私本野鳥歳時記のためのモノローグ

                                             1994年4月

 歳時記は俳人の季節観・自然観が投影されたものだから、逆に歳時記から、俳人の季節観・自然観を推し測ることもできるわけである。

 さて、その歳時記には実に多種多様な動物名が季語として収録されているが、今もなお、その扱い方には適切さを欠くもの、つまりその季節区分には納得できないものが多い。例えば、熊は冬季に入れられているが、なぜ冬季なのか理解に苦しむのである。ひょっとして、熊は冬眠するのではなかったか。そしてその不適切な納得のできない季語は、なぜか鳥類に集中しているようである。

 歳時記以外の俳句関係の著書にも、まちがった記述が目立つ。「俳句用語用例小事典⑦動物の俳句を詠むために」(大野雑草子編 博友社1990)の「かわがらす」の項を見ると、ミソサザエ科の鳥と書いてある。かわがらすはカワガラス科である。知らない人が見ると鵜のみにしてしまうだろう。また、「秀句三五〇選2 鳥」(伊藤通明編 蝸牛社 1989)には、驚いたことに蝙蝠の句が四句も入っている。ここではあの鳥獣戦争が未だ尾を曳いていて、今しも幅幅は鳥の陣営に馳せ参じたというわけか。しかし総勢三五〇の軍勢に一パーセントの加勢では何とも心もとない。この本は鳥の俳句を四季に分類して鑑賞文を付けてあるが、春の部に

  初声の雀の中の四十雀       青柳志解樹

の句があって、四十雀は秋と注がある。そして夏の部には

  四十雀つれ渡りつつ鳴きにけり   原  石鼎

があって、四十雀は夏になっている。しかしこの句は、たとえ季語がなくても一読して秋の句だと判るのである。四十雀がこういう群れ行動を見せるのは、秋から冬にかけてだからである。夏の部に入れる句ではない。さらにその囀りには目白の句が並んでいて、目白は夏。ところが巻末の関連用語のところを見ると、四十雀も目白も秋に入っている。一書の中で同じ種の鳥が季語をめぐって、どうしてこうもさまようのか、不可解である。哺乳類に比べて、鳥類はもっと身近かな動物であると思っている私には、これはとまどい以外の何物でもない。

 これら(動物名)の季語は、それ自体は詩でもなければ詩語でもない。素材として在るのだが、もちろん素材である前に命ある生物のれっきとした種名であり、自然の生熊系の中にきっちり組み込まれて生きているのだから、やはり科学的に処遇されなければならぬだろう。

 歳時記に収録された野の鳥たちからは、歎きの声が聞こえてきそうである。その野の鳥たちに季語としての正しい地位を与えてやるために、自然科学の立場から考察を試みたいとかねてから思っていたのである。ただ、俳壇がどこまでそれを容認するか、野の鳥たちに報いてやりたい私の気持がどこまで通じるかは、全くもって不明である。

 今だから白状するが、私は人の名前と顔は覚えられない方の天才で(鹿の顔ならすぐ見分けがつくのに)、仕方がないから鳥の名前でも覚えてみようかとこの道に入ったのだが、この世界もなかなかどうして一すじなわではいかぬ。ハグロシロハラミズナギドリとか、ハシグロクロハラアジサシなどという厄介者がぞろぞろいて、未だに困惑の域を脱出できないでいる。それでも、俳人なら「ああ」と感動すると、ぱっと俯いて句帖を開くところを、「ああ」というと、ぱっと空を見上げてしまう習性がすっかり身についてしまっているので、歳時記に登場する鳥たちについてなら、何とか言及できるのではないかと思うのである。

 実のところ、これから私がやろうとしていることは二番煎じである。

 「野鳥歳時記」これを半世紀も前に世に問うた人がいる。山谷春潮がその人である。

 春潮は水原秋桜子門の俳人で、日本野鳥の会の創始者中西悟堂にも師事していた。悟堂は周知の通り、野鳥の研究家であったが、いっぼう僧籍をもつ歌人でもあった。文人たちとの交遊もひろく北原白秋、窪田空穂、柳田国男、金田一京助、春彦、若山喜志子、杉村楚人冠等を、富士山麓の須走へ誘っては探鳥会を行なっていた。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語である。秋桜子も悟堂の探鳥会に参加するようになって、野鳥に対して関心を強め野鳥俳句を実作・発表するようになるが、野鳥に関する今までの歳時記が非常に不備だということを感じ、かなりの大きな誤りがあることを発見するようになる。そこに春潮がいたのである。

