『新選組の武士道 新選組隊士 永倉新八』(在庫なし・完売) | 幕末ヤ撃団

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勝者に都合の良い歴史を作ることは許さないが、敗者に都合良い歴史を作ることも許しません!。
勝者だろうが敗者だろうが”歴史を作ったら、単なる捏造”。
それを正していくのが歴史学の使命ですから。

今日も通販をはじめた同人誌のご紹介です。今回ご紹介するのは『新選組の武士道 新選組隊士 永倉新八』となります。

 

 新選組の武士道を考えるシリーズの第三冊目で、芹澤鴨暗殺から伊東甲子太郎一派の登場までの間をメインに扱っていますが、題材に選んだのが永倉新八ということで、永倉新八の剣術修行時代から戊辰戦争、明治時代に永倉らが行った板橋の近藤勇顕彰碑(お墓)の設置までを書いてます。ただし、やはりこれまでの製作してきた本と同じく、人物史として永倉新八を扱ったわけではなく、幕末時代の武士道&志士精神を考えるための材料として永倉新八を選んだという形になっております。

 永倉新八を選んだことには理由があり、彼が新選組創世記から解散まで新選組に幹部として在籍していたこと、彼が明治時代まで生き残り、新選組に関しての史料を残していること、何よりも彼自身の思いや考えを記録として残していることがあげられます。思想精神史は、人物の内面を探る学問です。いつ、どこで、何をしたという史実研究は各方面で進んではいるものの、逆にこの内面を探求する研究者人が極端に少ない。「何を考えているのかなんて、実証できないだろう」と私に助言めいたことを言う研究者もいるぐらいですから。しかし、だからといって事実か否かだけを調べていれば良いとする考え方では片手落ちだと私は思います。なぜなら、人は考えがあればこそ行動するからです。何も考えず、ただ怠惰に生きている人は、ニートのように”自宅警備”に励んでいるだけでしょう。しかし、幕末の志士になった人々はそうじゃなかった。何かを思い、その思いを実現するために行動したのです。しかも、その行動に支払われるコストは大きい。ある志士は親兄弟家族を捨てて故郷をあとにしている。或いは忠義の道を捨てて命がけの脱藩をする。脱藩浪士がこれほど活躍した時代はありません。浪士といえば聞こえはいいですが、ぶっちゃけ主君無しの浪人なのです。武士ならば主君から禄が貰えますが、浪人は生活費すらない無一文。家も藩も捨てたとなれば住所もないただの浮浪者です。浮浪者状態の浪人者が”不逞浪士”と呼ばれました。浪士と言えば武士っぽいですが、ぶっちゃけ「無宿の渡世人(宿無しのヤクザ)」と身分立場は同じで武士としては扱われません。事実、人斬り以蔵で有名な岡田以蔵が京都で捕縛された際、土佐藩側が藩士と認めなかったため「無宿鉄蔵」という庶民としての立場で処罰を受けています。なぜ、彼らはそこまでして尊王攘夷という政治活動に身を捧げたのか?。

 現代に例えてみましょう。某国から戦争を仕掛けられ、沖縄が戦場になって何人もの日本人がいま殺されているとしましょう。日本は存亡の危機になった。あなたは日本や日本人を救う為に、家や今ある職を捨て、身一つで日本を救う政治活動を行ったり、義勇軍を組織して自ら進んで戦場へ行けますか?。私には絶対ムリです。でも、幕末時代の志士たちはそれをしたのです。

 彼らにそれをさせた精神、思想が何だったのか?。それを知ろうと考察したのが本書となります。

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幕末の志士と武士精神

 私は、これまでに新選組の思想精神に関する記事として、『素行不良の武士道 新選組筆頭局長・芹澤鴨』と『豪農の武士道 新選組局長・近藤勇』の2冊の本を書いてきた。いずれも、志士の武士道精神とは何かをテーマとしている。今回もこのテーマで、永倉新八を題材に取り上げて論じていきたい。
 今回、永倉新八を選んだことには理由がある。先に紹介した本で取り上げた芹澤鴨は、水戸南領出身の鄕士。水戸天狗党の志士であり、尊攘運動家としては典型的な尊攘激派だ。一方、近藤勇は多摩の豪農層出身の志士であり、武士出身ではない。いわば、庶民の中にある政治活動をしたいという欲求の中から出てきた人物だとも言えよう。
 両人共に、思想精神という部分で見た時、それぞれに特化した部分を持ったリーダーとして活躍した。しかし、多くの武士や志士たちは組織のリーダーにならない人々の方が多い。そして、彼らリーダーたちは志士たちの多くの声によって動いている。その結果、先鋭化した思想を持つ団体のリーダーは、時代の先端を走るが故に普通の人ではありえない。つまり、特殊例になってしまうのだ。
 そこで、今回はあえて普通の武士の幕末維新期に関する思想精神を論ずることで、武士が志士になっていく課程と思想精神を論じてみたい。また、この部分を考えることで、尊攘激派代表の芹澤、庶民出身の近藤との比較ができるようになるはずだ。そうすることで、なぜ明治維新が起きたのかという疑問にも、一歩近づけるような気がする。
 そこで、幕末期の典型的武士の特徴を備えている人物として、永倉新八が最適と考えた。彼は松前藩士として育ち、自身の家を継いで立派な藩士になる責任も負わされていたのである。それなのに脱藩して幕府浪士組に参加し、新選組として戦ってしまっている。武家社会が彼に与えた責務は、立派な松前藩士として藩を支える人材になることであって、尊皇攘夷の志士になり、新選組で命がけの戦いをする事ではなかったはずだ。しかも、順当に藩士として家を継げば、普通の結婚をして幸せに一生を過ごせたはずである。それを捨て、志士になってしまったのはなぜか。
 そんな疑問の答えを探しながら、永倉新八を考察してみたい。

