可能性というもの論、その7。
ひとつ前のその6はこちら。
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気がつけば、生徒たちは涙を眼にためながら、
先生、絶対がんばるね!と言っていました。
きっと、普通の高校、進学率が高いとは言えない高校に行くことで、
自分人生が、いや、将来なりたいという夢が閉ざされたような、
そんな感覚になっていたのではないかと思います。
帰り道、商店街のたい焼き屋さんでたい焼き買って、
私ともう一人の先生、そして仲良し4人組の6人で、
口いっぱいに頬張りながら帰ったことを思い出します。
このときには、いつもの生徒たちに戻っていました。
きっと、将来への扉、あるいは道が、複数あることに気がついたのでしょう。
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彼女たちがその後、どういう選択をしていったのかはわかりません。
でも、私には、彼女たちの人生を、少し変えることができたのかも、
という、小さな小さな自負が生まれていたのは、事実です。
さて、その1 の冒頭で書きました、
塾の先生は内向きか、外向きか。
きっと、外向きではないかと思います。
しつけなどは本気で教えはしません。
教えるほどの接点、時間がないですから、一過性のものです。
塾の目的はただ一つ、点数・・・・・・内申点か、偏差値か。
それをひたすら上げること。
どんなき着飾った建前を語っても、ミッションは明確です。
(しつけももちろん重要ですが、絶対ではないという意味です)
でも私には、きっかけを授けること、
未来への扉の開け方を、受験というものを通じて、
教えることができる仕事だと思いました。
生徒に影響を与えるその作業、仕事というものは、
自分の内面に問いかけるのではなく、
生徒という人間に問いかけるものである。
その8につづく。