 春潮もかねてから、それらの矛盾、誤りを強く感じていた一人で、秋桜子の勧めもあって「馬酔木」に約一年にわたって野鳥歳時記を連載し、昭和十八年(1943)に一冊にまとめあげた。

 春潮の野鳥歳時記は実に画期的なものであった。自然科学的見解と俳句的季節観が美事に融合して、野鳥と俳句は結びついたのである。これで野鳥に対する知識や関心が、俳人たちの間にもひろまったことは特筆すべきだろう。これを機にして「馬酔木」では野鳥俳句が盛んになる。とまあ、この辺のことは実際には知らない。その頃の私は連日、野山で狐や鴉を追いまわして薄汚れた悪餓鬼だったのだから。

 野鳥歳時記を編むに当って春潮が留意したことを要約すると、主要な鳥が殆ど秋に入っている、鳥の囀りは「囀り」の一語で包括されている、重要な鳥が脱落し意味曖昧なものが入っている、鳥の習性からみた科学的な季節区分(つまり渡りの区分で留鳥、漂鳥、夏鳥、冬鳥、旅鳥など)と季語が関連づけられていない等であるが、これらの趣旨はよく見ると互いにかかわりあっている。

 そこで細かい点は省くが、ルリビタキ、ヒガラ、ゴジュウカラ、ホオジロや夏鳥のコルリ、クロツグミ、オオルリ、サンコウチョウなどは秋から春又は夏へ、ミソサザイは冬から春へ移され、アオバズク、マミジロ、メボソムシクイ、センダイムシクイ、キビタキなどが新たに季語に加えられた。

「囀り」についてはすばらしい季語として全面肯定しながらも、ヒバリ、コマドリ、ウグイス以外の鳥のそれは十把一からげにされているのは実に惜しいといっている。まさに春潮がいうとおりで、ミミズやミノムシの声に耳をそばだてる俳人が、鳥のなかでも名うての歌の名手たちを黙殺する手はないのである。これは飼鳥の伝統、つまり篭の鳥の愛玩が主流で野の鳥に目を向けようとはしなかった因習が、俳諧の世界にも根強く影響していたからであろう。野の鳥を篭に封じこめるような盆栽趣味を廃し「野の鳥は野で」ということこそ悟堂が最初の主張であったのである。囀りは「囀り」として、繁殖に命をかけて囀る鳥たちを、その名をもって呼んでやるべきであろう。そして春潮は、留鳥又は漂鳥で一定の季節に決定できないものに対しては、「無季の鳥」として従来の歳時記にはない一項を設けた。これはけだし卓見であった。スズメやカラス類はもともと俳句的には無季の鳥であるからもちろんだが、カイツブリ、ミサゴ、トビ、キジバト、キツツキ類、カワガラス、エナガ、シジュウカラ、メジロなどが入っている。

 さて、いま手許に「カラー版俳句歳時記 四季の鳥」(例句選・鳥解説 志摩芳次郎 世界文化社 1980)がある。春潮の野鳥歳時記とは実に四十年の隔りがある。この新旧二つの歳時記をつき合せてみると、そこにはやはり春潮の影響は大きい。

 しかしながらその新しい歳時記には、夏鳥のイワツバメ、コマドリ、ヤブサメ、センダイムシクイなどがはやばやと春にまぎれこんでいるし、春か夏がふさわしいと思われるルリビタキ、コガラ、ゴジュウカラ、ホオアカなどは依然として秋にふみとどまっている。そしておどろくまいことか、ミソサザイは冬の片隅で息をひそめているではないか。

 これはまたどうしたことだろうか。「―ミソサザイは冬の季語としてあり、これが妥当であろうが、(略)春のミソサザイを詠む場合には鳴いていると分かる詞か、春の季語を補うかによって特徴を出すのがよいのである(堀口星眠 鳥のすべてが俳句の対象になる「野鳥」通巻四二七号 1985・12・P21)」。つまりはこういうことであったのだ。しかしこれはまた、のっけから断定的で俳句的因習に盲従的で、したがってミソサザイがなぜ冬が妥当なのか、その辺のことはわからない。ミソサザイが冬季に定着するのは何時からのことか。

