3日目雲ノ平山荘~三俣山荘~鷲羽岳~黒部五郎小屋
山並みの朝焼け
槍ケ岳・穂高岳の稜線
まさしくここが黒部川源流、木もない高山部に
水が湧き出ている、不思議、これらの水が集まり
黒部川になり、黒四ダムとなる
三俣山荘に着く、ここから鷲羽岳をピストン約3時間
これから登る鷲羽岳
ついに鷲羽岳頂上に立つ
頂上直下にある鷲羽池、こんな所に水が湧いている、
不思議、雨が多く。霧も多いためか、水を貯蔵する
岩石か
腰の曲がった人も登って来る、今回の登山で3人
見かけた
この辺から見ると鷲が羽を広げているように見える。
赤く見えるのが三俣山荘、中央左側がワリモ岳
中央の赤い荒々しい山が硫黄岳、実際はもっと
赤く見える
本日の宿泊場所、黒部五郎小屋に到着、ここへの下りもきつかった
5日目 黒部五郎小屋~黒部五郎岳~北俣岳~太郎平小屋
黒部五郎小屋出発(写真は到着時)
カール道を進むと氷河で削られた独特の黒部
五郎岳が見えてくる
黒部五郎岳の頂上
黒部五郎岳から帰りの方向(北俣岳方面)を望む、
まだ4時間ぐらいかかる(太郎平小屋まで)、
もう疲れがピークになり歩行速度が落ちる
山並みが重なって美しい光景
目指す宿泊地の太郎平小屋と薬師岳がきれいに見える、何とかたどり着けそうだ
親子のライチョウ、左が親、右隅に子供、懐かしい
太郎平小屋から見る薬師岳と夏雲、ついに無事到着、缶ビール2本飲んだ 、うまい、今日はここで宿泊、あと3.5時間下れば折立だが体力がない。明日ゆっくり降りることにした
4まとめ
①6日間快晴に恵まれ、ラッキーだった
②連日4時30分の出発で予定タイムの遅れを見込んだ
が、各区間30分~1時間の遅れとなった。特に1日
目(折立~薬師岳)と2日目(薬師沢山荘~雲の平
の急登)はハードな登りとなった。午前中は何とか
いけるが、
午後になると歩くペースが落ちる
③雲の平の奥地に入るコースはいくつもあるが、距離
は長いが新穂高から来る人が多かった。こちらの方
が楽かもしれない。
④薬師岳と鷲羽岳の上部は白色の花崗岩で覆われてお
り、同じような山にえる。
⑤雲の平の宿泊で、周辺の山々のまれに見える夕焼け
ショーを見ることが出来てラッキーでした。
⑥6日間の長くてハードな山行きは初めてで、体力も
限界でした。今回初め て昼休みに冷たい缶ビール
を飲み、勢いをつけ午後を歩きました。
⑦山小屋の宿泊は素泊まりを予定し、食糧を多く持
ち、コロナ対策でシラフ(寝袋)持参が求められ、
リックが重くなりました、コースのハード面も重な
り、毎日の疲労は大変でした、
⑧黒部川源流域は日本海気候で、雨・雪が非常に多い
ことに由来し、花崗岩で濾過された水は冷たくてお
いしいことを改めて知りました、又これらの水が
黒部川等になり、大規模ダムと発電所で社会に役立っていることが解りました。
3途中の写真
(1日目)折立~太郎平小屋~薬師岳~太郎平小屋
折立に通じる林道は立派な道(有料1900円)が完備し、巨大な有峰湖にダム、発電所があり、有峰県立自然公園として開発されている。
折立の駐車所、平日でも100台ぐらい止まっている
最近クマがウロウロしており、昨日は車のそとに置いた
リックをクマに持って行かれたとのこと
薬師岳の登山口
5時間の登りで太郎平小屋に着く
小屋から、これから登る薬師岳が良く見える、
往復約6時間かかった
はるか遠くに槍ケ岳のとんがりが見える
最初は急登があるが途中から比較的なだらかな登りとなる、薬師岳山荘と薬師岳山頂が見える、山荘から1時間とある
薬師岳山頂にて、思ったほどきつくなかった、
休み、休み来たのと、前半の登り途中に冷たい湧水が多く、おいしく飲めたのがよかった
(2日目)太郎平小屋から雲の平に向かう、この 日も急登があり、距離の長いハード区間となる
朝5時ごろの北アルプスの山並み,槍ケ岳