(『新選組の武士道』本文より抜粋)

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 第一冊目で水戸学派の尊攘激派芹澤鴨を、第二冊目で庶民の中から出てきた近藤勇を扱ったわけですが、それぞれに特徴をもっていました。それはある意味で特殊例である可能性があったのです。特殊例では一般論として見ることはできません。前掲書の二人は、リーダーだったがゆえに時代の最先端に居ざるを得ず、最先端ではなくとも彼らが率いた新選組というグループの中では最先端の位置にいないといけない人達でした。なので、逆にこうしたリーダーを支え、自分はナンバーワンの立場にいない立場の人物を、芹澤鴨や近藤勇を考察した時の同じ目線、同じ価値観の中で考えなくてはならなくなったのですね。その題材として永倉新八が最適だったのです。彼は志士でしたが、それ以上に剣士なのです。剣で時代を切り開こうとし、その同志として近藤勇を選び、自分たちの指導者と仰ぎ支えた。本来ならば、日本の歴史に名を残すのは芹澤や近藤といったリーダーたちです。彼のように積極的に政治活動を行わず、あくまでも組織のリーダーを支えていた人々は、史学的にはあまり注目されません。ところが、新選組人気から彼の研究をする先行研究者も多く、彼自身が幕末動乱を生き残ったことで史料としての記録群も多い。そんなわけで、永倉新八の思想精神に関する考察をしてみることにしました。

 ちょうど漫画『るろうに剣心 北海道編』で登場もしましたしねぇ。ちなみに、実は「斎藤一」も同じような考察を行っていまして、『斎藤一 新選組論考集(三十一人会編)』に小論「斎藤一の士道」というタイトルの記事として掲載させて頂いております。こちらは浪士論というより、江戸時代の武士精神(武士道)の考え方を論じた上で、斎藤一の行動の中から、江戸時代の武士道を汲み取ろうというテーマで考察しています。そちらと重なる部分もありますが、改めて同人誌シリーズとして書きつつ、江戸時代の武士道と志士精神の違いについて論じたのが本書『新選組の武士道 新選組隊士 永倉新八』となります。

 実は、武士道精神と新選組を搦めた考察は、この『斎藤一 新選組論考集』の記事が一番最初でした。斎藤一の行動と江戸時代の武士道を比較検討するという考察だったわけですが、考察を進めていく内に江戸時代の武士道と斎藤一ら幕末の志士たちの行動が一致しない。時に相反し、矛盾まで起こっていることに気が付いたのですね。で、志士の精神を調べようと思った時、江戸時代の一般的な武士道研究に関する先行研究はあるものの、幕末時代の志士の精神に関する先行研究がほとんどない(泣)。だから、武士道は幕末時代まで時代が下ると廃れてきたとか形骸化したという論調まで武士道研究で登場してきている。武士道が廃れたり形骸化していることは納得できるとしても、それに変わる新しい精神に取ってかわられている考えるべきだと思っていたので、その幕末時代に登場した新しい幕末時代の武士精神、私はそれを志士精神と呼びますが、そうしたものの先行研究がほとんどないのです。なので自分でやり始めた。それが同人誌で新選組の武士道を考察し始めてしまった動機でもあります。

 なお、『斎藤一 新選組論考集(三十一人会編)』は、同人誌ではなく、新選組研究のパイオニア小島資料館からの発行物として扱われていますので、よろしければご一読されるとよろしいかと思います。

 

 

タイトル:『新選組の武士道 新選組隊士 永倉新八』(在庫なし・完売)

発行日:2019年8月11日

価格:200円

体裁:28ページの手作りコピー本(私がコピーセンターでコピーし、折ってホッチキスで留めました)

 

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