 こういう詮索は苦手だが、ものの本によると延宝八年(1680)の俳諧・田舎の句合―二二番に「雪おもしろ軒の掛菜にみそさざい」があるというから、江戸初期末の頃から中期へかけてのことだろうか。されば、江戸市井の宗匠たちには、納屋の軒下のがらくたの隙間へとびこんだり、生垣の暗がりへ潜ったりしているだんまりの冬のミソサザイが一般的で、その鳥が江戸の生活圏から遠く離れた渓谷で、朗朗と他の鳥どもを圧した歌いっぷりで、春を告げる美声の持ち主であったとは知る由もなかったであろう。ミソサザイの本質を知らなかったのである。

 今は野性動物の生活圏を侵すほど人間の生活圏行動圏がひろがった。登山もブームの域を脱してすでに久しい。山岳をめざす俳人もかなりの数にのぼる筈であるが、ミソサザイの囀りには心を動かさないのだろうか。ルリビタキもミソサザイ同様の扱いをいまだに受けているが、これこそ俳壇のもつ頑迷さそのものであろう。

 頑迷さといえば、この新しい歳時記にして「色鳥」や「小鳥来る」という化石みたいな季語がまだ生きていることである。スズメ目からカラス科を除けばあとは皆小鳥と呼べる鳥ばかりで、特に秋に限って目につくようになるわけではないし、色の美しさをいうなら、秋に現れる冬鳥にひけを取らない夏鳥が種類の上でも多いのである。これらの季語は必然性のない唯のこじつけにすぎないだろう。

 整理しなければならぬことはまだあって、クイナ、ミヤコドリ、ヤマバト、ジヒシンチョウなどの俗称が季語に混在していることで、これはやはり大部分の鳥の季語のように標準和名(種名)に統一すべきだろう。これらの中には別種を指すものが含まれているからである。

 たとえば、クイナ。この鳥は夏の季語とされるが正体はヒクイナであることは、俳人なら誰知らぬ者はいないと思っていた。ところがそうでもないらしい。クイナがコツコツと鳴くとする、例の「戸を叩く」という俗諺からの、実態を知らぬ空想の産物は論外として、こんな解説を見つけた。「戸を叩くような声で鳴く。秋、北方から渡来し、水辺の葦原や田圃近くの渓流などにすむ。哀愁をおびた鳴き声は特色がある。」これも戦後出版された俳句歳時記のものであるが、一文の中でヒクイナとクイナが渾然一体となっている。それにしても俳人は戸を叩くのがよほど好きらしい。古人は「鳴き方」を戸を叩く様子にたとえた。現在の俳人は戸を叩く音から「鳴き声」を想像する。近代の都市文明はそれだけ自然を遠ざけてしまったのである。ヒクイナは南方系、クイナは北方系の鳥で、日本に渡来する時季も夏と冬で全く正反対なのである。クイナは日本ではほとんど鳴くことはない。あの仏法僧も「ブッポウソウ」と鳴く夜行性の鳥をコノハズク、姿は美しいがそうは鳴かない昼行性の鳥はブッポウソウと区別することが、俳壇でも定着しつつある。クイナもこうした混乱をさけるために、夏のクイナはヒクイナ、冬のクイナはクイナとしてそれぞれを正しく独立させるべきではなかろうか。いつまでもノックみたいにコツコツでは俳壇の名誉にもかかわるだろう。ヒクイナという言葉の響きも悪くはないし、緋水鶏と表記する字面もすてがたい。同様にミヤコドリもユリカモメが正しい。そろそろ決断なさってはいかがなものでしょうか。

 春潮は鬱然たる俳壇の権威に対して遠慮したと思われる節も見受けられるし、また逆に少しやりすぎたきらいがなくもない。それがいま、鳥たちをめぐる季語にさまざまな混迷をもたらす遠因になっているとしたら、俳壇の頑迷さばかりに矛先をむけるわけにもいかぬだろう。