薬師沢小屋に着く、ここから岩が滑りやすい急登が
約3時間続く、誰もがきついと嘆く、私は休み休み
マイペースで進む
雲ノ平(直登)と高天原方面の分岐点、直登を避け
高天原を廻る人も多い、高天原には人気の温泉があ
る
ついに雲ノ平山荘に到着、しんどかった、ここ
の宿泊でめったに見られない夕焼けのショーをみる
ことが出来たラッキー
正面に見える水晶岳の夕やけ
笠が岳の夕焼け
五郎岳の夕焼け
山荘の従業員、お客が珍しいと写真を撮る
五郎岳方面の夕焼け
3に続く
1まえがき
北アルプス(立山連邦)奥地の秘境にある黒部川源流域の人気コース(ゴールデンルート)を廻りました。
標高差が大きく(折立~薬師岳は1570m)、
歩 行距離も約42kmあり、大変ハードな登山とな
ります。体力的に心配ありますが、薬師岳と鷲羽岳
の魅力にひかれ、梅雨明けの晴れ間を利用していく
ことにしました。
2日時・コース(5泊6日)
8月18日(火)
深谷10:30―本庄IC(関越道)―越後湯沢IC12:00―(R253・R252)―上越IC
14:00(北陸道)-立山IC16:00―有峰林道―折立登山
口17:00―〇泊
19日(水)
折立登山口4:30―太郎平小屋10:00―薬師岳頂上
13:00―太郎平小屋16:00
〇泊
20日(木)
太郎平小屋4:30―薬師沢小屋・3時間の急登―雲ノ平
山荘14:30―〇泊
21日(金)
雲の平山荘4:30―黒部源流―三俣山荘8:30―鷲羽岳頂
上10:00―三俣山荘
11:30(休憩)―黒部五郎小屋16:00―〇泊
22日(土)
黒部五郎小屋4:30―黒部五郎岳7:30―北ノ俣岳
11:00―太郎平小屋13:30
〇泊
23日(日)
太郎平小屋6:30―折立登山口(下山口)9:30
車で折立10:00―飛騨高山―(R471)―平湯―安房トンネルー松本―坂城IC(上信越道)-本庄IC―深谷19:00
車のアクセス
登山ルート
2に続く
1まえがき
上部からの展望が素晴らしい「上部武尊山」に登ってきました。梅雨前の最後のテャンスと思い出かけましたが、新型コロナの影響で登山口である「武尊牧場・スキー場」・「川場スキー場」はまだ閉鎖中でした。
可能な登山口を探し、「川場野営場」からのコースを登りました。
武尊山は群馬県の北部、利根川源流域の奥利根にある古い火山で、主峰の沖武尊(2158m)を中心に七つの2000m級の峰(前武尊、剣ヶ峰、家の串山、中岳、獅子ガ鼻山、不動岳)が連なっている独立峰です。
とにかく天候に恵まれ、残雪の山々の展望が最高でした。
2日時・場所
2020年6月10日(水)日帰り・標高差950m
所在地―群馬県利根郡(水上町・川場村・片品村)
登山口―群馬県利根郡川場村大字川場湯原、駐車場100台
当日は3台のみ、登山者は3人(私を含む)
武尊山と登山口(群馬県)
登山コースと山々
3途中の写真
川場野営場登山口、私一人のみ、地図を頼りに進む
数か所に地蔵様があり信仰の山です
やがて独特な形状(岩)の剣ヶ峰(2020m)が
見える
向かいの至仏山(2228m)、奥に尾瀬の
雪山が見える
残雪の向こうに谷川連峰が見える
昨日行った谷川岳がひときわ高くにある
家の串山から見た武尊山(奥)と中岳(手前)、
ここから30分痩せ尾根が続く、足の疲れと
痛さもあり引き返した
途中で出会った人に写真を撮ってもらったが
白黒で映っていた
4あとがき
天候に恵まれ、頂上付近からの残雪の山々の展望は素晴らしいものでした。足裏の腱鞘炎(けんしょうえん)で右足裏全体に少しの痛みがありましたが、何とか無事下山できました。歩きもゆっくりとなり、登り4時間、下り3時間半かかりました。頂上まで1時間の所で引きかえりましたが、充分満足の行くものでした。
