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しろやぎくろやぎ、本を読む。

シロヤギとクロヤギによる、徒然気まぐれ偏りぎみ読書日記

 クロヤギです。

 

 「このキャラクターはこんな人だったなんて! 真相を読んで驚き、でも納得」のクリスティ作品、最後のおススメは『ナイルに死す』です。

 

 

 

  莫大な財産と素晴らしい美貌の持ち主であるリネットは、結婚したばかりの夫サイモンとともにエジプトを旅していた。幸福なはずのハネムーン。だが友人のリネットに婚約者を奪われたジャクリーンが、行く先々に現れふたりにつきまとう。

 三人と同じナイル河観光船に乗り合わせたポアロは、拳銃を取り出し「自分を傷つけた相手を殺すことがそんなに悪いことかしら?」と言うジャクリーンを戒めるのだが、ポアロの心配は的中し、リネットは殺されてしまう。

 しかし、最も疑わしきジャクリーンには鉄壁のアリバイがあった!

 

 クリスティにしては長いお話。それにも関わらず、殺人が起こるのは話が半ば過ぎようというところ。

 小さな不穏がいくつもいくつも、形の歪んだ積み木のように危なっかしく積み重なっていって、緊張感が最高潮に達した時、惨劇が起こります。

 事件がなかなか起こらないなと思わせず、するする読ませてしまいます。

 勿論、サスペンスを演出するためだけではなく、説得力ある謎解きはこの部分があってこそ。

 

 肝心の真相ですが、犯人を知ってびっくり、トリックを読んでびっくり&感心して、最後に犯人の動機に「ああ、そうだったのか……。そうだ、そうだね。この人はそういう理由で殺人を犯す人物だ」と、しみじみしてしまいます。

 この動機の部分が、この小説をたんに「トリックがすごいミステリ」に止まらせることなく、読者の胸を打つ物語にしているのだと思います。

 

 それにしてもクリスティの書く男性って、しょうもないのが多いと思うのは私だけ?

 サイモンも女ふたりで取り合うほどいい男だとはとうてい思えなかったわ!

 そしてこの小説、わりとロマンス花盛り(クリスティはロマンス好きよね)なんだけど、一番いい男だと思った登場人物には恋の花は咲かなかった……。

 クロヤギです。

 

 前回、枕にクリスティ作品の映像化について少し書きましたが、映画やスペシャルドラマよりも、イギリスのTV局が作ったポアロやミス・マープルのドラマの方が触れる機会が多いかと思います。

 何しろここ数年、NHKがBSで流していますから。

 でもあれでクリスティ作品を知った気になった皆様、要注意ですよ! 私も原作を固め読みし始めて気付いたのですが、あれ、改変がひどいんです。

 以前、日本の小説のドラマ化についてぶつぶつ文句を言いましたけど、なんだイギリスでも似たようなもんじゃんってなりました。

 

 より煽情的にするためとしか思えない変更が色々と加えられているんですが、一番目につくのが同性愛者の登場です。

 私が覚えているかぎり、原作に同性愛者って出てきません。じゃあ、世の中には同性愛者が一定数いるものなのだから、作中に出てこないのが不自然だと考えて出したのか。そうとも思えないんです。何しろネガティブなイメージの役ばかりなので。同性愛が後ろ暗い秘密や犯罪や自殺の原因として扱われていて、なんだかなぁという気持ちにさせられます。当時そういう時代背景があったとしても、原作にないのにわざわざ出す意図が疑問です。

 後は原作になかった不倫や近親相姦、児童虐待などなど。どれも煽情的な演出のためとしか思えない改変です。

 そのために原作にあった本来の演出が犠牲になったり、物語の雰囲気が変わってしまうのは残念に感じます。

 そしてここらへんはぐっと我慢できても、ミステリとして目をつぶれないのは動機もトリックも犯人も違う作品があること! これは擁護のしようがありません。他にも、原作とは殺人者と被害者(未遂ですけど)が入れ替わるというパターンもあります……。

 

 というわけで、ドラマを見てクリスティ作品を知った気になるのは危険です。ドラマはドラマで楽しみつつ、是非、原作も読んでみてくださいませ。

 

 それでは、おススメ二作目、『NかMか』。

 

 

 クリスティ作品の探偵役といえば、 エルキュール・ポアロとミス・マープルが有名ですが、トミーとタペンスという夫婦探偵(時には諜報員)もクリスティファンには人気だそうで、長編が四冊、短編集が一冊あります。

 『NかMか』もトミーとタペンスが主人公の作品。ふたりはイギリスの諜報機関から依頼され、第二次世界大戦のさなか、南海岸の保養地に潜伏しているドイツのスパイを探しだすという筋書きです。

 

 クリスティはスパイ物というか謀略物、犯罪組織物なんかを時々書くのですが、ええと何と言いますか、ちょっと子どもっぽくて、私はお勧めしません……。本人はそういう話を書くの嫌いじゃなかったんだろうと思うんですけど。特に『ビッグ4』は、クリスティ全作品読破とかの目標でもないかぎり読まなくてもいいと思います。