 春潮からすでに半世紀の時間が流れすぎた。その間に、鳥たちをとり巻く自然環境は想像を絶する荒廃ぶりを見た。鳥たちもまた、その習性を変えたものが少なからずいる。それにもまして鳥学界の学識経験も飛躍したのである。春潮の二番煎じは承知の上で、いま改めてこれらの鳥の季語を見直して整理してみるのも、あながち無駄な行為とも思えない。

 しかしながら、鳥は実にすばらしい生き物である。色の美しさ、声のすばらしさ、しかも空を飛ぶことができる。この愛すべき動物は我々の最も近しい隣人として生きてきた。いやいや、我々がこの地球上に出現する、そのずっと昔、気の遠くなるような長い時間を生きてきた先住者であったことを知れば、限りない畏敬の念を棒げずにはおられないだろう。国を挙げての開発志向の中で、彼らの重要な生息地が破壊されるとき、彼らのために我を忘れて立ちあがっては「鳥か人か」とそしりを受け、「鳥も人も」と応じたり、時には “Today Birds,Tomorrow Men”と警告を発したりもしてきた。

 しかし、そんな乾燥しきった世界から脱けだして、清浄な山の大気を吸い、清冽な山の水を飲んで、降るような鳥の囀りを全身に浴びる時、思わず大自然のめぐみの前にひれ伏すのである。そしてあれはメボソムシクイ、こっちはルリビタキなどと一つ一つそれを聞きわける時のあの心のふるえ、その心のふるえを俳句に定着させることができるならば…。

 こんなよろこびを一人でも多くの人とわかち合えることができれば、この上ない幸せである。

 

 筆者・土屋休丘(つちやきゅうく)

           日本鳥学会会員

           日本野鳥の会会員、   同 評議員(1981年)

 

       「七曜」誌 1994年4月 

       なお、土屋休丘さんは2016年4月1日に永眠されました。

  

  私本野鳥歳時記の目次を作りました。

野鳥名のアイウ(あおげら⇒あおさぎ⇒あかげら)になっていますので、記事一覧の6頁目からご覧ください。

「私本野鳥歳時記のためのモノローグ」は土屋休丘さんがこの歳時記を表したいきさつです。是非一読ください。

  

 記事一覧の1頁目のブログ

俳句集 『につぽにあにつぽん』のあとがき

につぽにあにつぽん 跋に代えて 高野ムツオ

につぽにあにつぽん

緑啄木鳥、郭公、頬赤、山鳥の写真を追加

野鳥の写真の挿入を終わりました。

鶴、丹頂、雁の写真などを追加

おしどり 鴛鴦の写真を追加

コゲラ・アカゲラ・アオゲラ・クマゲラの写真

赤腹・十一・四十雀・日雀・緋水鶏・薮雨の写真

土屋休丘さんの野鳥俳句

中鷺の写真

鴬の写真

この歳時記の作者の土屋休丘さん

おわりに

用語と省略記号の解説

わし 鷲

らいてう 雷鳥

よたか 夜鷹

よしきり 葭切

 

記事一覧の2頁目のブログ

ゆりかもめ 百合鴎

やまどり 山鳥

やませみ 山翡翠

やまがら 山雀

やぶさめ 薮雨

もず 鵙

めぼそ 目細

めじろ 目白

みそさざい 鷦鷯

まみじろ 眉白 

ほほじろ 頬白

ほほあか 頬赤

ほととぎす 杜鵑

ほしがらす 星鴉

ぶっぽうそう 仏法僧

びんずい 便追

ひよどり 鵯

ひばり 雲雀

ひたき るりびたき 瑠璃鶲

ひたき のびたき 野鶲

 

記事一覧の3頁目のブログ

ひたき こさめびたき 小鮫鶲

ひたき きびたき 黄鶲

ひくいな 緋水鶏

ひがら 日雀

ばん 鷭

はくてう 白鳥

とらつぐみ 虎鶫

とび 鳶

つる 鶴 鍋鶴 真那鶴

つる 鶴 丹頂 凍鶴

つばめ 燕 燕の巣 燕の子

つつどり 筒鳥

たか 蜂熊(はちくま) 鷹渡る

たか 鵟(のすり)

