東日本最古の前方後円墳(神門5号墳)、鉄剣出土の稲荷台1号墳と上総国分寺尼寺跡を見に行く-2 | やべちゃんのブログ

図6西日本における出現期古墳の分布

     (大石太一郎、古墳の語る古代史より)

表3墳丘要素の国際比較(5世紀中心)

(ウイキペヂア、日本の大規模古墳一覧より)

 

 ヤマト王権においては、墳丘の規模が重大な意味をもって

いたことがうかがえると共に、「見せる王権としての可視性」

が随所に確認できる。

 また、中国の魏暜南北朝時代(222589年)の王墓では

南北の地域差が顕著であり、黄河流域の補久保では方丘墳が

主流であるのに対し、長江流域の南部では円丘墓の伝統が

あって、さかんに造営されている。

 日本の墳墓は「円」を基盤とする西日本と、「方」を基盤

とする東日本という地域性がある。墳形については、

方形の高句麗、円形の朝鮮半島南部(新羅、伽耶)あるいは

中国南部を起源とする説もある。

図7に前方後円墳の成立過程の模式図(推定)を示します。

前方後円墳は陸橋(突出部)が次第に大きくなって

前方部に発展したとの説、円墳と方墳の合体説と諸説あります。

私は合体説を支持します(方墳と円墳両地域の統一の象徴とした)。

図7前方後円墳の成立過程の模式図(推定)