や府県の土木部にそれぞれ同族を立てることになった。つまり日本全国の公共事業発注側の役所を一斉に掌握したのである。  従って工事を受ける側の土建業者も、サンカ系の者に限るとなった。

 

  現在も大手が引き受けた工事が、下受け、孫受けと何段階も廻され、業界特有の談合入札が大きな社会問題になっているが、こうした習慣化されてしまっているのも、 同じ血を引く民族の流れだと見れば納得できる。  勿論明治六年からすんなりといったという訳ではない。  弾家の六人衆の一人の柳橋助六は、白根一郎を弾左衛門支配の人間(海洋渡来の八の部族か騎馬系の四つの部族)と思っていたのが、実は隠れサンカだと知れたから激怒した。  そして弾家本家に直訴した。 だがこの時の弾家は、薩摩の益満休之助に「弾家の御先祖は、源頼朝公の血を引く源氏の頭領ではごわせんか。是非薩摩に味方してくださらんとですか」と説得されていたが、  逆に新撰組の近藤勇に資金援助したため、薩長が天下を取ると怨まれ仕返しされた。 これに対して弾家(この頃には本名の矢野内記に戻っていた)の妻が激怒して、「さつまホイトは勘弁ならん」と江藤新平の反乱に軍資金を出し、熊本神風連の乱には九州まで乗り込んでいる。

だからいくら明治になるまでの箱根以東の金本位制を握っていた弾家とはいえ、 次々と軍資金を援助していては堪ったものではなかろう。 ここのところを日本史では表向き、「弾家の手代の使い込みにより没落した」となっている。  しかし実際のところは薩長政府によって反乱幇助罪でも適用して、所蔵金没収されたのが 真相である。こうして矢野本家が倒産に追い込まれてしまっては、柳橋助六の訴えも無駄に終わり、 全国の土木関係のサンカは着実に勢力を進展させたのである。

  こうして港湾、河川、ダムなど、水辺に関連する事業者は赤サンカ(海洋渡来系に隠れ住んでいて事業者名にはアカサタナハノヤが付く。鹿島建設、青木建設、浅沼組、安藤建設、アイザワ工業等々)   土木工事、トンネル、道路建設、採石事業などの水辺以外の工事は白サンカ(騎馬民族系に隠れ住んでいてオコソトノホモが付く。大林組、奥村組、鴻池組、国分建設、戸田建設、飛島建設など)   これは嘘のようだが、全国土建業者一覧を見れば一目瞭然である。  ここで談合を正当化するつもりは無いが、明治大正と、国土開発、殖産興業と日本の近代化に貢献したという側面は否定できない事実である。  さらに第二次大戦敗戦後の復興にも、この談合制度は素早く対応でき、裾野の広い建設、土建関係の業界を潤したことも間違いの無い事実である。 はっきり言って談合は日本中で行われていて、決して無くならない必要悪ならば、税金が安く済む新しい仕掛けを考えるべきだろう。