日野宿と石田村 | 幕末ヤ撃団

幕末ヤ撃団

勝者に都合の良い歴史を作ることは許さないが、敗者に都合良い歴史を作ることも許しません!。
勝者だろうが敗者だろうが”歴史を作ったら、単なる捏造”。
それを正していくのが歴史学の使命ですから。

今日は、新選組の故郷として有名な日野宿と石田村の史跡を巡ってきました。

 

と、本題に入る前にサークルの告知します。

冬コミケにサークルが当選しました。なので、サークル参加決定です!。

 

サークル「幕末ヤ撃団」

イベント:コミックマーケット95

日にち:12月29日(土曜日)

サークルブース:ほ-22b

 

 新刊は『新選組の武士道 近藤勇』を予定しています。前回は芹沢鴨だったので、今回は近藤勇の武士道精神について論じます。もちろん、土方歳三も大きく関わってくる。彼らの思想精神が、どのように通史とリンクするのか。そこを論じたいと思っております。乞うご期待ください。

 

 ということで、本題の史跡巡りに戻ります。もちろん、今回めぐった史跡が新選組絡みだという事で、新刊絡みであります(苦笑)。受かっちゃったからねぇ。同人誌に使う写真が、どーしても必要だったんですわ。

 実は、ここのところ史跡巡りが雨に祟られ続けていたので、今度こそはと晴れる日を狙っていた。先週ぐらいまでの予報では、今日は晴れだったんです。事実、昨日は良い天気だった。丁度、月初めの第一週で、土方歳三資料館も佐藤彦五郎新選組資料館も開館日。今日しかないと決意を固めていたところ……昨日の夕方から予報が急変し、朝になって午後から雨が70%と……ふざけんなっ!もう行く!!。というわけで行ったわけです。

 

 日野宿は、もう何度も行っているわけですが、新撰組祭りとか新選組のふるさと歴史館のイベントとかで行ってただけだったので、真剣に写真を撮っていない。撮っていても古い写真ばかり。石田村の土方歳三関連史跡については、まだカメラを持っていなかったかなり昔に行ってるわけで、写真が何もない。なので、石田村を重点的に廻ろうと思ってました。

 なにしろ、午後から雨ですからね。午前中が勝負です。そんな計画を立てて出発しました。

 

 ということで、京王線で高幡不動駅を降りて、高幡不動へ。

 新選組ファンの人には説明必要ないですね。ご存じ、高幡不動の土方歳三像です。

ということで、高幡不動に到着し、真っ先に土方歳三像を撮影。この山門も貴重な史跡だったりしますのでキチンと撮影します。

ちなみに、到着した時間は午前8時。午後は雨なので、午前中が勝負ですよ。

 土方歳三像の横に近藤勇と土方歳三を顕彰する碑があります。下記に説明看板を載せておきます。くわしくはそちらのお読み下さい。

 この顕彰碑には、日野の顔役達が一同に関わり、松本良順や仙台藩の大物大槻盤渓まで関わっているようですなぁ。徳川慶喜はさすがに明治政府を憚って引っ込んだみたい(苦笑)。まー、徳川幕府最後の将軍の上に朝敵第一当だから肩身は狭かったろうと。

 

 で、高幡不動から徒歩で土方歳三生家……つまり土方歳三資料館へ向かいます。歩くのは距離感を掴むため、あえて歩くことにしました。午前9時ごろに資料館へは到着したんですが……

「あっれぇ?」

 土方資料館が開館してません。何をどう勘違いしたのか、午前9:00の開館だとばっかり思ってたのですヨ。午後12時からの開館なのね……。むう!。とはいえ、午後になったら雨が降る。雨が降る前に撮るべき史跡の写真を撮らなければなりませぬから、午後から開館といわれても、それに合わせるわけにはいかぬという事情もある。とりあえず、他の史跡を見て回ることにします。

 