 この作品もスパイが出てくるのですが、実際には、一般人のふりをしているスパイを見つけるということで構造的には犯人探しと変わらず、安心して読むことができます。

 また全体にユーモアに溢れた作品で、中盤の冒険小説的な展開も喜劇的な楽しさがあります。だけどスパイ探しにはちゃんとクリスティらしい驚きがあって、「そうだよー、絶対そうだよ、なんでこの人がスパイだって分からなかったんだ私!」と思わされます。クリスティ作品中、最も「犯人が分からなかった私って何なんだ?」となった作品でもあります。

 再読すると別の意味でハラハラします。こんなこと書いて読者騙せると思えるなんて驚嘆する胆力だな、なんて。いや実際、ころっと騙されちゃったんですけどね、私。

 

 コミカルでありながら大人を満足させる小説というのは意外と難しいですよね。それは飛び切りのチョコレートのようなもので、甘くて、その美味しさで胸を弾ませさせ、舌の上でやさしく融けていく。でも、ほろ苦い。

 『NかMか』は最後、気持ちのいいハッピーエンドで終わるのもいいところです。チョコレートもやっぱり、最後は甘い余韻を残して欲しいですものね。

 クロヤギです。

 

  『オリエント急行の殺人』 が新たに映画化され、今年12月に日本でも公開されるようですね。タイトルは 『オリエント急行殺人事件』。 ジョニー・デップも出演するそうですよ。

 言うまでもありませんが、原作はアガサ・クリスティ。 『オリエント急行の殺人』 は、『そして誰もいなくなった』とともに彼女の代表作として有名で幾度も映像化されています。

 『そして誰もいなくなった』も多数、映像作品となっていて、日本でもスペシャルドラマとして制作され、今年三月、二夜にわたって放送されました(渡瀬恒彦さんの遺作でもあります)。

 この二作は大変有名で、ミステリ好きの多くが読んでいる作品だと思います。『ABC殺人事件』と『アクロイド殺し』 も読んだという方は少なくないでしょう。

 ではそれ以外は?

 

 私が読んだクリスティ作品はまだ48冊ですが、「そういえば、クリスティってそんなに読んだことないかも」という皆さんに、現時点でおススメしたい、代表作四作以外の作品を三作あげてみることにいたしました。
 ミステリの女王といわれるだけあって、彼女の作品は今読んでも面白いものがたくさんあるんです!
 今回選んだ基準は、「推理を読んで、キャラクターイメージの変化に納得できるか」です。
 ミステリの場合、推理によって真相が明かされると「あの人がそんな人だったなんて!」ということ、多いですよね。
 でも、読者に驚きを与えようとすればするほど、「え、でも真相通りの人物なら、あの記述は納得いかないな……」ということも結構あります(シロヤギさんに渡した『烏に単は似合わない』の私の不満点もそこ)。
 その点、これから紹介するクリスティの三作品は、「そうだ! 確かに、その人はそういう人だよ、その通りだ! なんで気付かなかったんだ!?」となったものです。

 まず一冊目は、『白昼の悪魔』。

 

 

 舞台は避暑地として人気のある小さな島にあるホテル。
 注目の的は何と言っても元女優のアリーナ・マーシャル。長身のすらりとした姿態。燃えるような赤い髪と濃いブルーの瞳。彼女が現れると、他の女性はみんなその存在が霞んでしまう。
 その彼女が殺された。
 犯人は誰か。
 彼女の浮気に耐えきれなくなった夫? 彼女に夫を奪われそうになった若妻? 彼女さえ死ねばその夫と結婚できると考えた女? それとも、彼女を憎んでいた義理の娘?
 だが全員に完璧なアリバイが。
「確かにここはロマンチックで平和です。明るい太陽、紺碧の海。しかし忘れてはいけません。日の下いたるところに悪事あり、白昼にも悪魔はいるのですよ」
 ポアロの言葉通りに殺人は起きた。彼はこの謎をどう解くのか。

 最近のミステリに比べると短いのもいいところ。その分、ピリッとした味わいに仕上がってると思います。
 トリックよりも、人物像がひっくり返されるところに感心しました。ああ、こういう錯誤って現実でもあるよな、って納得できるんです。そして、ひっくり返されて現れた人物像に何とも言えない哀しみを感じてしまう。
 クリスティは何しろ生きていた時代が違うので、その価値観には賛同できないことも多いんだけど、時々、はっとする人物描写があるんですよね。
 若い時に読んでいたら読み流していたと思うんですけど、押しも押されもせぬ立派なおばさんになった今読むと、この人の内面は、この人の人生は本当はどういうものだったんだろうと思えてきます。

 本というものは、作家六割、読者四割でできているんじゃないかと最近思っています。
 作家の仕事が六割、後の四割は読者次第。それは何も読解力とかそういうことだけではなくて、その人の性格、経験、年齢、環境、諸々込みで読書体験が変わってしまう。
 だから今の読書体験は今しかできない。同じ本を読んでも、数年後には今の読み方はできない。10年後読んだ本は似て非なる物になっている。今読みたい物は今読まないと。
 そう考えているのですが、あれですね、年をとると本を読むのに若い時よりエネルギーが必要になってきました。読みたい本は増える一方なのに、読める本は少なくなる一方。
 ああ、湿っぽい終わりですみません……。