せんだいむしくひ 仙台虫喰

せっか 雪加

せきれい 背黒鶺鴒

せきれい 黄鶺鴒

すずめ 雀 (稲雀 雀の子 恋雀 雀の巣)

しらさぎ 白鷺(大鷺 中鷺 小鷺)

 

記事一覧の4頁目のブログ

じゆういち 十一

しじふから 四十雀

さんくわうてう 三光鳥

野鳥の写真

さしば 差羽

ささごい 笹五位

こるり 小瑠璃

こよしきり 小葭切

こまどり 駒鳥

このはづく 木葉木菟

こじゆけい 小綬鶏

ごじふから 五十雀

こげら 小啄木鳥

こがら 小雀

ごいさぎ 五位鷺

こあじさし 小鯵刺

くろつぐみ 黒鶫

くまげら 熊啄木鳥

きじばと 雉鳩

きじ 雉

 

 記事一覧の5頁目のブログ

がん 雁

からす 鴉・烏

かやくぐり 茅潜

かも 鴨 (鈴鴨 晨鴨)

かも 鴨 (緋鳥鴨 尾長鴨)

かも 鴨 (小鴨 真鴨 軽鴨)

かはせみ 翡翠

かはがらす 河烏

かはう 河鵜

かっこう 郭公

かいつぶり

をしどり 鴛鴦

おおるり 大瑠璃

おおじしぎ 大地鴫

えなが 柄長

えぞむしくい 蝦夷虫喰

うみう 海鵜

うそ 鷽

うぐひす 鴬

いはひばり 岩雲雀

 

記事一覧の6頁目のブログ

いはつばめ 岩燕

いそひよ 磯鵯

いかる 斑鳩

あをばと 青鳩

あおばづく 青葉木菟

あまつばめ 雨燕

あかはら 赤腹

あかせうびん 赤翡翠

あかげら 赤啄木鳥

あおさぎ 蒼鷺

あおげら 緑啄木鳥

私本野鳥歳時記について

私本野鳥歳時記のためのモノローグ

「私本野鳥歳時記」

 

  あとがき 

 本句集は前句集『血族』につぐ私の第二句集である。平成九年から平成十六年までの八年間の作品のうちから二百九十六句を収めた。この句集を編むに当り、高野ムツオ先生の御指導を受け、跋文を頂戴できたことは誠に光栄であり望外の喜びである。ありがたうございました。これも「小熊座」とめぐりあへたからである。それは俳句復活後、探し求めつづけてきたものとの決定的な出合ひであった。一方的な物言ひにすぎないが、この出合ひがあったから、少なくなった残り時間を精いっぱい生きて、俳句に執念を深めることができたのである。せっかくの残り時間だから今までにも増して、名もなき鳥獣蟲魚の声にも耳を傾けたい。「一寸の虫にも五分の魂」といふなら「五分の虫には二分の魂」がある。それを大切にしたい。     

 書名はトキ(鴇)の学名を平仮名書きしたものである。日本を象徴する学名をもつこの鳥類は特別天然記念物、国際保護鳥でもあった。このトキを絶滅させてしまった事実も、種が絶滅するといふ意味の重大性については無知にして関心を示さなかった国も共に、あの学名以上に日本を象徴してゐる。装幀には孫日名子(五歳時)の作品の部分を無断借用した。     

 本句集上梓にあたり、今回も邑書林の島田牙城氏のお世話になった。厚く御礼を申し上げます。      

  平成十七年葉月

                                                土屋 休丘

 

 かつて私は、土屋休丘の、  

   絶滅ときまれば鶴の煌煌と     土屋休丘

の句に触れながら、次のように書いたことがある。

       

 佐渡の日本トキ(学名ニッポニア・ニッポン)の最後の一羽「キン」が死んだのは、昨年(註・平成十五年)の十月十日であった。死因は老衰だと思っていた、が、飼育されていた部屋の中で突然飛び立ち、アルミ製の扉に衝突したことによる頭部挫傷によるとあとで知った。日本を象徴する国際保護鳥の悲惨な最期といえよう。     