 「とうかん森」です。

 上記が「とうかん森」の説明看板です。土方家が祭っていた祠があります。本来の土方歳三の生家もこのあたりにあったらしい。しかし、川が氾濫して洪水となり、現在の土方歳三資料館のあたりに移り住んだっぽいです。

 

 そして、次に行った場所は……

 ご存じ、石田寺です。ここで土方歳三のお墓にお参りしてきました。さて、問題はこの後です。石田村で行きたい場所は「土方歳三資料館」を残すのみ。しかし、まだ時間は9:30ぐらいで12時までは時間が有りすぎる……。日野宿にも行かねばなりませんから、ここは日野宿に行くべきでしょう。

 ただ、当初の計画で距離感を掴むために石田村から日野宿まで徒歩で行く計画でした。そして、日野宿の史跡を巡り終わったら、日野駅から帰宅するという計画だったんですが……土方歳三資料館を見ずして帰宅するわけにはいきません。そもそも、土方歳三資料館の写真を撮影するのが一つの目的なのですから……。

 

ふと頭に浮かんだのは……「ちょっと、彦五郎さんちに行ってくる!」とノブ姉に言って飛び出していく少年歳三……というイメージ。行ったら帰ってこなけりゃならないわけで……。ふむ……土方歳三に出来て、俺に出来ないはずはない……。よし!石田村と日野宿を徒歩で往復しよう!。

 ということで、一路日野宿に歩いて行きました。

 

 だいたい40分ほど歩くと……

 またまたご存じ、佐藤彦五郎さんちですw。まぁ、日野宿本陣でもありますw。

 撮影禁止の展示物はダメだけど、撮影しても良いということでしたので内部をちょっとだけ撮影。土方歳三も寝転がっただろうという部屋らしいです。つーか、寝転がってたどころではなく、大病を患ってここで寝込んでなかったっけ?。本田覚庵が治療に当たってたような気がするんだが……。土方家とは、ほとんど家族ぐるみの付き合いのあった佐藤彦五郎、つか、ノブ姉が嫁いでいるから親戚だったりするしねぇ。

 日野の名主佐藤彦五郎と小野路の名主小島鹿之助は、思想史的にも重要な要素をもっておりますので、このあたりを押さえておかねばなりません。詳しくは新刊同人誌のネタなので、ココでは言いませんけども(苦笑)。まぁ、それが理由で日野宿の史跡を巡らなきゃならなかったのですけども。

 でもまぁ、日野宿本陣は、石田村と違って何度も来ている場所だったりもします(苦笑)。

 日野宿本陣の前にある日野市立図書館。そこには「甲州街道日野宿・問屋場・高札場跡」があります。この後、佐藤彦五郎さんのお墓参りに……。

 彦五郎さんのお墓は「大昌寺」にあります。ここも研究家あさくらゆう先生と来たことがあるのですが、その時はカメラを持っていなかったので、今回はキチンと撮影まで行いました。でも写真はあえて掲載しません。そのかわり墓碑だけ史料としてお見せしましょう。

 墓碑には彦五郎と刻まれており、その横に「ノブ」とあります。土方歳三のお姉ですね。

 

 で、日野宿本陣で貰ったチケットの半券で、新選組のふるさと歴史館で開催中の「幕末の銃砲展」を見学しに行きました。

古銃の世界は、マニアックになり過ぎると難しくなるわけですが、歴史ファンとして知っておくべき知識を簡潔にまとめてあり、非常にわかりやすい特別展だったと思います。幕末の銃砲知識を知りたいならお勧めの特別展っすね。

 新選組のふるさと歴史館の展示を見終わった後、その足で佐藤彦五郎資料館へ向かいます。ここも一度は行こうと思ってなかなか見れていなかった場所でした。なにしろ開館日が決まってまして、この開館日と私の予定がうまく噛み合わない(苦笑)。今回、ようやく行けました。ここで沖田総司の書簡や佐藤彦五郎の鉄扇子などを見学。いやぁ~いいものが見れました。

 

