演劇界 平成2年12月号より | 十三代目仁左衛門さんの思い出。

平成2年(1990年)雑誌・演劇界(演劇出版社)に「今月の俳優」という連載がありました。

12月号は十三代目仁左衛門さんの特集「自在な芸境に生きる」。

毎回特集された役者さんと親交のある方が一頁、寄稿されていました。

長いお付き合いのご贔屓の会社の社長さんや、孝夫さん(当代仁左衛門さん)には岩谷時子さんがご寄稿されていたと思います。

そんなお歴々の中で十三代目さんだけ肩書きが「三階席の一ファン」としか表現しようのない私が書かせて頂きました。

読み返すと本当に恥ずかしい文章ですが、当時の私の一所懸命が詰まった文章ですので、お時間がございましたらお読み下さい。

今回の掲載につきましては、演劇出版社様のご了解を頂いております。

演劇出版社様、お忙しいところ色々とご親切にご確認頂きまして、ありがとうございました。

 

 

 

拝啓

 

仁左衛門さん、頑張っていらっしゃいますか?

『演劇界』からの原稿依頼、びっくりしてしまいました。このページは著名な方が書くものだとばかり思っていましたのでとても迷いましたけれど、奥様が推薦して下さったと伺い、また演劇出版社の方も、

「それも仁左衛門さんのお人柄らしくていいのではないでしょうか」

と言われて、なんだかそれがすごく嬉しくて思わずお引き受けしてしまった次第です。

 

 仁左衛門さんのお芝居を初めて観たのは、昭和六十一年京都の顔見世『寺子屋』の松王丸でした。それまで松王丸という人物がどうしても判らなくて、私にとって実は『寺子屋』は非常につまらないお芝居でした。それが、です。すんなりと判ってしまったのです。何故かって舞台にはまさしく本物の松王丸がいたからです!これが歌舞伎を観て初めて泣き、義太夫のお芝居で初めて感動し、しばらく席を立つこともできなかった初めての経験でした。それ以来ずっと、仁左衛門さんのお芝居を追いかけています。

 

 あまりに仁左衛門さんが役そのものになりきられるので、仁左衛門さんがちゃんと仁左衛門さんに戻ってるかどうかなどとおかしな心配をして、楽屋口で仁左衛門さんを待っていたりもしました。(今もしています・・・)

 そして一番そういうおかしな心配をしてしまったのは、歌舞伎座百年二月の『菅原』の菅丞相の時でした。舞台が素晴らしければその役者さんがどんなにひどい性格だろうと別に構わないのですけど、このお役だけは日頃の御信心の深さやお心の美しさが如実に反映されてしまうのではないかと思います。

 「子鳥が鳴けば親鳥も・・・」

 美しい高音と気品あふれるお姿、そして無限の悲しみ。丞相様の周りには白く淡い光が見えました。今も目に焼き付いて離れません。

 仁左衛門さんの菅丞相が空前で絶後だと思います。仁左衛門さんが再び演らない限り、仁左衛門さんの菅丞相を超える菅丞相は出てこない・・・これはおばあさんになっても歌舞伎ファンでいる予定の私にとってはひどく悲しい認識ですけど、仕方ありません。

 ・・・困ったことに空前で絶後になってしまいそうなのは菅丞相だけではなさそうなので、仁左衛門さんの素晴らしい宝物--息子さん、お孫さん、真摯なお弟子さん達--にはもっともっと頑張って頂きたいと思います。

 

 仁左衛門さんも負けずに色々なお役に挑戦して下さい。「片岡十二集」も今だとほとんど拝見していませんし、台本がないものは仁左衛門さんが書いてしまうというのは駄目なのでしょうか。仁左衛門さんの舞台年表を見ていると、題名すら知らなかったお芝居も多くて興味津々です。仁左衛門さんしか知らないお芝居があるとしたら、それはズルいと思ってしまいます。仁左衛門さんの老け役大好きですけど、たまには若いお役も演って下さい!

 

 いつも三階席(それも後方)や幕見席ばかりでお芝居を見ているので、どうしても舞台は見おろすかたちになってしまいます。幕が開いて歴然と判ってしまうのが役者さん達の身長差なのですけれど、仁左衛門さんが演じられるお役は、時に異様なほど大きく見えて驚いてしまうことがあります。

 今演じられている『対面』の工藤も、大きいも既に超えて「でっかい!」という感じで、この見えないはずなのに見えてしまう不思議な身長+α分て一体何なのでしょう。それも必ず初日より中日、中日より千穐楽と確実に成長しているのです。きっと仁左衛門さんが一日一日を大切に演じられている証なのだと思います。

 これからも素晴らしいお芝居で私達を魅せて下さい。遠い席からですけど、ずっとずっと応援しています!

敬具

(三階席の一ファン)