インターネットで色々とみていると、「定説」と「通説」の違いがわからず、まるで同義語のように扱われていることがある。
この二つの言葉は、まったく違う意味があるため、きちんと区別して使わないといけない。と、常々思っているので、改めて説明しておきたい。
以下、二つの言葉の意味と違い説明しておこう。
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参考(http://la-ad.net/logical-thinking/6.html)
定説は、確「定」的な「説」です。
定説と言えども仮説ではあるので、将来覆される可能性はあります。しかし、多くの人が追試して確認することで、誰がやっても同じような結果が導けて、さらに仮説を覆すような事実も、少なくも今現在では、観察されないだろうと誰もが認めているような仮説です。そのため、ある事実を最も合理的に矛盾なく説明できるている説と言えます。ほぼすべての人や学者が正しいものと考えている、つまりは、支持している仮説が定説となります。
通説は、広く「通」用している「説」です。
定説程には確定的ではないが、多くの人が正しいと考えている仮説です。定説と異なる理由は、追試の結果として仮説が正しいのは間違いなさそうだが、どこかしらに見落とした前提や論理の飛躍があったり、または、ありそうだったり、完全に正しいと証明できない場合には、ほぼすべての人や学者が支持することは中々ないからです。しかし、小さな穴が仮説にあったとしても、一応は妥当で合理的な説明であると考えられるので、多くの人や学者は仮説を支持することになります。そうした人たちが多数派を形成して、仮説を支持することで、通説と呼ばれるようになります。
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以上、文章をそのまま引用したが、簡単に言えば「定説」とは、疑いようのない説、定まった説であり、史実と同等に扱われる。疑いようのない説である以上、歴史を語る上での説としては”ほぼ、疑問も出ないほど確実”なレベルに達した説が定説と呼ばれてるようになる。
これに対して「通説」は、多くの仮説(仮の説。証明に至っていない説)の中で、最も整合性があり信憑性も高い説が多くの研究者の支持を得るに至った説のことを言う。定説との最大の違いは、通説にはいくつかの疑問が残されており、定説と呼ぶには確実性において不足がある点だ。
上記の説明は、実験で検証が行える科学の世界での定義を引用しているが、歴史学の世界でもほぼ同じと思う。ただ、歴史学は科学とは違って”実験で確認する”ことが出来ない。また、”自分の目で見て確認すること(タイムマシンでもあれば別だが)”もできないため、説というものを駆使して歴史を考察していく事になる。
例えば、古代に存在したという邪馬台国と卑弥呼を例に取ろう。
古代の日本に邪馬台国と卑弥呼という人物がいた事は、中国の歴史書『魏志倭人伝』に書かれている。ところが、よくよく考えて見ると、この書を書いた人物が、実際に日本に渡り卑弥呼に会った訳でも無い。つまり、伝聞情報を書き記した二次史料である。
その後も、中国で歴史書が書かれたが、この『魏志倭人伝』の影響を受けただろうことが想像できるため、『魏志倭人伝』の記述が正しいと裏付けも取れていない。
つまり、邪馬台国と卑弥呼が実在したと証明されていないのである。
そもそも、邪馬台国が日本のどこにあったのかさえ解っていないのだ。さらに、我々は卑弥呼を”ヒミコ”と読んでいるが、当時の日本人の言葉を中国の人達が聞き、それを”中国語で当て字”にしていた可能性がある。そして、古代に話されていた中国語の発音が、変化して現代に至っていることは確実で、つまりは卑弥呼が”ヒミコ”と呼ばれていたのかも怪しい。
と、こうなると”とても史実とするわけにはいかない”と思う人も出てくるのではないだろうか。
