十三代目仁左衛門さんの思い出。

十三代目の仁左衛門さんを語る上で欠かせない松嶋屋付番頭、伊藤友久さん


各劇場の受付で 「ようこそ、よくいらしゃいました。」と満面の笑みで出迎えて頂きました。


十三代目さんより5ヶ月程前にお亡くなりになってしまいましたが、平成元年のNHKラジオ放送『人生読本-芝居を見つめて六十年-』にご出演時の原稿をもとに伊藤さんの芝居を見つめ続けた人生を振返ります。

 

 

 

『芝居を見つめて六十五年』


伊藤さんは大正9年、京都市宮川町に生まれました。
お父様がかつて新派の役者だった影響か、伊藤さんは少年時代から活動(映画)や小芝居をむさぼるように観ていました。 

活動は家がうどん屋で、表に日活のビラを貼っていたので、ビラ下、いわゆる招待券で通い、尾上松之助さん、大河内伝次郎さんの大変なファン。
小芝居は京都の第二京極の三友劇場などで。

松尾志之武さん、剣劇の明石潮さん、中 田正造さん、小川隆さん、井川八郎さん、辻野良一さん、和歌浦糸子さんなどを大変観ていたそうです。

 

「それなのでもう、芝居が好き、活動が好き、そしてまた漫才、エンタツ・アチャコ は申すに及ばず、雁玉・十郎という漫才も好きになって、絶えず、親の目を盗んで観 に行ってたのが今日の元をなしたのです。」

 

大歌舞伎を初めて観たのは昭和十二年。 

この年に初代鴈治郎さんがお亡くなりになりましたが、
二代目の河内屋さん(延若さ ん)、先代梅玉さん、魁車さん、寿三郎さんなどの上方歌舞伎全盛期。
伊藤さんは毎月のように道頓堀の芝居を観に行きました。

「それでもう魁車さんが好きで、魁車さん【阿波の粉雪】。郷田先生のものでしたが、
梅玉さんとのコンビ。「樽屋おせん」、梅玉さんのおせんで魁車さんの伊助、こういうのを観て、大変もう喜んだものです。」

 

そして戦争が始まります。 

家業のうどん屋も出来なくなりましたが、伊藤さんは芝居を観続けました。
空襲警報がブーッと鳴ると、ばーっと表へ出て、空襲警報が終わればまた中に入って芝居を観て・・。

そんな時に片岡家の後援会のことを聞き、伊藤さんは初めて十三代目さんにお目にかかります。

「片岡家で初めて今のご主人にお目にかかった。それから大変今のご主人に、ま、なんちゅうんですか、惹きつけられまして、それでずうっと約五年間お世話をしておりました。」

その後、当時の番頭さんが相当の年配であり「伊藤さん、手伝うてくれ」という話に なり、松嶋屋番頭・伊藤友久さんが誕生します。

 昭和28年でした。

「番頭というのはどういうことかと申しますと、今はもうどの世界でも番頭という言 葉はないでしょう。
しかし私らのこの世界では番頭という名前は、いわゆるマネー ジャーであり、マネージャーでない、お客様のご接待、そしてまた裏の仕事と申しま すとご主人の色んな役の交渉事、
またその他に関する、付随する交渉事を致します。」


関西の歌舞伎が不振になり、昭和37年、十三代目さんが「仁左衛門歌舞伎」を旗揚 げします。

 

「前売りのこん日、何人並んで下すってるだろうかと、もう胸躍らせて朝日座の前へ行きましたら、なんとずうーっと並んで下すってるじゃありませんか。 こんな嬉しいこと!もうすぐに京都の片岡家へ電話して、「だんさん、もうこんなして沢山の人がならんで下すってます。有難いことです。」 て、今だにそれを言ったことを覚えております。これはもう、こんなことは僕の一生 涯にないことです。(中略)
初日の開いた朝入ってみたら、もうぎっしりの満員で、そしてその芝居を観て、その お客様の興奮は、なんと言おうか、これが本当の芝居見物の最高やないかと私は思っ たのです。
そして、ばらばらっと涙が出て、ああよかった、旦那さんもこうして芝居が出来てよかった、皆さんも芝居が出来てよかった、お客さんもこうして観て下すっ て感激して下すって、こんな嬉しいことはもう陰の力の者としてはもうない。なんと も言えない感情になってきてしまったものです。」


伊藤さんは芝居関係のコレクターとしても有名です。 コレクションを本格的にはじめたのは昭和30年頃から。
歌舞伎を中心とした図書、番付、錦絵、摺物(江戸後期から明治初期に役者の襲名や追善興行に配られた一枚摺)など、その数は一万点以上。

「何しろ夜、芝居が終わって帰って、そういう番付を見て、そして芝居の本を読んで、そしてニヤニヤ笑っているのが私の一番の楽しみ、今日の楽しみなんです。
その他には孫五人居りますので孫五人の顔見るのが楽しみですけど、ま、それは家庭的のことであって、自分の職業的で言ったら、この時が私の一番楽しい時です。」

 

 

昭和56年3月 国立劇場にて「伊藤友久コレクション展」

平成7年6月 早稲田大学演劇博物館にて「伊藤友久コレクション 芝居摺物展」


★関連図書  
  錦絵-伊藤友久コレクション : a souvenir postcard book    赤間亮著  京都書院

 

 

昭和62年12月、京の顔見世にて十三代目さんが顔見世35年連続出演を表彰され た時、
伊藤さんも長年の歌舞伎に対する貢献を会社(松竹株式会社)より表彰されます。
映画『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』に十三代目さんに嬉しそうに報告する伊藤さんの姿が残っています。

「なんちゅうても三十六年も勤めようと思いますと、やはりご主人が私を使って下さるからで、
やっぱりご主人あっての私、番頭である。 番頭と言いましても、明治時代は手代と申しておられたそうです。ま、手代から、大正時代に番頭に昇格したんです。
でも今日「番頭」ちゅうのは今の社会では使いませんけれども、この言葉はそのまんまこの世界の親しみ、また深い味わいがあるんじゃ ないかと私は思います。

 で、私は番頭で最後を送りたいと思います。」


その言葉の通り最後まで番頭のまま、伊藤さんは平成5年11月、73才でお亡くな りになりました。
葬儀委員長は十三代目さんがお勤めになられました。
芝居を愛し、見つめ、そして見守り続けたご生涯でした。