 丹鳥鶴も今は千羽近くに殖えていると聞くが、明治時代には乱獲と湿原の開拓により、絶滅したと思われていたそうだ。しかし、大正の終わりに数羽の丹頂鶴が発見され、戦後、釧路湿原などの給餌によって徐々に殖え始め今日に至ったわけだ。だが、見方によっては純野生の丹頂鶴は、すでに明治に絶滅していたといえるのではないか。いうなれば、今釧路湿原で生き続けている丹頂鶴は、その絶滅した鶴の残像である。

 これら絶滅種の増加の道は、そのまま、その風土とそこに住む人間そのものの絶滅の道であろう。 

   山河荒涼狼の絶えしより        佐藤鬼房

 山の神狼の絶滅以後、日本の山河は荒み衰え続けるばかりであるように鶴の絶滅は、日本の湖沼湿原の喪失のみを意味しているのではない。「煌煌と」輝く鶴の姿は、絶滅の元凶、人間に対する実にささやかな、しかし、痛烈な糾弾なのである。     

               「小熊座」平成十六年三月号より

 私は今般、土屋休丘の句集『につぽにあ・につぽん』が上梓されると聞き及んで、この拙い文章を跋に代えて載せて頂けるよう著者に申し出た。それは、この鶴の句が、本集を貫く、生きとし生けるものはすべて親族であり、血族であるという著者の愛とそれら愛するものすべての滅びに対する今日的詩精神とを、なによりもよく象徴していると確信したからである。 

        平成十七年立秋

                                                           高野ムツオ

 土屋休丘さんは 第二俳句集『につぽにあにつぽん』 を 2005年に上梓されました。

休丘さんが66歳から73歳の時に作られた自信作296句を発表されたものです。

につぽにあにつぽんは、佐渡の日本トキ(学名ニッポニア・ニッポン)のこと。最後の一羽「キン」が死んだのは、2003年の10月10日でした。トキの死を悲しまれての、哀悼の俳句集と思います。

 この句集には73句の野鳥の俳句があります。

 まずは、これらの俳句を紹介させていただきます。

 土屋さんは、旧漢字による俳句標記をされています。ブログ子のパソコンに無い文字が多かったため、新しい標記にして、読み方に疑問をもちつつも辞書にある読み方で説明を入れさせていただきました。

 

