東日本最古の前方後円墳(神門5号墳)、鉄剣出土の稲荷台1号墳と上総国分寺尼寺跡を見に行く-1 | やべちゃんのブログ

1まえがき

 東日本最古の前方後円墳「神門(こうど)5号墳」は卑弥呼の

箸墓古墳(3世紀後半)より古く、3世紀前半の築造で初期の

纏向型前方後円墳とのことです。千葉の房総半島に日本最古の

前方後円墳が存在するのは興味深い。

 ここは市原市の国分寺台で、養老川が海に流れ込む河川の丘陵地です。

古代には「上総の国」の中心地で、「王賜」銘鉄剣が出土した

「稲荷台1号墳(5世紀中~後半)、上総国分寺尼寺跡

(7世紀、国指定史跡)等がある。

2位置・地図

  千葉県房総半島の付け根に位置し、市原市国分寺台にある。

 図1、図2に位置と古墳分布を示します。

    

            図1市原市の古墳分布

  

      図2市原市国分寺台の案内図

 

   

3神門5号墳(3世紀前半の東日本最古の前方後円墳)

 3世紀(邪馬台国時代)には列島規模で近畿、北陸、

北関東との地域間交流が活発化し、各地の土器が発掘

されています。

 国分寺台地区は東日本でも拠点的な地域で、

地域統合の象徴として、神門古墳群(3、4、5号)

が造られました。

  図3神門(こうど)古墳群の配置

 

推定230年頃  250年(現在無) 270年(現在無)

図4神門古墳群の築造年(大和の箸墓を280年頃

とすると)

 古墳の築造された3世紀前半は第9代開花天皇の時代

(214~244年)で、卑弥呼が天照大神の祭祀体制を強化

した時期にあたります。

 215年に①天照大神を調神社(武蔵)に祭り、

②日御崎神社上に神殿造営をさせ、③纏向の宮殿内に天照大神・

倭国魂神を祀っています。従って、同時期に卑弥呼が

「上総の国」の祭祀強化のために特別な祭祀者を派遣し

たと考えられます。

 これらの古墳群の築造は230~270年頃と推定され、

大和の箸墓古墳(280年頃)以前とされ、ヤマト政権との関係、

前方後円墳のさきがけとして興味深く、さらなる考察が必要です。

 表1に全国最古級前方後円墳集計表を示します。

最古級の前方後円墳は畿内(大和)を中心に、関東、上総、

中国の播磨、中国の阿波、九州の筑前にあり、密接な関係

があったと考えられます。

図5に古墳期前期の前方後円墳の分布を示します。

図5古墳期前期の前方後円墳の分布