埴輪と蕨手刀の企画展(東京国立博物館) | 幕末ヤ撃団

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勝者に都合の良い歴史を作ることは許さないが、敗者に都合良い歴史を作ることも許しません!。
勝者だろうが敗者だろうが”歴史を作ったら、単なる捏造”。
それを正していくのが歴史学の使命ですから。

 昨日のことになりますが、東京国立博物館で開催されている「はにわ展から50年」展と蕨手刀の企画展示を見学してきました。

 

↑鳳輦

↑鳳輦説明

 

 まずは目からうろこだった「鳳輦」です。孝明天皇と明治天皇が使用。いや、マジか!?。本物が見れるとは思わんかった……っていうか、まだ現存してたのか!。しらんかったわ~。

 しかも、特別展は撮影禁止なのですが、小規模な企画展示は常設展示の方なので、基本撮影可なのですよ!。鳳輦も常設展示の方で展示されていたので撮影しまくりました(苦笑)。

 

↑短甲の武人埴輪(正面)


↑短甲の武人埴輪(背面)

 

↑説明

 

 ということで、埴輪展です。まずは「短甲の武人」埴輪を見ます。古墳時代ということで、文字史料などは当然ありません。なので文献史学ではどうしようもなく考古学の分野です。日本最初期の鎧である「短甲」の装着や着付け、何を装備して戦ったのかという部分に関しては、埴輪を見るのが一番なんですな。太刀や短甲そのものは発掘で見つかりますが、それをどう着こなしていたかというものは単品そのものを見ててもわからんので~。実際、武装を装備した人形である埴輪が一番わかりやすい。

 

↑「短甲型埴輪」

 

 上記はまんま短甲の埴輪です。

 

↑短甲(正面)

↑短甲(背面)

 

 上記は発掘された短甲の本物です。鉄板ですね。

 

↑眉庇付冑型埴輪

↑眉庇付冑型埴輪の説明

 

 上記は古墳時代の冑です。日本最初期の冑でもあります。

 

↑眉庇付冑

 

 これが本物の眉庇付冑となります。ツバ付きで多くの小札で丸みを出しています。

 

↑家形埴輪

↑家形埴輪

 

 上記は家形埴輪。住居というよりは祭殿など特別な建物を埴輪にしています。古墳時代の建物の形がわかります。

 

↑船型埴輪

 

 古墳時代の船を模した埴輪。やはり当時の船の形や構造を理解するのに役立ちます。

 

 以上、そのほか色々な埴輪が展示されていました。今回は代表的なものだけご紹介した次第です。では、蕨手刀の方へ。

 

↑蕨手刀説明

↑蕨手刀(北海道で発掘)

↑蕨手刀説明

 

 蕨手刀は日本刀の祖とされる刀で、それまで大陸で使われていた直刀にはじめてソリが入った形になります。このソリが日本独特の変異でもあり、そこから日本刀へと発展していきます。

 

↑蕨手刀(徳島県で発掘)

↑蕨手刀(長野県で発掘)

↑蕨手刀(長野県で発掘)

↑蕨手刀(模造)

 

 普段の展示では北海道で出土したもの一種のみの展示ですが、企画展示ということで数種類の蕨手刀が展示されていました。最後の蕨手刀は模造ということで綺麗な状態の蕨手刀を復刻という感じでしょうか。

 蕨手刀は日本刀の祖であると同時に、通説では「蝦夷の刀」とされています。北海道や東北地方で多く見つかっており、逆に関東以南では発掘数が減ることが根拠。なので、大和民族とは別の文化を持った蝦夷の刀とされて注目されていました。上記写真では徳島や長野で発見されたものですが、これらは大和朝廷の政策で蝦夷を各地に移住させた俘囚たちが持っていたものだろうとされています。

