沼津史跡巡り | 幕末ヤ撃団

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勝者に都合の良い歴史を作ることは許さないが、敗者に都合良い歴史を作ることも許しません!。
勝者だろうが敗者だろうが”歴史を作ったら、単なる捏造”。
それを正していくのが歴史学の使命ですから。

 昨日に続き、二夜連続のブログ更新です。元旦は静岡市内の史跡を巡ったわけですが、昨日の2日は、東京へ戻る日でした。普段であれば、静岡駅から東京駅まで新幹線で一気に帰って来てしまうところなんですが、今回はあえて新幹線には乗らず、東海道本線で帰ることにしました。その理由は、途中の沼津で下車して史跡を巡るためです。

 

 沼津といえば、まずはここに行かねばなりません。

 沼津にある「城岡神社」です。昨日は史跡を巡っている内に、結果的にお寺を”初参り”しちゃってたわけですが、まだ神社には行ってません。なので、これが事実上の”初詣”となりました。ただ、初詣が目的ではなく、この神社の境内にある史跡を見るのが目的です。

 

 静岡藩の藩校「静岡学問所」と並ぶ「沼津兵学校」跡があるんですね。沼津兵学校は、沼津城内で開校されておりますので、ここも沼津城趾となります。静岡学問所跡は、昨日のブログでご紹介してますので、そちらをご覧ください。沼津兵学校も静岡学問所と同じく、静岡藩の子弟教育の一環として開校しています。幕末には沼津藩水野家の藩庁でもあった沼津城ですが、徳川宗家の駿河移封に伴い、水野家は千葉の方に移封となりました。そして静岡藩は、沼津城内に沼津兵学校を開校したというわけです。

 でも廃藩置県により、短い期間で閉校になってしまいます。しかし、この次世代を担う若者を徹底育成し、国のために役立つ人材を輩出しようという発想は、のちに西郷隆盛による鹿児島での”私学校”に受け継がれていったと私は考えております。国からのトップダウンではなく、地方から国のトップへ影響を与えようという発想を最初にしたのは、この静岡藩徳川家からじゃないかなと思っています。

 

 沼津中央公園のある場所が、「沼津城本丸跡」となります。この本丸には、沼津兵学校寄宿舎が建てられていました。石碑を取り囲む石は、沼津城の石垣の石だそうです。沼津市街の各所には、沼津城の石垣を基礎にしたビルや、石垣を移築した基礎を用いたビルなどがあり、遺構が点在しているらしいのですが、今回は東京へ戻る途中ということもあって捜索は断念しました。 ただ、すでに開発された観がありますので、江戸時代当時の面影を残す遺構は少ないと思います。

 上記写真が、「沼津城本丸跡」の案内看板です。

 

 そして、この沼津には戊辰戦争時に幕府遊撃隊が宿泊したといわれる「霊山寺」がありますので、少し歩いて見学に向かいました。

 途中に、旧東海道跡とかもあったので写真撮影しておきます。

 

 これが幕府遊撃隊が宿泊した「霊山寺」です。後方の山が「カヌキ山」となります。幕府遊撃隊は、戊辰戦争勃発時に東海道の譜代大名糾合を企て、小田原藩などに挙兵を促しましたが体よく断られたため、沼津藩を挙兵させようとこの地にやってきます。この時、沼津藩は甲府城代を務めており、藩主も甲府に行っていたため遊撃隊も甲州へ向かいました。しかし、途中で恭順派の山岡鉄舟らの説得を受けて沼津藩お預かりの謹慎となります。しかし、彼らがおとなしく謹慎しているはずもなく、胸壁などを作っていたらしい(苦笑)。同時に、遊撃隊の不穏な動きを察知した明治新政府は、相州軍監府と豆州軍監府を設置しています。そして相州軍監府から遊撃隊追跡の部隊を派遣するわけですが、この時の隊長が譜代荻野山中藩(小田原藩支藩)脱藩士の尊皇派松下祐信でした。

 松下が小田原から伊豆に向かっている最中、上野戦争が勃発したことを知った遊撃隊が霊山寺を飛び出し、江戸に向かうべく箱根に向かい、小田原藩と同盟したり、同盟が手切れになったりとドタバタ劇を演じた末に箱根戦争へと発展することになります。

 

 カヌキ山麓の絵図です。江戸時代の霊山寺は大寺らしく、絵図から山麓が城みたいなってたらしいです。遊撃隊が思わず防禦構造物を作りたくなっちゃう気分はわからなくもないなと(苦笑)。

 

 このあと沼津市街に戻り、沼津宿本陣跡を見ます。

 上記写真が、「沼津宿高田本陣跡」です。後ろに見える道路が旧東海道だろうか?。そこまで確認してませんが、たぶんそうじゃないかなとか思っています(苦笑)。

 

 以上、昨日は沼津市内にある史跡を見学したあと、東京の自宅に帰ってきました。なんちゅーか……今回の帰省は、正月帰省と言うより、静岡県史跡巡り旅行だったなぁと(苦笑)。個人的には満足だが、正月気分じゃねぇ~。まー、正月でなければ郷土資料館などが開館していたでしょうから、まだ見所はあると思います。

 

 そして、正月3日の今日は史跡巡りというわけではないですが、毎年行っている”鉄炮隊の神様”JR新大久保駅の脇にある「皆中稲荷神社」へ初詣に行って来ました。

 ここで去年に続いて、お守りの更新作業(苦笑)と新年の参拝をします。この神社も史跡だったりします。

 

 江戸時代は、この大久保界隈に幕府の鉄炮組が住んでおりました。そして、彼らの間で「鉄炮の腕が上がる」神社として尊崇されたそうです。そして現在、”当たる”に御利益があるということで”宝くじ”とか”博打”、”合格祈願”の神社になっております。合格祈願は、ちょっと違わなくね?とか個人的には思ったりもしますが(苦笑)。

 そして、ここで願うことは、たった一つ!「次回の夏コミケ当選!」ですね。絵馬を奉納して参りました。

 

 これにて、私の今年の正月行事はほぼ終了。明日からまた次回作に向けて始動していこうと思っています。ということで、今年もサークル「幕末ヤ撃団」がんばって参りますので、本年もよろしくお願い致します。