 さて、日野宿ですべきことはした。後は土方歳三資料館だ。再び徒歩で石田村に帰ります(苦笑)。ちなみに、私はよく”できる範囲内”で歩いて距離感を掴むということをします。電車の乗り換えがメンドイという理由もあるのですが、私に史学を教えてくれた研究家の大山格先生の教えでもあります。最近は、研究家のあさくら先生と一緒にいることが多くなり、あさくら先生の弟子と勘違いされそうですが、あさくら先生と私とでは歴史へのアプローチの仕方が違います。私はどちらかといえば大山先生の流派であって、あさくら先生の流派じゃないんですね。

 史学の手法は守らなけりゃなりません。これは大原則ですが、ソコから先の歴史へどのようにアプローチしていくのかは剣術の流派っぽくなってくるのよ。私はそのように考えています。

 さて本題に戻ります。土方歳三資料館です。

 佐藤彦五郎資料館を出ると日野用水があるんですが、そこに小動物が!。

 サギだ!。でも、さすがにそこに魚がいるようには見えんが。この野鳥も人間を怖がらないので撮影~。

で、石田村に向かいます。

ご存じ、土方歳三資料館です。開館してました。日野宿からここまで、やはり徒歩40分ぐらいでした。途中に登りも下りもなく平坦な道なので、疲れはするけど大変じゃないなと思う。交通手段が徒歩しかない時代ならば、「ちょっと彦五郎さんちに行ってくる」で、行って帰ってくる距離なんだろうなとか思った次第です。でもまぁ、俺の場合は足が棒のようにはなったがなぁ。でも筋肉痛がでるほどじゃないけど。

 

土方歳三生家の看板もあります。ここで、超久しぶりに土方歳三の遺品を見学します。

 少年だった頃の土方歳三が植えた矢竹だそうです。このころから武士になる夢があったのかもしれませんが、現実は厳しく彼は商家に丁稚奉公することになります。この丁稚奉公時代が非常に長く、そこで彼は町人思想(つか、町人の常識や処世術)を学んだはずです。ココが重要なポイントで、佐藤彦五郎や小島鹿之助は名主。名主は農民階級に属します。近藤勇も実家は豪農ですから、農民思想(農民の常識や処世術)を知っていました。土方家も本来は名主級の家柄ですから、農民思想を知っている。それに加えて町人(商人)の精神まで叩き込まれたのが土方歳三なんです。もっとも、土方家は家伝の石田散薬を売ることもしているから、元々商人気質も持っている。土方はそこを丁稚修業でさらに高めているわけです。だから土方は何をやらせても上手い。必ず成果を出してくる。でも、悪く言えば器用貧乏な面もあります。

 精神面を見れば、彼らは武士精神だけを持っていたわけじゃない。農民思想をベースに武士道を純化させていくのが近藤勇であり、土方は農民思想+町人(商人)思想の上に武士道を加えている。

 これが幕末時代の最大特徴なんですわ。武士だけが良けりゃいいというわけじゃない。農民や町人、つまり庶民が納得できる武士道でなけりゃならない。これは禄を貰って生活してきた純血武士にはできない芸当なんです。そして、明治維新は武士階級を廃し、庶民が主役になる明治時代を招き寄せました。なぜそうなったのか?。その因果関係を知ろうとする時、近藤勇や土方歳三を調べる意味が出て来るわけです。

 というわけで、今回のコミケ新刊ではそこあたりを突き詰めて考察をすすめております。

 

 さて、土方歳三資料館の横に、石田村名主の家がありましたので撮影しました。

 家っちゅーか門だけども。

 上記写真が説明看板となります。

以上、今日の史跡巡りは終了と相成りました。かろうじて雨には降られなかったわい、よかったよかった。

 

 

 

おまけ

土方歳三資料館から高幡不動駅まで歩いている途中、さすがに疲れたので土手で休憩していると、花嫁さんと馬が!。

なぜウェディングドレスにウマ?!。

石田村の嫁取りってすげー!。とか思いつつ帰宅しました。