百名山だけあって上部は結構険しい所がありました冬に深谷から見ると、赤城山の奥に谷川岳と武尊山の雪山が大きく横たわってるのが見えます。
今回、山の大きさを認識することが出来ました。
1まえがき
6月残雪のある谷川岳・マチガ沢・一ノ倉沢を見に行 きました。きっと良い写真が撮れると期待してましたが、今年は暖冬で雪が少なくなっていました。各出会いまで山麓を歩きましたが、雪は全然ありませんでした。
帰りは初めて電気バスに乗りました。
2日時・場所
2020年6月9日(火)
群馬県水上市
コース・ロープウエイ駐車場~マチガ沢出会~巌号新道途中~一ノ倉出会~電気バスで戻る、行き2。5時間、帰り30分
3途中の写真
遠方から見る残雪の谷川岳、6月9日にしては雪が少ない
巌剛(がんごう)新道途中からみたマチガ沢上部
一ノ倉出会から見た一ノ倉沢、雪が非常に少なく
夏のようだ
一ノ倉沢出会の広場、数年前まではここまで車
で入れたが、現在は通行禁止で、電気バスが走っている、ロープウエイ駅まで片道500円、30分
一ノ倉沢説明図
一ノ倉掲示板、日本の三大岩場(剣岳、穂高岳と共に)の一つで、ロッククライマーはここで練習し、海外へ出ていくとのこと、これまで350人以上が亡くなっているとのことです
4あとがき
天候に恵まれた中で絶景を見ることができたが、もう少し雪が多い時期に来たかった。今年は残雪が少なく、もう例年の7月の状況になっているとのことです。
谷川岳には各コースを登ったが、いずれもかなり厳しいものでした。今回は初めて山麓を中心に一ノ倉沢まで歩き、一ノ倉をじっくり見ることが出来ました。
なお 谷川岳の山開きは6月中旬以降になる見込みとのことです、やはり 谷川岳はすごい。次回は紅葉の時期に縦走したいと思います。
ガイドによると、高度が低い地域でクマの出没が多いとのこと、高度が高
い場所は安心のため、早く高度を上げる登山が良いとのことです。
1まえがき
毎年、アカヤシオの花を見に登っているが、今年は咲く花が非常に少なくがっかりしました。こんな少ないのは初めてです。どうも他の山でも同様に少ないようです。今年はアカヤシオの裏年にあたり、来年に期待です
2日時・場所
2020年5月13日(水)
栃木県日光市・群馬県みどり市。沼田市にまたがる
3登山コース
折場登山口駐車場
登り2時間(子丸山1676mまで)標高差約500m
下り1。5時間
登山ルート、折場登山口
4写真
展望のきく尾根から袈裟丸山を望む
例年満開で華やぐ所で、何本も咲いていない
子丸山に近づくと賑やかに咲いている木がある
子丸山の山頂、付近に咲いている木がない
下山途中で小鹿が近寄ってきて、暫くにらめっこ
していた
5あとがき
アカヤシオの裏年で例年の華やかさはなかった。皆さんガッカリしてました。来年は大丈夫そうです、期待しましょう。
1まえがき
コロナ自粛の中、足慣らしを兼ねて赤城山の最高峰 の黒檜山に行って来ました。4月29日だというのに新緑はなし、ツツジは山裾で咲き始めでした。
2日時・場所
2020年4月29日(水)昭和の日の休日
群馬県前橋市富士見町赤城山
3コース
おのこ駐車場~駒ヶ岳(1689m)~黒檜山~赤城大沼
登山コース、登り2時間、下り1.5時間
駒ヶ岳(手前)と黒檜山を望む
頂上の鳥居、休日なので10人程いる
頂上から大沼を一望できる、新緑が全くない
5あとがき
2回目の黒檜山登山、前回は赤城大沼登山口からでけっこう急登で大変だったが、今回の駒ヶ岳コースの登りの方が楽で、展望も良好でした。ツツジ、アカヤシオの開花は全然ありませんでした。ここはまだ冬の状態でした。
(5)の続き
向かいにある食堂、当時ここに「お助け小屋」
と言って避難小屋があったそうです、
峠の風景、池と紅葉が有名だそうです。紅葉はまだ早い
まとめ
4日間で白山(石川県)・立山(富山県)・乗鞍岳
(岐阜県)の名山を廻る強行日程でしたが、最後の乗鞍岳は