怨念のにつぽにあにつぽん雪解靄

青鳩よそこは覚めずに死にゆく沼

岩ひばり鳴き雪渓の大蒸発

虎鶫燃えつきし星なほ流れ

飛びつつ死ぬ鳥もあるべし葛嵐

海浪の鹹(から)さどこまで河口の鴨

星消してゆく晨鴨海黝(あおぐろ)し

磯鵯や驟雨が濡らす海の色

鷹掴む骨樹と見れば老い桜

身を賭けて翔ぶ鷹ひとつ花の雲

青葉木菟古武士のごとく大和棟

どの鷹も命きらめく鷹柱

吉野熊野鷲の翼下になだれけり

日照かき消して隼枯木灘

雪腐りゐてみそさざい大音声

鵠発つとき長頚のあはれさは   鵠(くぐい):白鳥

日雀鳴く穂高の雲をはらひつつ

風蝕は栂にもおよび鷽の声

斑鳩鳴き濁世明るきひとところ

斑鳩の声高原野菜甘くなれ

鬱と森筒鳥も仔をふやしに来し

赤翡翠汚染を見せぬ雨が降る

仙台虫喰殘月のこのしらけやう

仙台虫喰滑瀧(なめ)の陶酔醒めずあれ

鷹渡るこれより海が力を借し

流れ藻の鹹き(からき)月日よ信天翁    信天翁:あほうどり

鯤は識らず鴎らに海吹きちぎれ       鯤:こん 空想上の大きな魚

殺気杳として大鷹の描く輪あり

死臭消し樹間(こま)の飛雪を灰鷹は

鶺鴒の白のひらめき恵方道

かいつぶり気が狂(ふ)れ沈む花吹雪

緋水鶏や野川にかかる水利権

富士にゐて富士を真つ向大地鴫

旅立ちのたましひ遊ぶ秋燕

雪に死す狗鷲絶滅危惧種として

農道と紛ふ参道雉の声

老残の栂に日当る瑠璃鶲

湿原をほろぼす煙霧目細の声

どこまでが現世の空燕去ぬ

田鷚や水あれば田も空映す    田鷚:たひばり

とろとろと夜噺風か梟か

梟や狩られるものに闇は充ち

みそさざい地下にこそある滾る水

月日星いづれがほろぶ三光鳥

芽落葉松にあふ老練の野鵐の唄       野鵐:のじこ

筒鳥やわが来し方か行く先か

遠郭公わが生つひにひと雫

暈に繭籠る月ゐる木葉木菟   

水葬やうねりを翻し水薙鳥

木菟老いて森もふけたり勾玉月

潜水艦掠めし鴨の吹きだまり

沢鵟(ちゅうひ)ゐて干拓済めば無用の地  沢鵟:鷹の一種

赤脚鷸鳴く音たどれば絵蝋燭  鷸:しぎ・鴫

ちりぢりに母国語吹かれ百合鴎

鶚消えまたずぶぬれの佐渡おけさ     鶚:みさご:鷹の一種

埋立てて増やす地の涯長元坊

群れ飛びの浜鷸消ゆる白日夢

覚めるたび嘴大曲り焙熔鷸    焙烙鴫:ほうろくしぎ

田鳧鳴く常世現世往来して    田鳧:たげり

沼に光る星雲そして虎鶫

黄鶲や龍笛の裡朱が奔り

土用東風一切空を鷹ひとつ

朱鷺の死につづく朱鷺なし秋の風

老杉にすだまの寝息木菟の夢

雁の声夜空かたぶくままに過ぐ

汚濁日本その上澄みに大鵟

絶滅ときまれば鶴の煌煌と

絶滅へ寂寞としてしまふくろふ

初松籟ばらばらで群れ地の便追(びんずい)

こぼれきてあれは貯木に寒雀

白炎と化す旅立ちの白鳥湖

地に紛ふ雲雀に夜が遠くから

囀りも燎(や)みマンモスの解け具合

 

 

 奈良市の松本さんに、アオゲラ、カッコウ、ホオアカ、ヤマドリの写真をいただきました。

それぞれの野鳥名のブログもご覧ください。自然の中で生きている野鳥たちです。

アオゲラ

 

カッコウ

 

ホオアカ

 

ヤマドリ

        百聞は一見に如かず ですね

 

 頬赤(ほほあか)という鳥以外はすべて写真を挿入できました。90%くらいの写真をウィキペディアから引用させていただきました。WEBの百科事典は、とても丁寧に解説され維持されていると思います。野鳥の多くが絶滅危惧種になりかけていると思われるような記事に胸を打たれます。

 約100種の野鳥についての記事の写真の追加や訂正を行うたびに、リンクしているフェイス・ブックの友人各位には、変更内容の確認をしていただくなど手数をおかけしたと思います。

 そんなわけで、一気に写真の掲載を終わることが必要ではないかと思って今月に入ってから写真の挿入を急ぎました。 

 奈良市の松本さんによれば、日本では約670種の野鳥を見られるとか、鴫だけでも70種いるとのことです。松本さんは最近300種目の写真を撮られたとのことです。松本さんからは、駒鳥・中鷺・鴬・五十雀・小鮫鶲・カイツブリ等の美しい写真をいただきました。ほんとうにありがとうございます。

  土屋休丘さんが野鳥との関わりや、俳句の世界での野鳥の季節感などを書いて『私本野鳥歳時記』として、多くの俳句を作られるかたの為に、また野鳥と人類が共生していけるように遺してくださったと思います。

  

 ブログの 「記事一覧」「画像一覧」からも 本文を読んでいただけます。

 このブログを立ち上げてから、3か月で約5000回ものアクセスをいただきました。このことも、厚くお礼を申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

をしどりのブログもをごらんください。

この写真はウイキペディア「日本語版」おしどりより引用しました。
最終更新 2017年11月7日 (火) 06:55 https://ja.wikipedia.org/wiki/

コゲラ 小啄木鳥 

アカゲラ 赤啄木鳥 

アオゲラ 青啄木鳥 

クマゲラ 熊啄木鳥 

 これらの写真はウイキペディア「日本語版」より引用しました。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/

 詳しくは野鳥名のブログにウイキのアドレスと更新日時などの引用先を書いてあります。

  アオゲラ 蒼啄木鳥

 この写真は奈良市の松本さんよりいただきました。