東日本最古の前方後円墳(神門5号墳)、鉄剣出土の稲荷台1号墳と上総国分寺尼寺跡を見に行くー4 | やべちゃんのブログ

8まとめ

 1)東日本最古で、初期の前方後円墳である「神門古墳群」

  は纏向の箸墓古墳(280年頃)より古く、神門5号墳は230年頃

  の築造とされ、前方後円墳のさきがけの一つです。

   この時代の古墳、土墓は中国地方の播磨、四国の阿波、九州の

  筑前にあり、当時、密接な関係があり、卑弥呼の祭祀が行われて

  いたことになる。

   前方後円墳は倭国独特の墳丘で、百済、伽耶系の円墳の陸橋(

  突出)部が発達して、方形になった説と、円墳と方墳が合体したと

  の説(他に諸説あり)がある。私は円墳と方墳両地域の統合した

  象徴の形と考えます。

 

 2)稲荷台1号墳(円墳)出土の鉄剣(460年頃)には「王賜り」

  と銘記があり、当時は「王」と呼ばれていたが、埼玉の稲荷山古墳

  の鉄剣(471年?)には「大王」(雄略?)の銘記がある。

  この頃、畿内が統一されて「大王」(ヤマト朝廷)となったと考

  えられます。すなわち、この頃、大和が統一されたと考える

  ことが出来ます。

 

 3)上総国分寺尼寺跡は日本一の広大な寺域をもち、尼寺の中門、

  回廊が復元されており、構造、様式が良くわかり、立派なもの

  だったことが解ります。今後、全体を徐々に復元される

  ものと思います

 4)215年頃(卑弥呼の時代)に小さな山を戸隠山(=天の岩戸)

  とみたてて、アマテラスの祭祀が行われ、神門古墳が

  築かれたと思われている。

 

  前回(20181月 )のレポ~トで、千葉は前方後円墳が

  日本一多く存在すると報告したが、東日本一古い(初期の)

  前方後円墳もあり、卑弥呼の時代に大和と密接な関係が

  あった事は興味深い。千葉、房総半島は早い時期から開けた

  重要拠点であったことを改めて考えさせます。