天候が悪いためあきらめ、かねてから行ってみたかった
野麦峠へ行って来ました。
白山・立山は富士山と共に日本の3名山、3大霊山に
なっており、天候の良い中で行けたことは良かったと
思います。又同時に「称名滝」・「平湯大滝」を見られ
たのも満足でした。
乗鞍岳は悪天候により残念ながら行けなっかたので、
次回(来年)は御嶽山と一緒に行けるよう計画したい
と思います。
歳をとるにしたがって、標高差1400mの日帰り
登山はきつく、コース時間より遅れるようになりました。
又帰り(下り)には足(ふくらはぎ付近)が痛くなるため、
今後は余裕を持った計画をしたいと思います。
白山の下山では、18時以降真っ暗いなか、
狭い急坂の連続で苦労しましたが、百円ショップの
懐中電灯とストック代わりの太い枝木の杖が非常に
役立ちました。又靴の底が半分はがれた経験も初めてでした。
この教訓を今後に生かしたいと思います。
野麦峠については詳細を知り感動しました。日本の近代化
(明治時代)のため、国策の生糸増産に貧しい農家の
娘さんが12~13歳で「出稼ぎ工女」となり、命がけで
吹雪の野麦峠を超えていき、職場は劣悪な環境でした。
工女は使い捨てで、命を落とす者が多かったようです。
5人姉妹の内3人亡くなった例もありました。
最盛期の岡谷地区で数万人働いていたそうです。
終り
(4)の続き
〇乗鞍地区・平湯大滝と乗鞍スカイライン入口
岐阜県高山市奥飛騨温泉郷を朝6時に平湯大滝に向かう。
平湯大滝、落差64m幅6mで飛騨三名瀑の一つ
2月には滝全体が氷結しライトアップされる(
平湯大滝氷結祭り)、駐車場から徒歩15分
乗鞍スカイライン入口まで車で上がるが、入口は閉鎖
7時から開くが、バス・タクシーのみで自家用車は
乗り入れ禁止のため「ほうのき平駐車場」へ向かう
乗鞍岳畳平行バスの発着所の「ほうのき平」、ここの
広場には、立ち寄り温泉・宿泊所。食堂等があり、食堂は
深夜2時まで営業しているそうです、
付近にコンビニも何もない場所で、これだけそろっている
のは便利です、ここの食堂で一休止していると、朝いちばん
のバス(6:55)で畳平へいった人が帰ってきて、ガスで
何も見えないとの情報で、急きょ野麦峠へいくことに
しました、片道2時間の距離です
〇野麦峠の館(岐阜県高山市高根町野麦)
1974(S49)年の映画「ああ野麦峠」の舞台で
最優秀映画賞を受けている。飛騨地方の貧しい農家の娘、
12~13歳の少女が岡谷まで160kmを3泊4日
程で雪の峠道を超えていく話です。特に一番難所の野麦峠
では命を落とすものも多く、多くの悲劇が語られています。
代表的なのは「政井ミネ」の話で、12歳で岡谷の
製糸工場で働くが、高温の中の長時間(1日14時間)労働で
体を壊して病気になり、死期を悟ったミネは飛騨に帰りたいと
の強い要求で、兄が迎えに来てネコダ(背中に背負う木枠)
に乗せられて飛騨に帰るが、途中の野麦峠で「ああ飛騨が見える」
とつぶやきながら息を引き取ったそうです。
明治42年秋、ミネさんは20歳でした。
当時(明治年間)は国策で生糸の増産が計画され、劣悪な環境下
で働かされて、病気になるとボロクズのように捨てられてい
きました。数多くの犠牲者が出、自殺者も多かったそうです。
ちなみに野麦とは「クマササの実」が野麦に見えるから
だそうです。
野麦峠の位置
野麦峠の位置
野麦峠の頂上、県立自然公園になっている
野麦峠の館(資料館)がある
映画「ああ野麦峠」の展示
当時の状況、吹雪の中をワラジと腰巻・長じゅばんで歩く
病気のミネさんを兄が背中に背負って峠を越えた銅像、
ここでミネさんは「ああ飛騨が見える」と言って息を
引き取った(字際には見えなかった)、この銅像は後に
兄さんが妹をしのんで造ったそうです
(6)に続く