東日本最古の前方後円墳(神門5号墳)、鉄剣出土の稲荷台1号墳と上総国分寺尼寺跡を見に行くー3 | やべちゃんのブログ

◎神門5号墳の写真

神門5号墳・前方後円墳で後方が後円部

神門3・4号墳があった雷電池付近

今は古墳がない

4稲荷台1号墳(5世紀中~後半。直径27.5mの円墳)

 

 

稲荷台1号墳、意外と小さい

 

       出土した鉄剣

出土した鉄剣表面に銀象冠(ぎんぞうかん)の{王賜□□品}、

裏面に「此延□□□□」と判読された文字銘が発見された。

この鉄剣は埼玉稲荷山古墳出土の「辛亥年(471年か)」

銘鉄剣に先立つもので、稲荷山鉄剣が「大王」の称号に対し、

たんに「王」と称してあり、471年には大和朝廷に大王が

あったと考えられる。付近の神門古墳群が早くから畿内と

の関係があり、稲荷台1号墳鉄剣は武人とし、畿内政権に

奉仕した人物の下賜品と考えられる。 

5国分寺尼寺跡(国指定史跡)

 史跡上総国分尼寺跡は市原市が上総国の政治・文化の中心地

であったことを象徴する歴史的文化遺産です。

 国分寺は今から1250年程前の奈良時代の中頃、国の平和と

繁栄を祈るために建てられた正僧寺と尼寺からなる国立寺院です。

上総国分寺は全国有数の規模を誇り、伽藍もよく整った代表的な

国分寺です。特に尼寺は寺域が全国で一番広く、

古代寺院の全貌が明らかになった史跡です。

上総国分寺尼寺、国分僧寺の位置関係

 

 

◎現地の写真

 史跡上総国分寺尼寺跡展示館

  国分寺尼寺の全景模型

   復元された中門

   復元された回廊

6上総国分(僧)寺跡

 国分寺全体図、七重塔等立派な伽藍

 があった

    西門跡の支柱再現

独特な形状の薬師堂で趣がある、茅葺屋根

7戸隠神社

 天平12年(740年)の鎮座で、信州戸隠大神の神の姿と

言われている。215年頃(卑弥呼の時代)はこの小さな山

を戸隠山(=天の岩戸)と見立て、アマテラスの祭祀を行って

いたと考えられ、すぐ前の土地が神門と呼ばれ、祭祀者の

神門古墳が築造されたものと思われる。

 約500年後、国分寺造営の妨げにならないよう信州戸隠神社

を勧請して、祀りなおしたと思われる。平安時代には

上総国の初代の総社になっている。

      簡素な戸隠神社