 しかし、近年では蕨手刀そっくりの「横刀」が正倉院に保存されており、蕨手刀の正体は横刀ではないかとの見解が出されて論争中です。というのも、古墳時代に製鉄できるのは大和朝廷ぐらいなもので、蝦夷は材料となる鉄を作り出せないこと。鍛冶はできるものの、戦争に使用する武具など強度を必要する刀を製造した痕跡が蝦夷の遺構からは見つからないといったことから、実は大和朝廷の横刀が貿易品として蝦夷に渡ったと考えるのが妥当ではないかという見方が示されているのですね。

 私もこの意見を有力と見ていますので、蝦夷の刀ではなく大和朝廷の横刀だとする論調に同調しています。

 

↑古墳時代の直刀(太刀)

 

 上記写真を参考にして蕨手刀と見比べるとわかりやすいかと思います。同じ古墳時代の太刀ですが、直刀はまっすぐなのに対し、蕨手刀は刀身と握り部分の間でくっと曲がっています。これがソリの元祖ということになります。

 

 さらに蝦夷というと北海道のアイヌと結びつける考え方が一昔前までありました。しかし、これはほぼ否定されています。ということで、参考までにアイヌの太刀も掲載しておきます。ただし、この太刀は19世紀のもので古墳時代ではありませんけども(苦笑)。

↑アイヌの太刀

↑アイヌの太刀説明

 

 続いて常設展の方の埴輪を見ます。

 

↑挂甲の武人埴輪

 

↑挂甲の武人埴輪説明

 

 挂甲は短甲の鎧が発展したもので、小札を多く使用することで動きやすくなっています。

 

↑挂甲

↑衝角付冑

↑衝角付冑説明

↑古墳時代の籠手

 

 上記は古墳時代の武人の装備品。挂甲の武人埴輪もこれらを装備した姿が埴輪になっています。

 

↑銀象嵌銘大刀

↑魚と鳥の彫り物

↑馬の彫り物

 

 上記写真は古墳時代のもので「銀象嵌銘大刀」。みごとな装飾がなされた太刀で、かつ文字が刻まれた太刀です。この文字から当時の社会を知る数少ない文字史料となっています。ただ、文字はよく見えない。何か解析みたいなもので読まないといけないのかなと。彫り物の絵は綺麗に見ることができるのですが……(汗)。

 

↑馬の埴輪

↑馬の鎧

 

 馬の埴輪は常設展示されているもの。馬も重要です。古代日本に馬は生息していませんでした。つまり、馬はすべて大陸からの輸入品で増やしたのですね。当然その目的は軍用。軍馬として騎馬隊を組織したわけです。そして、馬に乗れる武人こそがエリート兵。そんな古代の価値観のなかから後の武士たちの精神「弓馬の道」へと発展していきます。

 

 ということで、古墳時代の遺物を集中的に見てきました。で、折角来たのでそれ以外のものも見てまわりました。

 

↑平家納経

 

 有名な「平家納経」のレプリカです。一文字書きし損じただけでギャー!になったろうなと思わせるもの。平清盛はじめ平家の皆さんも大変だよなぁ。しかも源氏に結局は滅ぼされてしまうし~。

 

↑相州正宗(石田三成佩刀)

↑説明

↑相州貞宗(石田三成佩刀)

↑説明

 

 上記は共に石田三成が持っていた刀と脇差し。大河ドラマ「どうする家康」に登場確実の石田三成ですからなぁ(苦笑)。あちこちで徳川家康絡みの展示が行われてるなか、あえて適役の石田三成の遺物を展示する国立博物館の心意気でしょうか(苦笑)。

 

 ということで、一日楽しんできた次第です。

↑買ったもの

 

 最後にミュージアムでお買い物。古代の武具や絵巻の本と「見返り美人ミク」のクリアファイルを買いました。特に「ミク」の

クリアファイルは人気があり、欠品が続いていた状態と知っていただけに買えたのはラッキー。これらは「踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト」と初音ミクのコラボレーションの企画で、売り上げの一部が修理費に充てられるそうです。

 

 以上、古墳時代の武具と埴輪でした~。