母の介護が始まってから3年間。家のリビングが急遽母の部屋に
なりました。この部屋には大きなソファとテーブル。ごっついサイド
ボードなんか置いてあって、食器や置物やウイスキーの瓶がびっしり
と並べてありました。家にあるテレビもこの部屋が一番大きくて、
ブルーレイレコーダーにWiiもある。玄関から近いのと、何と言っても
トイレ、風呂が近い距離。母はまだ一人で置きあがって、立ち上がって、
トイレにもどうにか自分ひとりで行けてた頃。ポータブルトイレは
夜中だけの使用でした。そのうち大きな方だけトイレでするようになり、
やがてポータブルでしか使用しなくなりました。介護ベッドも電動機能は
使わず、手すりにつかまり踏ん張って自分で起き上がることができて
いました。そのうち電動機能を使って起きたり寝たりするようになり、
やがて電動機能ボタンさえも自分で押さず、私を呼ぶように。
段々と運動機能が落ちていきました。
ポータブルトイレの片づけが、正直私には一番辛かったです。日中は仕事
に行っているので、仕事から帰るとまずはポータブルの片づけ。いつも
恐る恐る蓋を開け、うぉお!と心の中で思いながらも息を止めて片づけ。
それでも「お!出たね~!スッキリしたやろ~!」と声かけ。じゃないと
母にもプライドがあるだろうし。母はまだ自分で座り、紙パンツを自力で
上げることができていました。パッドも汚れたら外すことはできた。
それが段々と外すパッドが下に転がってたり、床にこぼれてたり、上げ下げ
する時にズボンが濡れたままだったりと、段々と片付けの度合いが高まって
行きました。やがてズボンの上げ下げも呼ぶようになり。トイレのお世話が
いつも辛く、母には見えない所で泣きながら片づけをしていました。
母が特養に入所してすぐにレンタルベッドの回収に業者さんが来ました。
お布団を片付け、ベッド周りを掃除して準備。業者さん2人でやって来て
ものすごい手際の良さで、ベッドを解体して約10分程度で去って行きました。
がらんとしたスペースが余計に寂しい。母にはベッド回収した
なんて絶対に言えない。その後、ポータブルトイレも分解して
廃棄しました。リビングはもう何もないし、誰も来ないし。
フローリングには臭いがしみ込んでいるので、ここの部屋は
いつかはリフォームしないとな。