こんばんは。現役介護員&介護福祉ライターのさがらゆみこです。いつも読んでくださってありがとうございます。
昨日のブログで、「明日からしばらくの間、認知症に関する記事を書いていきます」と書きましたが、予定を変更します。
今日は3月11日。東日本大震災から10年が経ちました。
今年もYahooで3.11の検索をしました。この企画を知ってから、毎年行ってます。
10年たった今も、あの時のことは忘れられません。
私はその日、隣町にあった就労支援施設にいました。再就職に関するセミナーを聞いていた時に地震がありました。強く弱くを繰り返したいやな感じの揺れが長く続きました。 そしてすぐに津波注意報が発令されました。
その時点でセミナーは終了。最寄り駅に向かうため、すぐそばのバス停に行きました。でもいくら待ってもバスは来ません。もう既にバスは止まっていたのです。駅に行けないと不安になりましたが、運よくタクシーが来たのでそれに乗りました。
タクシー内のテレビで見た津波の映像は何とも言えずショッキングでした。今まで見たことのない光景だったので、思わず『何これ?』と声が出ました。
そして駅についた時には、津波注意報が大津波警報に変わっていました。
家までの交通が全てストップしたので、私はその日家に帰れませんでした。かろうじて駅近くのホテルに泊まりましたが、部屋が8階だったので、余震がくるたび怖くて泣きそうになってました。 ずっと仕事だった夫と連絡が取れないことも怖さを助長しました。
翌日朝食を食べていた時に、制服姿の子たちをたくさん見ました。多分電車通学の高校生だったのでしょう。きっと私と同じように、怖くて不安だったと思います。
翌日朝食を食べていた時に、制服姿の子たちをたくさん見ました。多分電車通学の高校生だったのでしょう。きっと私と同じように、怖くて不安だったと思います。
翌日も交通手段がすべてストップしたので、帰宅したのは翌々日でした。この時は本当にホッとしました。幸い我が家は被害は免れましたが、これも本当にギリギリだったそうです。
そして数日後、冠水した場所の写真を見せてもらいましたが よく知ってる場所のはずなのに、面影が全然ありませんでした。初めて、津波の怖さを知りました。
あれから10年。昨年、地元役場のホームページに防災啓発動画がアップされました。今日久しぶりにそれを見たのですが、やっぱり津波は恐ろしいものであることと、大地震が来たらすぐに避難することの大切さを痛感しました。
そして少しの間ですが、夫と話しました。もしここで巨大地震が起きたらどうする?と。やはり夫は職場に行くことになります。なので私は1人で避難しなくてはいけません。想像するととても怖いし不安ですが、自分の命は自分で守るしかありません。本当は災害がこないのが1番ですが、今の日本ではいつ何があってもおかしくありません。なのでもし「その時」がきたら、心を強く持って避難しようと思います。
今日読んだ3冊の本です。