ところが、高校の歴史教科書である『詳説 日本史B(山川出版社)』には「魏志倭人伝によると、倭国では2世紀の終わり頃に大きな争乱がおこり、なかなかおさまらなかった。そこで諸国は共同して邪馬台国の女王卑弥呼を立てたところ、ようやく争乱がおさまり、ここに邪馬台国を中心とする29国ばかりの小国の連合が生まれた」と記述されている。
しかも、魏志倭人伝と邪馬台国、卑弥呼の三つの単語は太字で書かれ、いかにも「ココ、テストに出ます」と言わんばかりの重要単語に指定されている。
先にも説明した通り、邪馬台国と卑弥呼という人物に関しては、国名と名前が判るのみで、その他のほぼすべては謎なのだ。しかも、裏付けも取られていない二次史料を信じれば……という前提がある。とても事実と認定できない。つまり、これは通説と呼ぶべき段階だろうと思う。ところが、本来「定説」を書くべき歴史の教科書に記載され、あまつさえ大学入試に出題されてしまうような重要単語指定までされているのは何故だろう?。
実は、ここにこそ「定説」ではない「通説」の存在意義があると私は思っている。
さて、ここで一旦「今、語られている歴史とは何か」という部分に立ち返ってみたい。先にも説明した通り、今ある歴史は科学の実験によって確認することもできず、自分の目で見て確認したものでもない。ということは、今ある歴史は極端なことを言えば”巨大で壮大な説”なのだ。この巨大で壮大な説は、個々の説の集合体でもある。この個々の説もいろいろある訳だが、できるかぎり定説の集合体であることが理想だ。しかし、どうしもうもなく定説にできない場合もある。この場合は、最も信頼性と信憑性のある説、つまり通説が用いられる。
だから、通説が覆った場合は、歴史の教科書の記述も変えられていく。歴史とはそのようなものだろうと思う。
先に説明した邪馬台国と卑弥呼に関しても同じだ。これらには謎が多くて定説だと認定するには躊躇する。が、不確実だと決めつけ、破棄する訳にもいかない。何故なら、歴史学上、一番最初に登場した日本人の名と国名が記してあるからだ。歴史的意義が大きいのだ。
だから、定説とは呼べず通説ではあるが、教科書で紹介し、学生達が日本人として知っておくべき常識として”ココ、テストに出ます”と言わんばかりに重要単語指定までされているわけだ。
間違っていたらどうするか?。或いは別の説(例えば、邪馬台国は無かったといった説)の信憑性が強くなり、通説に取って代わったらどうするか?。その時は、教科書に書かれた歴史の記述を変えればいいわけだ。
このように歴史とは、巨大な説であり、歴史学とは”今ある歴史を、さらに真実に近づけようとする”学問である。
その過程で、問題がすべて解決され、史実として扱われるのが定説であり、まだ定説とは呼べないものの、とりあえず定説の代用として歴史に取り入れられるのが通説だろうと思う。
そうなると、こう思う人がいるかもしれない。
「証明に至っていない”通説”を無責任に広めるのは問題ではないのか?むしろ広めてはいけないのではないのか?」と。
ぶっちゃけて言えば、「広める、広めない」というのは”歴史学とは、まったく関係がない”のだ。歴史学とは、今ある歴史をより真実に近づけていく学問であり、今ある歴史の広報活動なんぞ知ったことか。なのだ。
つまり、定説だけでは、古代から現代に至る日本の歴史全体を記述でいないため、最も信憑性のある学説として通説を用いる。通説が変わったら、新しく通説になった説と入れ替えれば良い。それだけの話しなのだ。ここで重要なのは、”説が入れ替わる”ということ。
例えば、邪馬台国と卑弥呼の存在が怪しい。だから”教科書から消し去ってしまおう”ということはしない。そこには、今ある通説に取って代わるべき仮説、競合する有力説が無ければならず、しかも入れ替わる説は、通説よりも信憑性と正確性が高くなければならない。
そうでなければ、歴史をより真実に近づけていくという歴史学ではなくなってしまうからだ。
したがって、「定説」と「通説」は、同義語であってはならない。キチンと区別して用いなければならないと私は思っている。